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2012年 3月
 3月31日 ☆医者にて・・・  今日、医者に行ってきた。目的は、今月の初めに行った検査の結果を聞くことと、花粉症とヘルニアの薬をもらうこと。
 まず、内科の前で待つこと30分。私の名前が呼ばれた。医者は、検査結果を見てまず一言、「予備軍やなぁ・・・」と。「心筋梗塞、脳梗塞、糖尿、高血圧・・・これらの原因は一つです。それは脂肪。いわゆるメタボリックシンドロームです。先進国で、これが問題になってきているのは日本だけです・・・国家戦略として平成20年4月から・・・。」とお話をいただきました。ようするに、食生活と運動不足に大いに問題アリということで、「よく考えてください。」と釘を刺されました。また、「毎日時速6kmで1時間歩いてください!それでも300kcalにしかなりませんが。」とも。300kcalなんて、菓子パン1個でハイ終わりというエネルギー量で、ついつい食べてしまう量でもある。まぁ、これから生活も変わるので、より気をつけなければならない。
 そのあと整形外科に行こうと思ったが、内科の方が「整形の分もあずかってます」と、薬だけの処方箋を準備してくださった。まぁ、見ていただいても何ら変わることもなく、なにするわけでもないので、薬がもらえればいい。
 支払いを済ませ、薬局へ行き、薬をいただく。今日は5000円なり!まぁ、今回も自分のため、投資させていただくことにします。
 3月30日 ☆ETCデビュー 

 職場が変わることを踏まえ、ついに、わが愛車にETCがつき、今日、そのデビューとなった。はじめてゲートを通った時には「このままバーが上がらなかったらどうなるのかな?」と、ドキドキしながらスピードダウンして・・・無事通過!「ふ?ぅ」が正直な気持ち。よかったぁ?。
 ところで、今日高速道路を走っていると、引越社のトラックが多々見られる。考えてみれば、今日からの3日間は引越まっただ中ではないか!私も例外ではないのだが、何もかもつきのアパートを選択したので、物の移動は布団くらいでそれほど考えてはいなかったのだが、こうしてみると、大変なことである。
 新しい生活、新しい出会い、そして、新しい生き方を求めて、新しい年度を迎えよう。。
 3月29日 ☆送別会  職場の送別会があった。私は、今年も送られる立場として参加させていただいた。会食中に多くの方々に激励され、これからの生活に勇気をいただいた。また、この一年間の自分の振り返りの言葉や感謝状という形で、自分の評価をいただいた。「周りのみなさんは、自分のことをこんなにも見ていてくださるんだ・・・」と感激した。また、今年を持ってご退職される方もおられ、その方は感慨深いものがあったであろう。私も、「お互い体に気をつけて、これから先も頑張りましょう。」と激励しあうことができた。
 こうしてみると、人はみな人に支えられて生きているんだと改めて感じる。相田みつをさんが、「生かされているわたし」という言葉を残されているが、自分も生かされている一人だと思う。ありがたいことである。
 さて、4月からであるが、私はちょっと離れた処へ旅立つ。単身赴任である。いろいろと環境も変わり、これからも様々な困難に出会うことが予想される。そんな中で、また新たな自分を生かしてくれる人との出会いを楽しみにしている。頼りきってはいけないが、自分だけでは生きていけないので、大いに人の力を借り、時には大いに力を貸していける自分でありたい。
 これまでこの一年間お世話になったみなさん、本当にありがとうございました。皆様の教えの一部でも、これからの人生・仕事などに生かしていけるよう、がんばります。
 3月28日 ☆万物は流転する
 今日の言葉

万物は流転する

 自然界は絶えず変化している。物事はとどまることなく移り変わってゆく。
その変化を見逃さず、また、その変化に応じた対応、身のこなしをすべし。
 3月27日 ☆ねじれの発想力  今日心に残った一言。それが「ねじれの発想力」。
 ※「ねじれの発想力」とは?(もとはここ
 難題への対応を迫られる場面で、一見すると無関係に思われる事象を結びつけ“あさっての方向”から解決策を考え出す発想力のこと。「ねじれの位置」にある2本の直線が最接近する1点で、高速道路のジャンクションで路線を乗り換えるように、大胆かつ柔軟に発想を切り替えるのが成功のコツ。

