○根尾谷断層巡検(平成11年8月8日) 晴れ

 濃尾地震について <「地震断層観察館」パンフレットより>

 1891年10月28日6時37分、東海地方をおそった濃尾地震は、根尾谷を震央として大きな爪跡を残しました。根尾村の犠牲者145名。全家屋1319戸の内、8戸を残してほぼ全壊。村は、一瞬にして壊滅的な打撃を受けたのでした。
 この地震のマグニチュードは8.0と推定され、わが国内陸部に起こった地震としては史上最大のものです。

地震断層の規模     ・延長距離 約80km    ・最大左横ずれ 8m    ・垂直方向 6m
   
参加者全員集合の記念写真。断層と道路が交差する場所にて。

 からっと晴れてとても暑い日になりました。水鳥(みどり)の駅前に集合して、早速、断層観察館へ。

 館内では、濃尾地震の様々な資料をじっくり見学。実際の断層面をトレンチ (深い溝)で観察できるスペースでは、黒い岩盤のずれがはっきりと見られました。また、3Dメガネをかけてリアルな映像と地震のゆれを体験するコーナーでは、驚きの連続でした。

 赤線で囲まれた部分が盛り上がっている様子が分かります。
 早めに昼食を取り、午後からは地震の足跡をたどってハイキング。まずは、先ほどのトレンチでも観察した、世界的にも有名な6mの断層崖を南側からながめた後、断層崖の上部から観察。高さに圧倒されました。続いて、500m位北へ移動したところにある東西断層と呼ばれる部分を観察しました。先ほどの6mのずれを生じた断層と、この東西断層、そして根尾川に沿った断層の3つで囲まれた三角形の部分が隆起したことがはっきりわかりました。
 さらに北へ移動して、橋の横にある断層破砕帯部分の断層粘土を観察し、板所(いたじょ)地区へ。そこでは、濃尾地震によってできた池や、水平方向のずれが観察できる細い道を観察しました。
 さらに歩くこと数十分、最終目的地である中地区の畑へ到着しました。ここでは、畑の境になっていたお茶の木の列や畑へ続く小道の様子から、水平左方向にずれたことがはっきりわかりました。

 本来は、赤線のようにまっすぐに並んでいたお茶の木が、黄線のように曲がっている。これは、青線のように地面が左向きにずれたことを物語っている。

 歩き疲れて、くたびれた様子の参加者たち。
 午後だけでも、かなりの距離を歩くことになり、参加者はへとへと状態でしたが、歩く機会の少ない我々にとっては貴重な一日になりました。(^_^)v
 ところで参加されたみなさん、次の日は大丈夫でしたか?

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