5 アヴェンジャー

 

 

その日、俺は久しぶりに気持ちよく目を覚ました。

昨夜はクスリを飲まなかったせいか、調子がいい。

「ん〜っ・・・」

大きく伸びをする。

その時、犬人の敏感な嗅覚が、さわやかな朝の空気に混じる、わずかな異臭を感じ取った。

青臭い、栗の花のような匂い。

言うまでもない。男なら誰でも嗅いだことのある、アレの匂いだ。

見ると、床のあちこちに丸めたティッシュが落ちている。

昨夜の行動への当てつけ、ってワケね・・・。

そんな俺の、貴重なさわやかな朝を台無しにしてくれた張本人は、まだベッドの上で高イビキをかいていた。

ま、これだけがんばれば、そりゃ疲れるだろうよ。

俺はティッシュを片っ端からつまんで拾い上げると、親切にジーハーの枕元に却してやる。

イビキをかくジーハーの顔が歪んだような気がしたが、俺は気にせず部屋を出た。

 

 

「おはよー」

階下に降りると、ルシアがすでに起きていて、モーニングを取っていた。

こういうホテルは、大抵が食堂も経営している。

俺は食堂のおばちゃんにルシアと同じ物を注文すると、席に着いた。

「・・・早いな。昨夜あんまり寝てないハズだろ?」

昨夜のルシアとの会話を思い出し、俺は言う。

「そうかな? でもほら、昨日は一日中休んでたみたいなものだから。・・・ノヴィスのおかげでね」

「・・・悪かったね」

俺はふてくされて頬杖をついた。

「別に皮肉で言ったワケじゃないんだけどね。・・・ジーハードは?」

「まだ寝てる」

昨夜はずいぶん精を出したみたいだから。

その言葉は口には出さない。

「ねえ・・・」

ルシアが口を開きかけたとき、食堂のおばちゃんがモーニングセットを運んできた。

俺はそれを受け取り、口をつける。

メニューはトーストにサラダ、ゆで卵だ。

「・・・何?」

「え? 何が?」

・・・いや、それはこっちのセリフだ。

「今、何か言いかけただろ?」

「ああ・・・」

ルシアは気まずそうに頭を掻くと、重い口を開いた。

「んっと、ノヴィス達ってさ・・・」

「んー?」

俺はサラダをモリモリと口に詰め込んでいたので、そんな相槌しか打てない。

「・・・えっと、その・・・やっぱり、付き合ってるの・・・?」

――ぶはあ。

俺の口から、サラダが飛び散る。

「うわやだ! 汚っ!」

「だっ、誰のせいだ! 誰の!」

俺は顔面蒼白になって叫んだ。

ま、まさか昨夜のアレ、見られたんじゃ・・・!?