 これから無理難題が多々出てくるであろうから、この発想を大切にしたい。
 3月26日 ☆車の修理を通して・・・  先日の車の修理の続きを、今日やってもらった。修理内容としては、高速道路を走ると、時速80kmで前輪がぶれるというものの対応・修理である。高速走行中の出来事で恐ろしいので見てもらい、原因がベアリングの劣化にあると思われるということで、今日、部品の交換をしていただいた。修理が終わって受け取りに行くと、「普通の状態に戻ったので、少々ハンドルが重くなります。これが通常の状態なのですけどね。」と言われた。今まで軽いと思っていたのは、実は故障した状態であったということになる。あら恐ろしや・・・。
 ところで、今回対応していただいたのは、工場長さん。とても丁寧な応対、的確な判断と指示など、非常に好印象を持った。こういう方がおられる工場なら、安心して車を任せられると感じた。自分が今の職場でどうか。これまでの職場でどうだったかと考えたとき、やはり、丁寧で的確な人がおられた。そういう方にはきちんと相談する価値があり、学ぶことが多かった。今の自分はというと…おバカなことをかなり言い(それしかない?)丁寧な応対はできてない。的確か?と言われれば、なかなか電話先の方に理解していただけない。結局、不合格である。この工場長さんのような、立派な人にちょっとでも近づけるよう、また明日から意識していきたい。まだまだ未熟な私である。
 3月26日 ☆2012.3.26 の朝の天気は・・・雪 



 朝起きると、隣の家の屋根が真っ白・・・「ん?」と思い、よく見るとみぞれのようなものが降っている。3月下旬の今日、雪が積もった!驚きである。
 出勤する時、道や田んぼにある雪は融けかけていたが、我が町の北側にある山は真っ白。写真を撮りたいくらいきれいであったが、そこでは撮れず。ちょっと進んで、全く違う場所から北西・南西・西の方向を撮影したのが上の写真。カメラがなかったので、携帯のカメラで撮影。解像度を上げるのを忘れ、壁紙モードサイズなので小さくて何ともならなかったが、まぁ、雰囲気はわかってもらえそうである。
 こういう景色には、以前、標高600mほどにある山の学校に勤めていたときに出会ったことがある。桜の花の上に雪が乗り、不思議な光景が広がっていた。まぁ、山だからありうると思ったが、今回は平地でもこんな感じ。今年の冬はちょっと変わっている?
 3月26日 ☆春が来た!?  昨日、久しぶりに庭やら車庫・倉庫やらを見ると、多くの花が咲いていることに気付いた。まずは、車庫・倉庫を見ると、桜(さくらんぼの木)の花が咲き始めていた。3日前にはつぼみであったことを確認しているが、いよいよ咲きはじめである。一昨年は、この木は3月中旬に咲いていた。そして今の時期には相川水辺公園の桜が咲き始めていた。今年は寒かったことが、これを見ても感じ取れる。

 その桜の木の横には、しばらく前から咲いている梅の木がある。写真は梅(左側)と桜(右側)の共演である。こちらの梅は、順調に咲いたように思えるが、それでもやはり遅めだったかな。


