「犬山城主の愛蔵品展」・・・160515掲載

犬山市文化史料館で今月末まで開催中

(左から)成瀬家の家紋が入った具足、家康の遺品ではないかといわれる鎧櫃、小牧長久手合戦図屏風=犬山市文化史料館で
●小牧長久手合戦図屏風など
日本最古といわれ国内で唯一、個人が所有する城として有名だった犬山城は、4月1日に発足した財団法人「犬山城白帝文庫(成瀬淳子理事長)」へ所有者の成瀬家から寄付され、同財団が維持、保存、研究をしていくことになりました。
●(財)犬山城白帝文庫開設記念
天文6(1537)年に築城された犬山城は、別名「白帝城」とも呼ばれ昭和10年に国宝に指定、昭和36年から同40年の解体修理工事以降は、犬山市が管理を行ってきました。財団の設立により、今まで未公開であった成瀬家伝来の古文書などの所蔵品も寄付され、今後は調査研究が進められ一般にも公開していく予定です。同財団の開設を記念して、犬山市文化史料館で「犬山城主の愛蔵品展」が開催されています。

成瀬家から財団法人「犬山城白帝
文庫」に寄付された国宝犬山城。
「酢漿草紋(成瀬家家紋)花色日の丸威具足」(江戸時代)や秀吉が犬山城に滞在時に使用されたと伝えられ近年、家康遺品ではないかといわれる、桃山時代の塗りに近い保存状態の「黒塗菊桐蒔絵鎧櫃」(桃山時代)。家康より拝領した「茶壺(ルソン茶壺)」、成瀬正成が同一画面に2カ所描かれている「小牧長久手合戦図屏風(副本)」(江戸時代)、大将が兵を指揮するときに使った「白熊采配」など、14点が展示されています。成瀬家に伝わる愛蔵品の一部を、犬山城下で展示するこの里帰り展示は30日まで開催され、期間中に数点、展示替えが行われる予定です。犬山城入場料は、大人500円、中学生以下100円で、犬山市文化史料館も観覧できます。犬山市文化史料館の観覧料は100円、中学生以下は無料。

歴史を感じさせる憩いの広場
●犬山城下に新設
犬山市の歴史や城下町の町並みを感じさせる、東丸の内ポケットパーク「大手門憩いの広場」が犬山市犬山北古券にこのほど造られ、地域住民や観光客の憩いの場として人気を集めています=写真。公園づくりに地域住民の声を生かしたいと、昨年8月から4回にわたりワークショップを開催。国土交通省の「街なみ環境整備事業」の補助を受け、広さ528平方メートル(防災倉庫167平方メートルを含む)が完成しました。歴史ある町並みに合わせた白壁やお堀を模した水路など、いにしえを醸し出す空間の中にも、現代人の疲れを癒やす健康遊具の足つぼマッサージや雨水を利用した貯留槽、防災倉庫などが設置され、多目的に利用できる公園となりました。花壇の花は、住民主体のまちづくり団体「北まちレディース」が管理していくことになっています。

最後の和船を送り出す

三品茂さんと送られた和船
●江南の船大工 三品茂さん(88歳)製造 
60年以上にわたり船大工として活躍した三品茂さん(88)=江南市草井町=製造の最後の和船がこのほど再び、アイヌ文化を今に伝える北海道平取町の「二風谷アイヌ資料館(萱野茂館長)」へと旅立ちました。アイヌの人々が使う船は丸太をくり抜いて造る丸太船ばかりのため、本土で使われていた板船も展示し、1年に1度行う祭りでの川下りに使いたいと平成2年、萱野館長からの依頼を受け予備と合わせ2艘の和船を造り1艘を展示。今回送り出した船はその時の予備の船で、全長約10メートル、底幅75センチ。槙の木で造られた船は10年以上たった今も美しい姿を誇ります。「昔は犬山に2軒、江南に2軒、川島(岐阜県)に1軒など、犬山から笠松にかけて17軒もの船工場があった」と話す三品さん。三品さんも12、13歳のころから兄2人と共に父親の元で修業に励んできたそうですが「普段は優しい父も仕事となると厳しくて、朝日と競走で仕事をしていた」。
造っていたのは主に鮎などを捕るための漁船や石などを運ぶための石船など。当時、江南で石やバラスを船に積んで木曽川を下り笠松まで行き、そこでさらに大船に積み換えて桑名まで運んでいたそうです。「若いころは朝から晩まで働き、1カ月ほどで完成させていた」と言う三品さん。人の命にかかわる仕事だけに気を抜くことができず、一人前になるには7年はかかったといいます。また、昭和41年ごろまでは愛岐大橋の少し下流、渡船場近くに工場があり、大水が出ると工場まで水に浸かったことも。その後、工場を移転してからも畳8枚分はある船を一人で造ったことがあるという三品さんは、最後の船に活躍の場ができたことをとても喜んでいます。
 
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