「えー、だってー」

「だってじゃないっ! そんな、そんなコト、あ、あるわけないだろっ!」

しどろもどろになりながらも、何とか言葉を口にする。

「そうなの? あたしはてっきり・・・」

「誤解です。思い違い。勘違い。間違い」

俺は飛び散ったサラダを片づけながら、努めて冷静に言い放った。

「そ、そもそも、なんの証拠があって、そんな誹謗中傷を口にするのかね?」

「ん〜・・・女のカン?」

恐るべし女のカン。

俺は内心舌を巻いた。

「か、確証も無しに人を犯人呼ばわりしてはいけないよ?」

犯人ってなんだ? 俺は自分自身にツッコんだ。

「確証ってほどでもないけど、昨日二人の部屋に行ったじゃない? その時、ベッドが一つしか乱れてなかったから、ああ、二人は一緒に寝てるのかなー、って」

うわ、よく見てやがる。

「あ、あれはホラ、一昨日俺は侵蝕で大変だったから。ジーハーが寝ずに看病してくれたんだよ」

俺はとっさに言い訳を考え、口にした。

うん、とっさにしてはいいデキだ。

「そっか」

「そうそう。現に昨夜は別々のベッドで寝たぜ? 信じられないなら、見に来てみるか?」

言ったあと、俺はしまったと思ったが、もう遅い。

何しろ、今現在俺達の部屋には、栗の花に埋もれた全裸のジーハーが寝ているのだ。

昨夜は何もなかったとはいえ、コレを見られたらさすがにヤバイ。

「別に信じてないワケじゃないよ? ただ少し気になっただけだから」

「そ、そう。それならいいんだ」

あ、あっぶねー・・・。

俺は思わず冷や汗をぬぐった。

「でも、あたしそういうのに偏見無いから。別に隠さなくたって平気だよ?」

「隠してるワケじゃないよ。事実をありのままに話しただけだ」

うん、そうだ。

俺達は別に付き合ってるワケじゃない。

・・・そのハズだ。

「そっか。・・・じゃあダメかな・・・」

「ん?」

「あー、うん、なんでもない」

ルシアは照れたように笑った。

 

 

朝食を終えると、俺はクスリを取り出して飲んだ。

ルシアが興味ありそうにしていたので、見せてやる。

「飲むなよ?」

「飲まないって」

瓶の中からカプセルを一つ取りだして、光にかざしてみる。

見た目は普通のクスリだから、そんなことをしたって何かわかる訳でもないが。

「そいつのおかげで、イグドラシルは強制的に眠らされ、俺は未だに俺でいられるってわけだ」

それでもさすがに満月の晩には効果が無いけどね。

俺はそう付け加えた。

このクスリを練丹した錬金術師曰く、

満月はイグドラシルの力を活性化させる、だそうだ。

「このクスリって、一体どんな効能なの?」

「んー、一言で言えば、除草剤だな」

「除草剤?」

「そ。昨夜も見ただろ? イグドラシルは、植物と同じ形態を取ってる」

「なるほど。だから除草剤が効くんだ」

どうやらルシアはわかっていない。

除草剤とは、植物を殺すクスリではなく、大地を殺すクスリだということを。

イグドラシルにとっての大地、つまり、俺を。

「・・・そういうこと」

また泣かれたら厄介だ。この先は言わない方がいいな。

昨夜俺は「自殺の権利を取り上げられた」といったが、あれは正確ではない。

実は一つだけ、方法がある。

イグドラシルが反応するのは、直接的な攻撃のみ。

じわじわと死ぬ分には、おそらく対処できないはずだ。

俺に残された対抗手段、それは服毒死。

とはいえ、即効性の猛毒だと、イグドラシルに気付かれて、ひょっとしたら毒を無効化されてしまうかもしれない。そこでこのクスリの登場というわけだ。

イグドラシルの侵蝕を抑えることができる上、俺の身体は確実に毒に蝕まれていく。

このペースで行けば、イグドラシルが俺の身体を乗っ取る前に、死に至る。

もしコイツの侵蝕の方が早かったとしても、俺の身体に残された時間は無い。一泡吹かせてやれるって寸法だ。

「そうそう思い通りにはさせるものか、ってね」

その言葉の真意がわからないルシアは、ふうん、と頷いた。

 

俺達がそんな会話をしていると、ジーハーがやっと降りてきた。

「おはよー」

「おはよう。・・・爽やかな朝だねえ」

俺はニヤニヤ笑いながら挨拶する。

ジーハーはムスッとしていたが、きっとまだ眠いんだろう。

「おばちゃーん、オレにもメシー」

ぶっきらぼうに注文すると、どっかりと腰をかける。

ジーハーの巨体を乗せてイスが軋んだが、気にする様子はない。

「んで? もう大丈夫・・・みてえだな」

ジーハーは俺を一瞥して呟いた。

「おかげさまでね。メシ食ったら早速出発しようか」

「・・・そうだな。誰かさんのせいで遅れちまったからな」

う。

「そうね。急いだ方がいいかもね」

ルシアまで。

チクショウ、昨日まであんなに心配してたくせに、元気だとわかった途端手のひら返したように態度変えやがって。

俺がふてくされると、二人は顔を見合わせて笑った。

・・・チクショウ。

 

