消えゆく家庭の発酵ずし
12年1月16日付・朝日新聞(名古屋本社版)より

        家庭のすしを取材し始めて約二十年。
これまで各地を訪ね歩き、おかげさまでたくさんの方々と知り合うことができた。
全国を食べ散らかしているから、知り合いは全国にいる。
これはたいへんありがたく、かつ心強いことだと感謝している。

 この正月も、そうした皆さんからずいぶんと年賀状をいただいた。
紙面の隅に「今年もすしが漬かってますよ。ぜひ食べにお越し下さい」などと書いてあると、
たとえそれが社交辞令であるにせよ、こちらは嬉しくなってしまう。
事情が許せば、すぐにでも飛んで行きたい気分である。
そんな気持ちを察してか、自作のすしを宅配便で届けてくださった方もいる。

 こう書くと、「すしのようなナマモノが、宅配で送れるのか?」とか
「すしを漬けるとはどういうことだ」という声が聞こえてきそうだが、
正月料理として話題に上るすしとは、多くの場合が「発酵ずし」だ。
いわゆるナレズシ。
ご飯の中に塩漬け魚を漬け込み、何週間も熟成させて酸味を出す発酵食品である。

北海道・東北の飯ずし、富山・石川のカブラずし、福井のニシンずし、
長野の万年ずし、鳥取のシイラずし、熊本のねまりずし(「ねまる」とは「腐る」の意)…。
いずれも酢を使わずに自然発酵させたすしで、正月の食卓をにぎわせる。
この地方では、岐阜県飛騨地方の寝ずしや、
三重県熊野地方のサンマずしなどがその典型として挙げられよう。
特殊な例ではあるが、岐阜市内の鵜匠さんたちが歳暮として配るアユずしも、
正月特有の発酵ずしである。

 さて、これらのすしの味つけは、基本的には、魚身にすり込まれた塩だけによる。
しかもそれは、一定量の塩を塗りつければ済むというものではなく、
いったん塩からすぎるまでに塩漬けし、あとで水にさらして塩気を抜くという方法で仕込まれる。
したがって、できあがりのすしの味は魚の塩抜き加減が大きく作用する。
加えて、発酵の具合は天候にも左右される。
寒ければ塩気を控えるか熟成期間を長くし、暖かければ塩をきかせる。
こうなると、よほどのベテラン主婦でも、毎年同じ味を出すのはむずかしい。
まさに「名人芸」の域で、
うまくできあがれば「食べにおいで」と誘いかけたくなるのもよくわかる。

しかしながら、と言うべきか、それゆえに、と言うべきか、
この種のすしは今、どんどんと衰退の路をたどっている。
まず、その手間がいとわれる。
美味しくできあがるかどうかわからないものに
少なからぬ出費と何週間もの期間を賭けるのは、なるほど、敬遠もされよう。
しかし、より大きな理由は、食べ手が少なくなったことである。

 昔に比べて今の家族は少人数だ。
ひと桶・ひと樽単位で作られる発酵ずしは、たくさん作れすぎてしまう。
さらにできあがったすしは、発酵食品ゆえに独特の香りがある。
「ナレズシとは、食べナレればおいしいスシだ」とはまさに名言で、
食べ慣れていない人には異臭を放つシロモノにしかすぎないことがある。
とりわけ、味覚の未発達な若年層には「手ごわい食べ物」かもしれない。

要するに、手間暇かけて作っても、喜んで食べてくれる人が少なくなった。
これでは作り手としては張り合いがない。
雑煮やお節料理と違ってこれらのすしは、正月料理ではあるけれども、
「絶対不可欠」というたぐいのものでもない。
だから比較的簡単に、「もう作るのはやめよう」という気分になる。

 もちろん、毎年毎年こうしたすしを作り続けておられるご家庭も、各地にまだまだ健在だ。
かつて取材させていただいた方々からの年賀状で、
皆さんがそれぞれに自作の発酵ずしを守っておられることをお知らせいただくと、
心密かにエールを送っている。
それが私の正月の恒例行事なのである。

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