 それに比べて、下の写真は我が家の庭にある梅の木。まだまだつぼみだが、もう少しすると開きますよ?という顔をしている。咲き始めるのが楽しみな木の一本だ。他にもいくつかの木に花がついたり、芽吹いてきているものが見られた。寒いとはいえやはり春はそこまで来ている。
 3月25日 ☆最近の車は・・・  自分の愛車に、ここ2カ月ほど気になることがあったので、修理工場へ持って行った。そこで状況を伝え、代車をいただいた。そこでいただいた説明は・・・
1)エンジンは、このキーを携帯した状態でこのボタンを押してください。
2)止める時には、このボタン(スタート時と同じもの)を押してください。
3)ブレーキはフット式です。
の3点。実際に恐る恐るやってみると、エンジンがかかった!そのまま走りだして途中で別の店に寄った時、恐る恐るボタンを押すと・・・エンジンが無事止まった。
 私は、車の運転を楽しむ派ので、ギヤチェンジはマニュアルが大好き!エンジンはキーを回してかけるもの!という感覚しかない。オートマチックすらなんだかしっくりこないのに、エンジンがこういう風にかかてしまうと、なんだか簡単すぎて面白くないような・・・まぁ、こういう車が増えてきているんだろうなぁと思いつつ、無事帰宅。今、修理完了を待っている。
 3月24日 ☆卒業式  今日は、長男が通う小学校の卒業式。ずっとここのところ、「僕は卒業して中学生になる!」という楽しみをもって生活してきて、今日も朝からはりきっていた。卒業式では、時折にこにこしたりふらふらもしていたが、返事の声は大きかったし、証書も緊張しながらもしっかりと受け取れたようだし、呼びかけもはっきりと大きな声で言えたし、我が息子にしたら合格点があげられる。彼にとって、それだけ思い入れのある卒業式であったのだろう。
 また、式で歌われた歌声が美しかった。これは、卒業生のみならず在校生の声も美しく、さすがNHKコンクールで金賞を目指す学校だけあると感じた。そんな歌声で在校生を魅了し、そんな歌声に送られて卒業式が進んでいった。自分としては仰げば尊しと校歌のところで心にジーンときた。また卒業生退場のときには、先生の顔を見るとジーンときて、我が子を見ると笑いそうになりながらも何かジーンときていた。
 教室では先生が大泣きしておられた。思い起こせば思い起こすほど感激してしまうということであった。それだけ担任の先生は、我が息子たちに力を注いでくださり親身になって教育してくださったのだと思う。ありがたいことである。これからも、この先生をまた、校長先生をはじめとするこの学校の先生方を大切にしたい。
 最後に送り出しをしていただいたのだが、あいにくの雨。在校生は、廊下の左右に広がって拍手で送ってくれた。我が子はこれということなく淡々と通って行ったが、中にはやはり涙を浮かべて通って行く子もいた。自分たちが歩んできた6年間、短くもあり長くもあり。それを感じる子どもたち。そして、それを感じる保護者の面々。苦労があればある程、この日の思いは大きいものになるであろう。逆に言えば、これとなく何もなく・・・という6年間だと感動は薄いかな。我が家の場合はいろいろとあったので、そのいろいろが先生にも思い出され、我々夫婦にも思い出され・・・よい卒業式になった。次は長男が中学校になじめるかどうかが大きな課題であるが、また、中学校の先生方とも連携をとって3年後によき卒業式になるように取り組んでいこう。
 3月23日 ☆こりゃひどい・・・  インターネットのニュース記事で見つけたyoutubeの動画。車は道路交通法のこともあって、それなりに救急車らを意識しているようだが、この歩行者たちは何?全く緊急車両が意識に入っていない行動をとっている。信じられない光景である。同じ日本人として恥ずかしい・・・