 

流れる景色。

揺れる体。

――数刻の後、俺達は汽車の中にいた。

とくにコレといってすることのない俺達は、それぞれ思い思いの方法で暇を潰していた。

ルシアは刀の手入れをしている。

美しく光る刀身に打ち粉をまぶし、紙で拭き取るという作業の繰り返し。

この揺れる車内で、よく指を切らずにできるものだ。相当手慣れているのだろう。

ジーハーは、さっきまで読んでいた雑誌を顔の上に載せて居眠りしている。

手には、握力を鍛えるグリップが握られていた。

そして俺はというと、召喚魔法の術式の最適化の真っ最中だった。

できるだけ無駄をなくし、効率のいい構成式を考えるというのは、一日中やっていてもまるで足りない。

手にしたノートにはびっしりと式が書き込まれている。

それを覗き込んだルシアとジーハーは、こめかみを押さえて退散した。

・・・やってみると、難解なパズルを解くみたいで、意外と楽しいんだけどな。

もちろん俺の天才的頭脳でなければ解けないパズルだが。

 

そんな俺達の平和は、唐突に終わりを迎えた。

キキーッという、耳をつんざく金属音。

傾く世界。

悲鳴。

一体、何が起きたのかわからなかった。

いや、それが、汽車の急ブレーキだというコトは容易に想像できた。ただ、なぜこんなところで急ブレーキをかけたのかがわからなかった。

「きゃっ」

前の座席に座っていた俺に向かって、ルシアがもたれかかってくる。

だがしかし、彼女を受け止めるより早く、俺は身をかわしていた。

――とすっ。

一瞬前まで俺のいた座席に、サムライソードが突き刺さる。

「あっ、あぶなっ・・・!」

「あ、ごめんごめん」

いや、ちょっと待て。

一歩間違えていたら、ゴメンで済む問題じゃないぞ。

・・・まあ、俺の体はイヤでもイグドラシルが守るだろうけど。

「な、なんだあ、一体!?」

無様に床に転がったジーハーも飛び起きる。

「なんだろうな?」

俺は窓を開けて外の様子を見た。

車体のあちこちで、ブレーキがシューシューと蒸気を噴きだしていた。

線路は緩くカーブしていたので、車窓からでも先が確認できる。

その汽車の進路には、巨大な岩が転がっていた。

「落石だわ」

「あぶねえなあ」

・・・ふむ?

俺は少し考えて、それがただの落石ではないと気が付いた。

「いや、違うな」

「え?」

「よく見ろよ。たしかにここら辺は岩場で、それなりに高い山もある。でも、そうそう都合良く線路の上に、それもあれだけの岩は落ちてこない」

「そういうモンか?」

「そういうモンだ」

「じゃあ意図的に置かれたものってことね? 列車を脱線させるために!」

「いや、もし最初からそのつもりなら、これだけ見通しのいい場所は選ばない。それに、もっと小さな石でも充分だしな。あの岩は、機関士に気付かせて、汽車を安全に停車させるための、ヤツらの罠だな」

「なんのために?」

「ヤツら?」

「そう」

俺が言うと同時に、岩場の上にひょこひょこと影が現れる。

「――山賊さ」

 

「あー、ホントだー」

呑気な声でルシアが言う。

「でもよお、親切に停車なんかさせずに、脱線させちまっても問題なかったんじゃねえの? ヤツらにしてみりゃ、同じコトだろ?」

「わりと人道的な山賊だったとか」

『いや、それはない』

俺とジーハーの声がハモった。

「・・・確かに、この方法だと抵抗を受ける危険があるな。しかし、脱線させてぐちゃぐちゃに引っかき回された車内を漁るより、安全に停車させて乗客達を脅し、自ら財布を差し出させた方がラクだと考えたのか。それに、もし火でもついてお宝が全部燃えちまったら、目も当てられないしな。

