語り継ぐ60年前の事実・・・170813掲載
市内1310人の戦没者を慰霊
●〈江南市〉遺族会員ら約540人が出席
江南市は1日、平成17年度江南市平和祈念戦没者追悼式を同市民文化会館で行い、同市遺族連合会(細川浄会長)の会員ら約540人が出席しました。
追悼の辞を述べる大脇澄夫市議会議長=江南市民文化会館で 祭壇には1310人の市戦没者慰霊名簿が置かれ、古知野東スポーツ少年団の5人が国際平和都市宣言を朗読。堀元市長が「平和の証である国の豊かさや安定した社会をなくさないためにも、戦争の記憶を次の世代に語り継いでいく必要がある」と式辞、出席者全員で黙とうを捧げました。同連合会の細川会長は昭和の歌人、釈迢空の詩を引用し「戦いほど無惨で悲惨なものはありません」と、世界の各地域でいまだに続く戦火の炎を憂い「一日も早く真の世界平和が達成されることを願って努力していきたい」と、追悼の言葉を述べました。その後、出席者一人ひとりによる、菊の花の献花が行われました。

顔見ぬ父をしのぶ 
日本人墓地を訪れた「シベリア抑留死亡者墓参団」の一行。松岡さんは左から2人目=平成9年7月、ロシア・クラスノヤルスク市で ●戦後、シベリア抑留中に死去 江南の松岡冨士子さん
江南市赤童子町の松岡冨士子さん(60)が、日本の敗戦後、シベリアに抑留され、厳しい寒さと疲労のため亡くなった父が眠るロシア・クラスノヤルスク市を訪れたのは今から8年前のこと。戦後60年目にあたる今夏、当時の旅行写真を見ながら「お国のために勇んで出征した」父親、青山賢治さんをしのんでいます。松岡さんは平成9年7月15日、成田から空路でロシアへ。日本ロシア親善協会県支部が派遣した「シベリア抑留死亡者墓参団」の一員として参加。兄と姉2人を含む17人による8泊9日の旅でした。人口約100万人、流刑地として知られるクラスノヤルスク市には、日本人墓地が2カ所あり、バスで移動しました。そのひとつ、ニコライ墓地は赤レンガの門と塀で囲まれ、その中央にステンレス製の日本人墓碑がありました。碑の前で姉の青山日出子さん(70)=名古屋市=は般若心経を唱え、兄の青山国雄さん(67)は「おやじ」と体を震わせて号泣。
当時、母親きみ子さんのおなかにいた松岡さんは「当時のことは何も知りませんが、母や祖父母がつらく悲しい日々を過ごしたかと思うと泣けました」と思い起こします。もう1カ所のトルガシノ墓地は郊外の小高い丘の上にあり雑草が茂り、荒れた状態でした。賢治さんは昭和19年4月に召集され、すぐに旧満州=現中国東北部=の関東軍に配属されました。当時38歳。戦局が切迫していたということで、遅い召集でした。シベリア抑留者は50万人を超え、クラスノヤルスク市では2万人の抑留者のうち約1800人が亡くなったと伝えられています。賢治さんが亡くなった日は、死亡通知書に昭和21年1月8日と書かれていました。松岡さんは「収容所があったと思われる所は風化して点々としていましたが、エニセイ川はゆったりと流れて美しかった」と話します。帰国後、その河原で拾った小石数個を母親に手渡し「もう10歳若かったら、父のいたシベリアに一緒に連れていってあげたかったよ」と、肩を抱いたと言います。それから3年後の平成12年5月5日、きみ子さんは92歳で夫の元へ旅立っていきました。

平和の尊さ伝える
●「すいとんの会」25周年
犬山市で25年間にわたり戦争の悲惨さや平和の尊さを子どもたちに語り続ける「すいとんの会(時々輪斉子代表)」が3日、同市前原台住宅集会所で25周年記念「大すいとんの会」を開催。園児から中学生まで約50人が参加しました。
「戦争を2度と繰り返してはいけない」という強い思いから描いた創作絵本を、子どもたちに読み聞かせる時々輪代表=写真。今回は、同住宅に住む水野恵子さん(72)や小泉功さん(61)、小田昭午さん(75)ら5人もゲストとして参加。 戦時中の苦しかった子ども時代や背中に負ぶった妹に焼夷弾の破片がささり亡くなったこと、父親の赴任先の北朝鮮で子ども時代を送ったことなどを話しながら「なぜ戦争が起きるのか考えてほしい」とも伝えた皆さん。子どもたちも「絶対戦争はしてはいけないという気持ちが一段と強くなった。友人にもこの思いを伝えたい」と話していました。手作りのすいとんをほお張る子どもたちを前に時々輪代表は「戦争の記憶を風化させないよう、これからも平和の大切さや命の尊さを語り続けていきます」と、決意を新たにしていました。