http://www.youtube.com/watch?v=omg5edz6kIo&feature=youtu.be
 3月22日 ☆甲子園 高校野球  東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。我々、高校球児ができること、それは、全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
 昨日の春の甲子園高校野球大会で選手宣誓した、石巻工業高校 阿部翔人キャプテンが言った選手宣誓の全文である。短い時間で、自分の思いを、そしてスポーツとして戦う気持ちを宣誓すると言うことは、とても難しいことと思う。毎回、誰が考えるのか知らないが、高校生らしくもその時代を反映した文言が綴られる。今回もこの文章にあるように、気持ちが込められた力図よい先生になった。私はニュースでしか見なかったが、自信を持ち語る選手を見て感動した。
 今の世の中、様々な生き方をしている若者がいることは、これまでも幾度となく述べてきた。そのたびに、時には日本の将来を憂い、また、時には若者達の姿や言葉に勇気づけられてきた。今回も再び勇気づけられた。この気持ちを若者達だけでなく、日本人、いや、日本で暮らす人々皆がもって、生きていかねばならない。自分もがんばるぞ!
 3月21日 ☆パン!  今日は歯医者の日であった。待っているあだに見た本に、おいしそうなパンが載っていて、治療していただいている間もパンが頭から離れなかった。そこで、歯医者に行った後、次女とともに買い物に行った。目的はパン!バ○ーというスーパーマーケットに入っているパン屋があって、そこで購入。次女は、このチョコレートパンを3つ買うという。3つ食べるのかと聞くと、お兄ちゃんお姉ちゃんの分も買うからという。よくできた妹である。感心。そして、自分がイメージしていたパン、1つは5cmほどの厚切りトースト見たいなパンと、もうひとつはピザのような形をした牛乳パンを選択。すると、なぜか次女はもう1つパンを狙っている。ポテトパン・・・美味しそうだから買って自分とお兄ちゃんで食べるという。まぁいいかということで購入。明日の朝から帰宅時の間にきっとすべてなくなっているんだろうなぁ・・・。
 3月20日 ☆卒業  昨日、仰げば尊しについて書いたが、我が家には、卒業式モード全開の者が二人がいる。もちろん主役は長男。歌や言葉の練習を毎日やっている。また、「僕は卒業したら○中学校へ行くんだ。」と嬉しそうに言っている。もう一人は嫁さん。「後○日で、卒業や。」と、日々逆算している。私自身はそれほど意識はしていないが、長男の言葉が重く感じる時がある。そういう時には「卒業なんだ・・・」と改めて感じる。
 卒業とは、今までに行ってきたことの集大成である。長男がこの6年間にできるようになってきたことは実に多い。これには、かかわってくださった先生方の努力や忍耐?などに関して、どれだけお礼を述べても言いつくせないと思っている。卒業式には、しっかり丁寧にお礼を述べたい。
 また、卒業とは、単なる通過点ともいえる。長い人生から考えれば、ここで人生が終わるわけではなく、いわゆる旅立ちである。通過点としては、先生方にはこれからもお世話になることであろう。また、良くも悪くも思い入れがある子だと思うので、どこかで会った時には、現状をしっかりと話して成長を確かめあいたい。そういうよい人間関係が長く続くようにしていきたい。
 当日はもっともっと感情的な面が多く出てくると思うので、それまでに冷静に考え卒業式が迎えられるとよいと思う今日この頃である。
 3月19日 ☆仰げば尊し 
 仰げば尊し 我が師の恩
 教えの庭にも はや幾年
 思えばいととし この年月
 今こそ分かれめ いざさらば

