江南市域の空襲の状況を示した地図。米軍B29部隊が北西方向から3列になって奇襲したと思われます。
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●「戦争」を考える夏
マリアナ諸島(サイパン、グアム)を基地とする、米軍B29部隊による本格的な本土空襲が始まったのは昭和19年11月。同20年3月の東京大空襲からは夜間低高度の焼夷絨毯爆撃も行われ、同6月中旬以降は、全国の中小都市もその対象となっていきました。12日、サイパン島を離陸した第73航空団の118機は琵琶湖上空に達した後、一宮を目指して進入。この日は雲が多かったことから、当時のレーダーでは位置を正確にとらえられず、江南、犬山、大口、小牧など広範囲で被害を受けることになりました。江南市域の被害数は死亡者32人、被災家屋48軒と言われています(丹羽宗房さん『7・13空襲の記憶』と『江南市史』より)。
●古南小も被災
古知野南小学校校舎に投下され発生した火災の、消火活動の様子をつづった古池広一さんの手記『空襲記録』や、空襲体験者の聞き取り調査をまとめた、丹羽宗房さんの『7・13空襲の記憶』。同7月28日の一宮空襲を予告する「日本國民に告ぐ」と表された、古知野地区内で見つかったビラや、学校日誌、焼夷弾の現物が展示されています。「江南市で空襲があったことを知らない人が多くなってきました。戦争体験を風化させないためにも、この事実を伝えたい」と話す丹羽館長。戦後60年、どの世代の人たちにも「戦争」について考える夏になってほしいと、貴重な資料を公開しています。
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