 第三の被爆 第五福竜丸 
大口町でパネル展
大口町役場玄関ホールで19日まで、核兵器廃絶と世界平和を願う「第三の被爆 第五福竜丸 パネル・現物資料展」が開催されています。今から51年前の昭和29年3月1日、アメリカの水爆実験により被災、乗組員全員が放射能を大量に含んだ「死の灰」を浴びた静岡県のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸。乗組員のやけどの状態や報道写真などパネル36点と、放射能測定器や降った灰のレプリカ、航海日誌、被爆者に届けられた手紙など現物10点が展示されています。

 愛知県消防操法大会  大口町消防団 発足以来の快挙
準優勝に輝いた大口町消防団の皆さん ●栄えある準優勝
大口町消防団(大森智団長)は7月23日、豊田市で開催された第50回愛知県消防操法大会の「小型ポンプ操法の部」に参加。タイム46秒11、総得点86・25をマークして、17チーム中の準優勝に輝きました。「操法」とは消火活動を迅速・的確に行い、安全を確保するための消防用具の取り扱いなど基本動作を凝縮したもので、取水から放水により標的を倒すまでのタイムと、各隊員の規律、安全性、迅速な行動などが審査される競技です。

出場したのは指揮者の長谷川剛さん(32、余野分団)、1番員の水谷英史さん(30、秋田同)、2番員の丹羽嘉英さん(29、大屋敷同)、3番員の安藤直也さん(33、上小口同)、補助員の仙田裕和さん(26、河北同)の5人で丹羽消防署員の指導の下、昨年11月から基礎体力づくりを中心とした週2回の訓練を開始。その後、週3回、4回と練習時間を増やし、6月からは早朝練習も行うなど万全の体制で大会に臨み、消防団発足以来の快挙を手にしました。町内9団をとりまとめる仙田昇陽隊長(36、河北分団)は「練習量から考えれば当然の結果」と、大会前から確信していた上位入賞。練習時の43秒のタイムには及びませんでしたが、指の先から腕の上げ下ろし、方向変換の機敏さなどが大きく評価されました。選手たちが「続けられるか不安だった」と口をそろえるほど厳しかったトレーニング。回を重ねるうちに「参加することに意義がある」という思いが「優勝を目指す」に変わっていったと丹羽さんは話し、水谷さんも安藤さんも「結果を聞いたときは涙がポロポロと勝手に出てきた」と、「臥薪嘗胆」を合い言葉に教官に食らいついて行った練習を振り返り、喜びをかみしめていました。

●過去最高の成績3位に 犬山消防団第2分団
犬山市消防団(浅野進団長、168人)には6つの分団があり、第1〜5分団が毎年交代で県操法大会の「ポンプ車操法の部」に出場。ことしの代表・第2分団(河田守分団長、30人)は、同部門に参加した22消防団中3位に入賞、団として過去最高の成績を挙げました。
3位に入賞した犬山市消防団第2分団 指揮者の石田要治さん(37)、1番員の山田拓郎さん(32)、2同の梅田昌彦さん(30)、3同の三坂真也さん(30)、4同の村瀬太一さん(33)と補助員の高木克典さん(42)がチームを組み、5人がポンプ車に乗り込んだところから車の両サイドにあるホースを、それぞれ3本ずつつないで延ばし放水。2つの的を倒すまでのタイムと規律の高さや動作の敏しょう性などを競う戦いです。同市消防本部の指導を受けながら練習を続け、大会当日がちょうど100日目。「伝統ある犬山市消防団の名に恥じない成績を収めることができてうれしいです」と、河田分団長も喜んでいます。
 
戻 る