「木曽川うかい」が開幕 ・・・180520掲載
全国唯一の「昼うかい」 女性に人気
犬山市の木曽川河畔で11日、「木曽川うかい開き」が行われ、犬山・各務原両市の関係者や老人福祉施設などから招待された142人が「昼うかい」を楽しみました=写真左。「木曽川うかい」は今から350年ほど前、犬山城主成瀬家3代目・成瀬正親(1639〜1703年)が、故郷三河から2人の鵜匠を呼んで御料鵜飼(殿様の保護を受ける代わりにアユを献上する鵜飼い)として始めたといわれています。
式典の中で石田芳弘犬山市長は「鵜飼いは日本の伝統文化の継承。受け継ぐ人がいるから続けていける。文化を愛し大事にする精神を持ち続けたい」とあいさつ。森真各務原市長は「古文書によると、一番最初にウを操って魚を取ったのは木曽川。新しいものの中に、歴史と伝統があって都市は発展していくもの」と述べました。また、昨年台風14号で鵜舟に被害を受けた山口県岩国市の「錦帯橋のう飼い」に「木曽川うかい」から鵜舟1艘を贈った縁で同市から井原勝介岩国市長と鵜匠の村中秀明さんも来犬。岩国と犬山の鵜匠の共演も見られました。ことしで4年目となる「昼うかい」は特に女性に人気があるとのこと。昨年は5401人が乗船し、夜の鵜飼いと合わせて2万4422人が「木曽川うかい」を楽しみました。
朝までの雨がすっかり上がり、太陽の日差しの下、木曽川にこぎだした鵜舟と屋形船。「夜の鵜飼いは、かがり火の幻想的な世界でウが魚を取る迫力を、昼の鵜飼いは雰囲気を楽しんでほしい」と鵜匠の武藤孝義さん。新緑の犬山城を背景に水面を渡るさわやかな風を受けながら、ウの水中に素早くもぐる俊敏な動きや、水面に浮かぶ愛きょうのある姿を観客は堪能しました。「木曽川うかい」は10月15日まで。「昼うかい」は期間中の火・木・土曜日運行(20人以上の団体については曜日にかかわらず臨時運行)で、予約が必要です。乗船時刻は午前11時30分。料金は大人3800円、子ども2900円で、食事代・乗船料・消費税を含みます。乗船のお問い合わせ、予約は木曽川観光株式会社TEL犬山(61)0057へ。 安全祈願をする鵜匠

 すっぽりっと白い花
●〈犬山〉ヒトツバタゴが見ごろ
犬山市池野西洞地内にあるヒトツバタゴの花が見ごろを迎えています。大正12年3月に自生地として国天然記念物に指定されており、現在ある7本の樹齢は推定200〜250年、樹高は5〜15m。山の中にあるため、一般より開花がやや遅く、昨年より約1週間遅れて咲き始めました。ヒトツバタゴはモクセイ科の落葉樹。プロペラ型の白い花が満開になると、木がすっぽりと雪をかぶったように見えます。かつては珍しい木で「これはなんじゃ、なんというもんじゃ」ということから「ナンジャモンジャ」という愛称で親しまれています。

←見ごろを迎えた国指定天然記念物のヒトツバタゴ=5月15日撮影

 わが町の昭和と平成
●木曽川堤 大曲がり
昭和3年ごろの松並木が続く木曽川堤。
         (高木写真館提供)
現在の木曽川堤。桜並木が続いています。
上の写真は昭和3年ごろ、犬山の木曽川堤を撮影したものです。延々と続く松並木は、まるで一幅の絵画のようです。撮影場所は犬山市と扶桑町境で、大きくカーブしていることから「大曲がり」と呼ばれ、ここに現在「御聖蹟御駒返」の石柱が建てられています。それによると、昭和2年の秋、尾張平野で陸軍特別大演習が行われ、昭和天皇が、御統監のため犬山へ巡幸された時の様子が次のように刻まれています。「その折、木曽川堤を下流に向かって山那裏近くまで駒をお進めになった。陛下は大曲がり辺りでしばし駒をとめさせ、雄大な景観をごらんになり、それより駒を返して犬山へお帰りになった」。現在、松並木はなくなり、替わって桜が植えられ、毎年4月上旬ごろには桜のトンネルが見られます。

尾北ホームニュースでは、平成の現代と対比することができる、なつかしい昭和の写真を探しています。提供可能な写真をお持ちの方は、尾北ホームニュースTEL0587(53)3001までご連絡をお願い致します。次回は6月3日に掲載します。

 笑顔はじける入賞作品61点
●江南藤まつり写生大会(主催/尾北ホームニュース)
〜今月末まで岐阜信用金庫 北江南支店ロビーに展示〜
4月22日に開催した「第20回江南藤まつり写生大会」(尾北ホームニュース主催)の入賞作品61点を31日まで、岐阜信用金庫北江南支店=アピタ江南店隣=のロビーに展示しています。

江南市長賞
 田中杏治君(古知野南小5)の作品
大口町長賞
 武川未奈さん(江南幼年中)の作品

犬山市長賞
 山田聖琳さん
(杉の子幼年少)の作品
扶桑町長賞
小栗周平君
(山名小3)の作品
江南商工会議所会頭賞
 船橋遼生君
(古知野南小5)の作品


 
戻 る