あ。ひょっとすると、人質を取ってさらに稼ごうと考えているのかもしれない。

あるいは・・・殺戮を楽しみたかったとか、女をさらいたかったとか・・・いずれにしろ、俺には犯罪者の考えることなんて想像もつかんがね」

俺の意見を聞いて、二人はボソボソと内緒話を始めた。

「・・・ねえ、ノヴィスって、そっちの方が向いてるんじゃない?」

「・・・オレも時々そう思うことがある」

・・・聞こえてるんですけど。

犬人の聴覚を侮るなよ。

俺はコホンと咳払いをすると、二人に言った。

「さあさあ! カモがネギ背負ってやって来てくれたんだ。せいぜい稼がせてもらおうや」

「そうだな。あれだけの人数なら、全部とっ捕まえればそこそこ金になるだろ」

「セリフは悪役っぽいけど・・・賛成ね」

話はまとまった。

俺は一瞬で考えた作戦を、二人に指示する。

「乗客を人質に取られると厄介だ。ヤツらを水際でくい止めよう。この汽車は6両編成だったから、前3両はジーハー、後ろ3両はルシアに任せる」

「・・・ノヴィスは?」

「相手は雑魚だ、俺が出るまでもないだろ? ・・・といいたいところだが、そうもいかんか。俺は乗客を避難させると同時に、車内に入り込んできた敵を片づける。ってのでどうだ?」

「・・・なんか、自分だけ楽な仕事選んでねえか?」

と、ジーハー。

「楽なものか。乗客のパニックを抑えつつ、安全にかつ迅速に誘導しなきゃいけないんだぞ」

外で幻獣に命令していた方が、ずっとラクだ。

「なんだったら代わってやろうか?」

俺の意地悪な問いに、ジーハーは返事に窮した。

「とにかく。列車の中に敵を入れなければいいのね?」

「ああ、なるべくな。俺はできるだけ早く乗客を先頭車両に避難させる。そうなったら、あとは先頭車両だけ守ってくれればいいから」

「オッケー」

「おう。わかった」

「よし、じゃ、行動開始! ・・・っと、その前に。三つ星以下の首はできるだけ殺すんじゃないぞ?」

前にも言ったと思うが、星五つ以上の賞金首は例え殺害してしまっても、褒めてもらえる。

星四つになると、しょうがないなあ、と注意される。

が、星三つ以下になると、さすがにそれだけでは済まされない。

「罰金なんて、払いたくないからな」

「おう!」

「完全に悪役の会話よね、これ」

わざとだって。

 

 