 朝夕馴れにし 学びの窓
 蛍の灯火 積む白雪
 忘るる間ぞなき ゆく年月
 今こそ分かれめ いざさらば

 最近は歌われることが少なくなってきたが、かつての卒業式の定番ソング、仰げば尊しの歌詞である。私はこの歌のメロディーと歌詞が大好きで、年とともに、聞くたびに何か心がじーんとするようになってきた。
 しかし、私にとってショッキングなことが判明!先日ラジオを聴いていたら、日本の歌として信じ切っていた「仰げば尊し」はアメリカの歌であったことが判明。だから悪いわけではないが、この曲は間違いなく日本のものと思っていただけに、衝撃的なことであった。
 けれども、その番組で紹介されていたことによると、原曲はキリスト教がかった歌詞ではあるが、やはり卒業を意識した歌である。それを、日本人が取り入れて文部省唱歌としたようである。
 ショッキングではあったが、この歌の素晴らしさというか自分に伝わってくるものは変わりない。今度の長男の卒業式では歌うらしい。聞きながら涙する自分がそこにいるかも・・・
 3月18日 ☆職場経験が多いほど高学力?  内外教育(平成24年2月24日号)に、「職場経験が多いほど高学力」という記事があった。これは、国立教育政策研究所が出した報告書からの分析結果からの記事である。言えることは、
☆中学校における職場体験活動の実施率が高い自治体は、実施率が低い自治体に比べて全国学力・学習状況調査の正答率が高い。
(なお、同研究所は「因果関係を実証するものではない」と慎重な見方もしている。)
と、いうことである。その分析は、実施平均日数5日の都道府県と2日の都道府県、2010年度調査の上位5位までの自治体と下位5位までの自治体、等で比較したが、どちらも実施が多い方が上位に入っている結果となっている。
 また、質問紙調査の中の人間関係形成・社会形成能力や自己理解・自己管理能力と、職場体験との関係も調べた。結果は、統計的に明確な違いはないものの、4項目中3項目で実施日数の多い自治体グループの方が肯定的に回答しているという結果であったという。
 昔から、経験が豊かな子どもは能力的に高いといったことがよく言われた。「かわいい子には旅をさせよ」という。これは、甘やかさずに世間に出して、どんどん苦労をさせたほうがよいということを意味している。私が見るに、今回の分析結果も体験の重要さを反映している。反映は言いすぎにしても、体験からは何らかの相乗効果が生まれてくると考える。やはり体験である。
 今の日本人は、子どものみならず大人も経験不足・体験不足になってきている。理論に対しては賢くはなってきていると思うが、実態が伴わない人が多いのではないか。「こうやればできる。」とは言うものの、「じゃぁやってみて。」といわれてもできない・・・職場体験は、実際を知ること。それに向けて、まず、自分の家の中から子どもたちにできることをやらせ、体験させなければならないのではないか。そうしていくことが、中学校での職場体験でその素晴らしさを感じ取り、自分の進路決定に結びつけて行くのではないか。ふと、考えさせられた我が家の休日でもあった。
 3月17日 ☆自覚  アスペルガーの私として思ったこと。それは、少しでも人の心を感じ取ることができ、人並みの生活ができるようになるように、何か訓練というか復帰プログラムというか・・・をせねばならないということ。今日、あるお子さんのお話を聞いたら、そういう教室に通うことで、すごくよくなったとか。もう、老人の域に入りかけている私にとっては手遅れであろうが、ちょっとでも自分のためになるなら、そういう訓練をせねばと感じた。とりあえずは、考えて話すことなのだが・・・できない。
 3月16日 ☆杞憂 今日の一言・・・


「杞憂」 で、あってくれ・・・
 3月15日 ☆次女の誕生日  今日は次女の誕生日。職場のみなさんにも無理を言い、定時にて帰宅の途に。
 無事帰宅すると長男がお留守番で、長女と次女は習いごと。嫁さんにメールを送り、その帰りを待っていると、19時過ぎにやっと連絡が来て、「まだ会議の真っ最中で、帰宅は遅くなる。」とのこと。
 ここで問題発生!誕生日のケーキを嫁さんが買ってくることになっていたのである。しかし、もう19時を回っていて厳しい状態。ファミリーレストランへ行ってそこのケーキでごまかすか?ということにもなったが、本人にも確認しようということで、とりあえず私がお迎えに行くことに。長女と次女を迎えて、ケーキについて尋ねてみると、日曜日にホールケーキを買えばよしのこと。また、食事は和食が食べられればいいということで、とりあえず帰宅し嫁さんを待つことにした。これから帰るという連絡があったのは20時過ぎ。何もしてやらないのもかわいそうと思い、とりあえず外食にお出かけ。向かったのはラーメン屋。で、お好みのものを注文しとりあえず祝ったのだが・・・まぁ、今度の日曜日にきちんとお祝いしてやろう。
 3月14日 ☆追究する! 「どこかまだ足りないところがある」「まだまだ道があるはずだ」と考え続ける人の日々は輝いている。(松下幸之助)

