昔と今を写真で対比 ・・・180204掲載
わが町の昭和と平成
激動の時代といわれた「昭和」の時代。この地方では大正末期から昭和初期にかけて、養蚕の最盛期を迎え、その後、戦時体制に移行。終戦、戦後復興……昭和の大合併では、29年4月1日に犬山市、同年6月1日に江南市が誕生。扶桑町は27年8月1日、大口町は37年4月1日にそれぞれ町制を施行しました。以来、高度経済成長の波に乗り、人々の生活環境は大きく様変わり。市や町の中心部では商店が盛え、新しい住宅地が郊外へと広がりを見せました。平成になって18年目の現在、町の随所で昭和の名残が消えようとしています。尾北ホームニュースでは、なつかしい「昭和」の写真を掲載すると同時に、同じ場所の現在の姿を撮影し、その変ぼうぶりを紹介します。

江南駅前〜

写真(1)、昭和42年ごろの古知野駅前
(江南市役所提供)

現在の江南駅前
●駅前の住宅はロータリーに
現在の名鉄江南駅の駅舎は、昭和49年10月1日に完成したもので、当時は「古知野駅」という名称でした。同56年11月10日に「江南駅」と改称され、現在に至っています。写真(1)は40年11月に古知野駅前の整備事業が始まって間もない、42年ごろの様子です。右上に見えるのは、現在もある駅前第1ビルで41年11月に完成しました。左下隅には旧古知野駅の屋根瓦、その向かいには自転車預かりの店が見えます。駅前の住民の人たちが立ち退き、駅前ロータリーになりました。

写真(2)は昭和31年の古知野駅。その後改修により改札口が地下になったものの、プラットホームと隣接する踏切は、昔とほぼ同じ位置にあります。

写真(2)、昭和31年の古知野駅
(江南市役所提供)

現在の江南駅

〜犬山駅前〜

写真(3)、昭和28年ごろの犬山駅前
(高木写真館提供)

現在の犬山駅(西)前
写真(3)は、昭和28年ごろの名鉄犬山駅前の様子です。大きな駅前ロータリーが車社会の到来を予感させます。このころ、駅前では相撲の地方巡行興業も行われていました。ロータリーの向こうには、運送会社、パーマネント、パンなどの看板が見えます。右奥の白い屋根は映画館「桃劇」。野菜や魚などの市場も2カ所あったようです。駅前通りは現在の広さに拡幅される前で、さらに進むと「さくら通り」の愛称で親しまれていた六間道路へと続きます。家並みの向こうには、伊木山の姿を大きく見ることができましたが、現在はビルの建設でほとんど見ることができません。現在の駅前ロータリーのモニュメント「耀(ひかり)」〜大空へ大地へ〜は平成3年3月、愛知のふるさとづくり事業の一環で建立されました。

写真(4)は、木造の犬山駅です。現在の犬山駅は昭和60年2月、犬山駅東西連絡橋の開通と同時に橋上化されました。

写真(4)、昭和28年ごろの犬山駅
(高木写真館提供)

現在の犬山駅

尾北ホームニュースでは、平成の現代と対比することができる、なつかしい昭和の写真を探しています。提供可能な写真をお持ちの方は、尾北ホームニュースTEL0587(53)3001までご連絡をお願い致します。次回は2月18日に掲載します。


 
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