「はいはーい、落ち着いて、落ち着いてー」

俺は最後尾の車両まで走ると、乗客に今の状況を説明し、順番に先頭車両へと追いやった。

幸い、乗客の数は多くない。

皆不安そうな顔をしながらも、今のところは俺の指示に従ってくれている。

「・・・お兄ちゃん、大丈夫・・・?」

俺のジャケットの裾を、小さな手が掴んだ。

見ると、まだ10歳にも満たない少女が、目に涙を浮かべて俺を見上げている。

「大丈夫。外にはスッゴク強いお姉さんと、わりと強いオジサンがいるからね。安心してお兄さんの言うとおりにしていなさい」

ぽん、と頭に手を置いてやる。

正直言って、子供の相手は苦手なのだが。

それでも少女は気を楽にしたか、うん、と頷いてくれた。

「な、なあ、一カ所に集まったら、かえって危険なんじゃないのか?」

中年の親父(俺と同じ犬人だった)が俺に食って掛かってきた。

「みんなまとまっているところに爆弾でも投げ込まれたら・・・!」

その一言で、俺の言うことを聞いていてくれていた他の乗客にも不安が広がっていく。

中には肩を抱いて震える婦人の姿もあった。

・・・パニックが起こる前に手を打った方がいいかな。

「大丈夫。山賊が俺達を殺すつもりなら、最初から脱線させてる」

「し、しかし! それは私たちが抵抗しなかったらの場合であって・・・!」

「じゃあ、素直に金を差し出すかい?」

「い、命が助かるのなら、仕方ない」

乗客達がざわついた。

まずいな。

このままじゃパニックを起こしかねない。

「まあ、それで助けてくれるような心の広い人間は、山賊なんてやっちゃいないと思うがね」

「無駄な抵抗をするよりはいい!」

「じゃあ、あんたはここに残って山賊と交渉すればいい。俺達は先頭車両に避難させてもらう」

「なっ、なんだと!?」

俺はやれやれと肩をすくめると、言い切った。

荒療治だが仕方ない。ここは一つ、嫌われ役を引き受けるか。

「勘違いするなよ? 俺にはあんた達を守ってやる義務も義理もない。純粋な善意で守ってやろうと言っているだけだ。それが余計なお世話だというのなら、俺の指示に従う必要はない。

ただし、その場合自分の身は自分で守れよ? もしヘマして山賊の人質になっても、俺は助けない」

ちらりと、少女に目を向けて。

「――たとえ子供でもね」

中年親父が言葉を失う。

他の乗客も、かなり不満そうではあるが、文句は言ってこなかった。

いや、一人だけ、一歩前に出てきた男がいた。

虎人だった。歳は40くらいだろうか。逞しい体には脂肪が乗り、少し丸みを帯びている。

しかし、特筆すべきはやはりその顔の傷だろう。右の頬に二本の傷。左眉の上から頬骨にかけての刀傷。目の上を通ってはいるが、その瞳は老いてなお、鋭い眼光を放ち続けている。

・・・はて。どこかで見たことがあるような人相だが。賞金首だろうか?

「じゃあなんだ、おめェさんの言うこと聞いてりゃ、必ず助かるとでも言うのかい?」

虎人が言う。

俺はキョトンとした。

言葉の意味がわからなかった、とでも言いたげに。

「・・・当たり前じゃないか」

「・・・その自信はどっから来るんだ?」

「自信? そんなものはない。俺にあるのは、確信だけだ」

虎人が唖然とする。

やがて、豪快に笑い出した。

「はっはっは! こりゃいい! じゃあせいぜい見せてもらおうじゃねェか。『黒き翼のノヴィス』の実力の程をよ」

俺の二つ名を知っていると言うことは、同業者か。

その時、俺はこの虎人の名前を思い出した。

そうだ。アイツだ。知名度だけで言えば、俺より遙かに上の、凄腕の賞金稼ぎ。

「安心してていいぜ? 俺が完璧に守ってやる。『向かい傷のガルヴァ』さん」

ガルヴァ・ウォーレス。通称、向かい傷のガルヴァ。

一昔前は伝説とまで言われた賞金稼ぎだ。

最近はめっきり話も聞かなくなったから、てっきり死んだと思っていたが。

ガルヴァはフンと不敵に笑うと、

「だ、そうだ。いっちょこの若造に、命預けて見ようじゃねェか」

 

 

俺が、乗客達と向かい傷のガルヴァの相手をしていたその真っ最中。

ジーハーは、車両の外で山賊相手に奮闘していた。

 