 自分の日々は輝いているのだろうか…
 3月13日 ☆予定  今日の夕方、嫁さんが仕事で遅くなるという連絡があり、自分も仕事を一区切りして帰宅の途に向かう途中、ガソリンが少なくなっているのを発見。わが愛車にはエンプティーのランプがないので、自分の目で計器を見ていないとガス欠になる恐れがあるのである。今まで何度かピンチ状態になったことがあるので、今回も早めの給油をしにガソリンスタンドへ。そして、夕飯のおかずも何もないというので、スーパーへ買い物に。そこへ嫁さんから電話で、「長女を習いごとに送らなあかん。」と連絡があり、あわてて帰宅しようと思ったが、先に嫁さんが送っていくことになり一安心。
 結局問題は、見通しのない我が家の人々の行動にある。自分は自分なりに予定をカレンダーに書き嫁さんにも伝えているのだが、それが嫁さんのスケジュールに中に位置付けられていない。また、私は嫁さんのスケジュールを理解しているつもりなのだが、働きに行っている以上、その通りに行かないことも多々ある。それに加えて、予定がはっきりしていないお子様たちが、突然「今から○○ある!」とか言いだすものだから、予定も計画もあったものではない。これらに対応するには、自分自身が仕事を辞めて家で待ち構えるしかなく、時々これに苦しめられる。
 共働きでもうまくやっている家族は多い。うまくやっていくためにも、この「計画する」ことをそれぞれが行わねばならない。特にお子様たち。今夜カレンダーに書き込ませることにしよう。
 3月12日 ☆木星と金星  今日の帰宅時、西の空を見ると木星と金星がほぼ横に並んで見られた。2月27日に金星と月と木星について紹介したが、このときの位置とは大違い。いったい何人の人がこのことに気づいているだろう。おそらく天文関係者か余ほど関心がある人くらいしか気付いていないであろう。
 木星や金星はいわゆる太陽系の惑星で、常に位置を変えて点急上を移動している。もちろん規則的に動いているのであるが、その移動について気付く人はほとんどいないと思っている。不思議なのは逆行。たとえば、ずっと東の方向に日々移動していた惑星が、あるときを境に西向きに移動し始めるのである。そして、またしばらくすると東向きに移動し始める・・・そんなことが起きるのである。金星の場合は内惑星(地球よりも太陽に近いところを公転している惑星)なので、夕方か朝方しか見られないが毎日の動きを追いかけると西の空に山というか波の一山分というかを描くように動くことが分かる。惑星と動きは不思議なものに思えること間違いなしである。だから惑星という名前が付けられたのだが・・・。
 話変わって、先日、知り合いのお母さんに、天体の運動について息子に教えてほしいと依頼され、嫁さんともども相談に伺った。その時に感じたことは、やはり普段から見ていることが大切かなということ。見て学ぶ大切さは、自然の基本であることを確信した。日々見て学ぶ、これぞお勉強なりである。
 さて、今後この2つの星はどう動くか。まず、明日には明るい金星が木星の右上側に見られる。上下逆点である。今後、金星は高度を上げ、木星は高度を下げていく。3月26日には、その2つの星の間に月齢4ほどの月が挟まり、上から順に金星・月・木星という並びが見られる。金星はその後、5月下旬か6月上旬くらいまでは宵の明星として夕方西の空に見られるが、そのあとは明けの明星として朝方に輝くようになる。
 ついでに言うならば、金星たちを西の空に見るころ、東の空45度ほどの高さにあるしし座には、赤く輝く火星が見えている。そこから2時間ほどすると、東の空に土星が顔を出してくる。土星は、ちょうどおとめ座にあり、横(南側)にはスピカというこれまた明るい星が並んで見られる。みなさんも、ぜひ明るいこれらの星たちを楽しんでほしい。
 3月11日 ☆あの日から一年・・・  東日本大震災から、早一年。テレビやラジオでも特集をくみ、一年前の今日の日を振り返っていたようである。私も、午前中のニュース番組は少し見たが、午後からは見ることなく過ごしていた。すると、長女が、「今日の2時46分にサイレンなるで黙とうするんやと。さっき放送でいっとった。」と、言ってきた。それを聞いて次女が、「金曜日に学校でも言われたよ」と。そうなんだと思い、心の準備をした。その時間になると、サイレンが鳴った。嫁さんと私と次女は庭にいたので、北東を向いて1分間ほど黙とうした。サイレンに合わせるようにお寺の鐘が響いていた。ウーと甲高く鳴るサイレンと、ゴーンと低く響く鐘。なんだか不思議な組み合わせの音が1分間ほどなり続いた。
 きっと地震が来たときには、東北の人々は揺れが収まったことで一安心、そして、津波が頭をよぎったことと思うが、あれだけの規模で押し寄せてくるなんて考えもしなかったであろう。思い起こすに、一年前の私は超長周期のゆれを感じ、テレビをつけて見ていたら・・・ヘリコプターからの映像が中継されていて、映画のワンシーンのように水が押し寄せ、その水の先をアリが動くように車が走っていた。もちろん、その水に車は飲みこまれていったのが、その瞬間はカメラの向きを変えて中継されなかった。
 その時、自分には、実際に起きていることが受け入れられなくて、波にのまれても、また、泳ぎだしてこれるに違いないと勝手に思ったりもしていた。しかし、津波の勢いはそんなものではなかった。別角度で撮影された映像を見ると、台風で引き起こされる大洪水が、海の方から押し寄せてくる感じで、水量も勢いも予想とは全く違う規模であった。
 先ほど、長男と一緒に風呂に入り外の音を聞いた。ゴーッという強く吹く風の音が響いている。東北の被災地の当日の天気も、寒くて大変そうなものであったと記憶している。今、こうして風呂に入って体を温めている自分たちの幸せと、一年前に被災した人たちの生活と・・・思わずしばらくの間、思いにふけった時間が過ぎていった。
 風呂とか、食事とか、布団でねるとか・・・当たり前にしているこうした生活のありがたみをしっかりと感じ、幸せを考え、これからの自分の人生に反映したい。もちろん、自分自身の行動のみならず、若者に、後世に、伝える大切な役割も持って。
 3月10日 ☆3月9日は・・・  昨日3月9日は、我々夫婦の結婚記念日であった。私が親戚の家から戻ると、長女が何やらこそこそしていて、驚きの表情。聞けば、お父さんの帰りはもっと遅いと思って、今から部屋を片付けてプレゼントを飾って驚かせようとしていたとのこと。まぁ、お父さんは見てしまったので、お母さんを驚かせようということで改めてプロジェクト開始。私は見ないように別室にて仕事をしたのち、次女を連れて歯医者へ直行。19時30分過ぎに帰宅すると、長女がプロジェクトの準備を終えて何やら言っている。聞けば、長女の習いごとが19時40分からあるとのことで、今度は長女を連れて目的地へ向かった。その途中にお礼を言うと喜んでいた。かわいいものである。
 長女を送り届け帰宅後、改めて見るとなかなかきれいでユニークなアレンジメントが飾ってある。