迫るナイフを上体を落として躱し、みぞおちに肘をたたき込む。

その場でくるりと回転し、そいつに背中をぶつけてはじき飛ばす。

飛んできた味方を受け止めるような形で2、3人が倒れた。

新たに向かってくる敵には、まず掌底を入れて動きを止める。そのまま飛びかかるように膝蹴りをすると、そいつはまた数人を巻き込んで倒れた。

ジーハーの拳法は一対多数でも通用する。ひょっとしたら、元々そういう武術なのかもしれない。

これだけ混戦になると飛び道具も使えないらしく、銃器で撃たれる心配は無さそうだ。

ジーハーは、生き生きと戦地を駆け抜けた。

拳ももちろんそうだが、彼の武器は主に関節。といってもサブミッションのことではなく、肘、膝、肩などのいわゆる人体の尖った部分、硬い部分だ。

格闘経験ゼロの俺にしてみれば、肩が武器になるなんて思いもしないが、ジーハーは背中を向けたときが一番怖い。

斬りかかってきた相手の袖を掴んで引っ張ると、勢いづいていた相手はたたらを踏んでバランスを崩す。

ジーハーは引っ張った勢いも利用して相手の背後に回り込む。ちょうど、背中合わせの恰好だ。

そこで得意の背中を繰り出して、相手を見事に吹き飛ばした。一見するとただ背中合わせで体当たりしただけのようにも見えるのだが、それにしては面白いように飛んでいく。きっと常人では計り知れない体重移動の賜だろう。

新たな山賊が斬りかかってきた。

繰り出される剣を捌き、その腕をくぐる形で相手の懐に飛び込む。肩を相手の胸に当てる形で押し上げ、はじき飛ばす。流れるような、見事な体捌き。

技の名前がわかれば、もっといろいろ解説していけるのだが、いかんせん肝心のジーハーが技の名前を覚えていないので、無理な話だ。

今度は、ジーハーと同じように拳を構えた敵が襲ってきた。

ジーハーは、繰り出される相手の拳を払い、隙を見て相手の左拳を、同じく左手で捕らえる。捕らえた拳を引っ張って相手の体勢を崩し、ジーハーの右足がそのこめかみを狙う。

しかし、今度の相手も格闘経験があるらしい。彼はジーハーの力に逆らわず、頭を下げてその蹴りをやり過ごした。

相手の頭を跨ぐ形になってしまったジーハーだが、彼はさらにその上を行っていた。

躱された足で地面を強く蹴り、蹴り返す。

まさか躱した足が戻ってくるとは思わなかったのだろう。顔を上げたその相手は、まともに首を薙がれて仰向けに倒れてしまった。そこへトドメの一撃をたたき込むと、ジーハーは素早く相手から離れた。

飛び散った汗が光る。

・・・なんというか、普段のジーハーからは想像もできないほどカッコイイ。

普段からこうだったら、俺ももう少し自分の気持ちに素直になれるんだけどな。

・・・・・・。

って、何いってんだ俺。

違うぞ。俺は別に、ジーハーに間違った感情など抱いてないっ。

 

 

ところ変わってこちらはルシア。

ちなみに、彼女の戦場は俺のいる車両から遠く離れているので、直接見られるわけではない。

にもかかわらず、まるでその場で見ているかのように状況説明するのは、まあ、ご愛敬だ。

ルシアは抜刀状態のまま走り、次々と敵を切り伏せていた。

得意の居合い切りを使わないのは、あれは一撃必殺の技だからだろう。

サムライ・ソードは片刃の剣。握りを変えればそれは「峰打ち」となって打撃武器へと変化する。

できるだけ殺すな、という俺の命令を忠実に守っているのだろう。

あるいは、人を斬るのに抵抗があるのか、ただ単に罰金を払いたくないだけか。

繰り出される剣戟を刀で受け流し、すれ違いざま、胴を薙ぐ。

ずんっ、という鈍い音を立ててそいつは倒れた。

ルシアの剣術はかなりのものだ。たとえ峰打ちでも、当たり所が悪ければ致命傷になるだろう。・・・というか、彼女に斬られた者は全員、鎖骨やアバラを折るなどの重傷を負っている。コレは、かなりエグいかもしれない。

倒した敵には目もくれず、次の獲物を求めてルシアが走る。

神速の域に達した踏み込み。

その刀は、もはや閃光としか認識できない。

彼女の駆け抜けたあとには、ただ累々と横たわる哀れな山賊達。

悪鬼さながらに人を斬るその姿に、山賊達は恐れをなして逃げ出した。

・・・・・・彼女だけは怒らせないようにしよう。

 