 まぁ、なんだか幼稚園の子が書いたような感じでもあるが、それぞれのお子様なりに個性がある書きぶりで、これまたどってことないんだがうれしいものである。昨年まではこういうことはなかったので、子どもたちも大きくなっていろいろと考えているんだなぁ・・・と成長を感じた。
 ところで、当の我々夫婦はというと・・・私は、ちょっとお疲れ気味のようでフラッとした感じ。職場では大変なことが起きていたようであるが、お任せしてそのまま長男とともにおやすみなさい状態。嫁さんは今一年の中で最も忙しい時期で、先週も毎日23時過ぎの帰宅ばかり。あるいは、帰宅して改めて出勤して夜中に帰宅という生活。昨夜もお帰りになられたのは深夜。別の意味で記憶に残る?(残らないか?)16回目の結婚記念日となった。せっかくだから、結婚式の時のビデオや写真を見ようかなとも思ったが、それもなく、まぁ、また来年企画するかな。
 3月 9日 ☆お葬式から ☆ご縁さんの言葉
・人間は生身の体である。生身である以上は、いつか必ず死を迎える。
・世の中で、皆見えないけれどもあるもの、それは浄土。

☆列席者の言葉から
・やっぱ、お宅のおばあちゃんと兄弟やは。二人とも骨が丈夫い。
・みんな縁あってこうして出会っているんだ。
・こういうときしか会えへんねぇ。
・この兄弟はほんとに多くの人といい関係が持てとったねぇ。

☆自分の思いから
・生きているときに、多くの人と知り合い、如何によきつながりを持って生き抜くか。死んでしまったときにそれがわかる。
・こういうときに、喪主やご近所さんのリーダーシップの取り方が物を言う。これについては、こういう機会に見て学ぶしかない。
・自分が生きた証を何か残したいなぁ・・・