 

「なんだ、もうおしまいか?」

撤退していく山賊を車窓から眺め、ガルヴァはタバコの煙と同時に吐き出した。

「だらしねェな、最近の山賊は。根性ってモンがありゃしねェ」

「残念だったな。この俺の実力が見られなくて」

内心ホッとしながら、俺は言った。

「別に構わねェよ。大したこたァ無さそうだ」

「なに・・・?」

俺が聞くより早く、虎人は太い腕をこちらに伸ばした。

その手に握られているのは、拳銃。

「!」

まるでためらいもせず、ガルヴァはトリガーを引いた。

たたたっ、という軽快な音と共に、弾丸が飛び出す。

どさり、と何か重いものが倒れる音が聞こえ、続いて悲鳴。

せっかくおとなしかった乗客達が、狂ったように何か叫んでいた。

「・・・・・・?」

倒れたのは、俺じゃない。

思わず閉じていた目を、おそるおそる開けてみる。

銃口とタバコから煙を立ち上らせ、ガルヴァはニヤニヤと笑っていた。

「・・・ま、いくら何でも気付いてねェわきゃねェか」

振り向くと、俺のすぐ後ろで山賊とおぼしき男が倒れていた。

どうやらガルヴァが撃ったのはこの男らしい。

しかし、この男は気配を消していた。正直、俺は全く気付いていなかったのだが。

「それにしても、素手で受け取るたぁ、思わなかったがね」

言われて始めて。

俺は右手の中にあるナイフに気が付いた。

イグドラシルだ。

この山賊が投げたナイフを、イグドラシルが掴んだのだ。彼が動いたと言うことは、このナイフは俺の命を奪うに足るものだったということか。

今更ながら、冷や汗が出てきた。

「余計なことしやがって」

精一杯の強がり。

イグドラシルと、ガルヴァに向けて。

ガルヴァは、肩をすくめただけだった。

 

その後。

動けなくなった山賊達をふん縛り、線路を塞いでいた岩を召喚した幻獣で撤去して。

ようやく、汽車は走り出した。

山賊達は一番後ろの車両にまとめて押し込み、俺達三人が見張りをすることになった。

「ごめん、何人か殺しちゃった」

まるで「皿でも割っちゃった」みたいなノリでルシアが舌を出す。

・・・ホント、この女だけは怒らせないようにしよう。

「構わないよ。俺も一人殺っちゃったし。でもこれだけ捕まえれば、おつりの方が多いだろ」

非人道的と言う無かれ。

殺されるのがイヤなら、最初から山賊などやらなければいい。文句の言えた立場ではないのだ。

「え? 中に入られたのか?」

一人も殺さなかったジーハーが言う。

「ああ。気配を消すのが上手いヤツだった」

「殺ったのはオレなんだけどな」

ドアを開けて、傷の虎人が入ってきた。

・・・盗み聞きしてやがったな。

「まあな。でも、曲がりなりにも俺を助けてくれたわけだし、罰金は持ってやるよ」

どのみち、ガルヴァが撃っていなかったら、イグドラシルが反撃して殺していただろうし。

「えっと?」

「誰?」

そっか。二人には話してなかったな。

「ガルヴァ・ウォーレス。向かい傷のガルヴァだよ」

二人は目を丸くした。

しきりに、へえ、とか、コレがあの? とか言ってる。

ガルヴァは別段気にした素振りも見せず、タバコをくわえた。

ジーハーの物欲しそうな視線に気付いて、一本差し出す。

ジーハーは尻尾を振ってそれを受け取った。

「手の傷はもういいのか?」

紫煙をくゆらせながら、ガルヴァ。

「大したこと無い」

「何? ノヴィス手ケガしたの?」

「飛んできたナイフを、素手で掴みやがったからな」

ガルヴァの言葉に、二人は声を失った。

もちろん、それが俺の意志ではなく、イグドラシルの仕業であると気付いたからだ。

「しかし、わからねェな」

ガルヴァは煙を吐き出し、探るような視線を向けてきた。

「なにがかな?」

「おめェだよ、黒き翼の。・・・おめェ、ホントはあの暗殺者に気付いて無かったんじゃねェのか?」

内心の動揺を悟られぬよう、俺は肩をすくめた。

「おいおい、なら、どうやってナイフを受け止めるんだよ?」

「それがわからねェ、っつってんだ。そもそも、いくら気付いてたって、飛んでくるナイフを、振り向きもせずに受け取れるモンかね?」

「実際、受け取ってしまったんだから仕方ない」

なんだかイヤな予感がする。

イグドラシルのことは、この男には話さない方が良さそうだ。

俺のカンが、そう告げていた。

「そもそも、気付いてたんなら、相手がナイフを投げる前にしとめりゃいいだろ。その時間は充分にあったんだ」

ということは、ガルヴァはずっと前からあの山賊に気付いていたってことか。

にもかかわらず、相手がナイフを投げるのを待ってから撃った。

俺の力を計るため、か・・・?

「あんたと同じ理由だよ」

俺がニヤリと笑ってみせると、ガルヴァは傷に跨がれた眉を跳ね上げて「なるほど」とだけ言った。

「ね、ねえねえ」

俺達の空気に不穏なものを感じ取ったのか、ルシアが割り込んできた。

「ガルヴァもやっぱり、サイラスを追ってるの?」

「あ? 誰でェ、そいつぁ」

「なんだ、しらねえのか。500万の、大物賞金首だぜ? しかも星七つ」

ジーハーの言葉を聞いて、ガルヴァは片方の眉を跳ね上げ、「ああ、エサに食いついたか」と呟いた。

犬人の俺にしか聞き取れないほど、小さな声で。

・・・エサだと? どういうことだ・・・?

しかし、俺が問い詰めるよりも早く。ガルヴァは興味なさそうに煙を吐き出し、

「そんな雑魚にゃ、興味ねェな。オレが追ってるのは、もっと大物なんでね」

と、うそぶいた。

「へえ。やっぱ伝説の賞金稼ぎともなると違うなあ。どんなのを追ってるんだ?」

「なに、たいしたヤツじゃねェよ」

ガルヴァは、床にタバコを落として踏みつけた。

そしてあろう事か、俺をまっすぐ睨み付けて。

「――ただの天使だ」

 

場に緊張が走る。

・・・この男、どこまで知っている・・・?

「天使、ね。そりゃまた、ずいぶんとメルヘンな話だな」

俺はすっとぼけた。

「ああ。我ながらそう思うよ。

・・・聞くところによると、おめェさん、黒き翼の天使、とも呼ばれてるそうじゃねェか。よければその由来を教えてほしいモンだがね」

「さあね。おおかた俺の召喚した幻獣が、そう見えただけなんじゃないのか?」

俺とガルヴァの視線が火花を散らす。

雰囲気に圧倒されて、ルシアとジーハーは会話に入ってくることができないでいた。

「・・・・・・」

ガルヴァの目が、俺を見据える。

俺も負けじと睨み返す。

「・・・・・・」

最初に目を逸らしたのは、ガルヴァの方だった。

「ふん。まあいいさ。・・・おめェをどうこうするのは、オレの仕事じゃねェ」

妙なことを言う。

「そりゃそうだ。同業者に狙われるようなコトをした覚えはない」

ガルヴァはフンと鼻を鳴らして背中を向けると、ドアを開けた。

そんな背中に、俺は声をかける。

「なあ。アンタはなんで天使なんて探してるんだ?」

ガルヴァは首だけ振り返り、

「・・・復讐さ」

傷に跨がれた左目で、そう言った。

 

 

 

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