・・・・・・・・・・・・・以上
 3月 8日 ☆遺影から・・・  親戚のおばさんの通夜があった。祭壇に飾られた遺影を見ると、昔いろいろと教えていただいた時の面影がぐっと迫ってきた。そして次の瞬間に、頭の中に昔の顔がよみがえり、懐かしく感じた。さらには、何を話しているわけでもないのだが、一言二言会話している様子が思い浮かべられた。最後にこのおばさんと話したのはいつだったか覚えていない。しかし、大昔のことは思い起こされる。わが祖母と同じく、しっかりとした語り口調で話すおばさん。自転車に乗ってゆっくりと走るおばさん。生け花をいけるおばさん。・・・そんなおばさんも、93になるのを目前に逝ってしまった。
 わが祖母の兄弟は、本人を含め5人いたが、残ったのはあと一人。その方は今日、「残ったのは私一人になってしまった・・・」と落胆しておられた。男兄弟は、二男が50代で現役の教師で亡くなられている。長男も何年か前に亡くなり、長女であるわが祖母とこのおばさんは長生き姉妹であり、おじさんの大切な兄弟であった。そんなこともあって、気をおとされぎみかもしれない。みんなで励まして、長生きしてもらわねばならない。
 明日はいよいよ告別式。最後をしっかりと送りたい。
 3月 7日 ☆親戚のおばさんが・・・  親戚のおばさんが亡くなった。今月末に93歳を迎える直前の死であった。このおばさんは、私の祖母の妹に当たる。私の祖母は、1年前の3月2日に他界した。そして今回妹に当たるおばさんが・・・今夜、お参りに出かけた席で、姉さんが迎えにきたんじゃないか?と話題になっていた。
 おばさんは、1週間ほど前に脳血栓が起き、病院に入院していた。その後は悪いながらも安定した容体だったと聞いていた。今日の午前中も、まぁ安定していたのだが、午後になってあっという間にというか、すぅーっというか・・・そんな感じで息を引き取ったと聞いた。顔を見ても、まだ起き上がってきそうな安らかな顔であった。
 自分が子どものころ、このおばさんによくお世話になっていた。教師をしていたこともあって、いろいろと勉強を教えてもらったり、人としてどうあるべきかといった心の面でも諭していただいた記憶がある。また、きびいしい一面もある人であり、うちの母親なんかは恐れていた存在でもあったが、自分にとってはいいおばさんであった。
 このおばさんに教えてもらったことで、いまだに続けていることが一つある。それは、机の周りに辞書を置いておくこと。子どものころ、あれは小学校4年生か5年生のころあだったか「勉強する時には、机の上に辞書をおいて、いつでもすぐに調べられるようにしておきなさい。」といわれ、それ以来ずっとその言いつけ?を守っている。また、自分が子どもたちに話すときにも、それを伝えている。この教えのおかげで、自分自身はいろいろと学べたし、この辞書のおかげで知りたい時に知りたいことが頭に入った。このことは人生で一番長く続けている教えかもしれない。そんなおばさんとももうお別れである。明日、明後日に通夜と告別式が行われるので、しっかりとお送りしたい。
 3月 6日 ☆その時何を食べるか?  もし、明日、自分の命がなくなるとするならば、何を最後の食事として食べるか。高級食材に目を向けるか、庶民的なものに目を向けるか?あるいは、自分の好物に目を向けるか、この際なので食べたことのないものに目を向けるか・・・。今日の私なら、嫁さんが作った庶民的な食事、白飯、味噌汁、サラダ、目玉焼き、漬物といったものを味わっていただきたい。
 もし、明日、胃の全摘出手術をするとするならば、自由に食べられる最後の食事をどうするか・・・。私ならば、大好きなものを腹いっぱい食べる。今ならば某中華料理店のチャーハンかな。
 もし、今、好きなものを食べさせてあげようといわれたら、大阪難波のNGK近くのたこ焼きが食べたい。もし、明日、どこかへ食べに連れて行ってあげると言われたら、しゃぶしゃぶ食べ放題に行きたい。
 いろいろな“もし・・・”があるが、今私自身にとって一番大切な食事は、
  1)野菜を多くとること
  2)脂分、塩分をとりすぎないこと
  3)食べすぎないこと
の、3点であろう。ふと、ここのところの自分を見つめなおしてみると、不健康な食生活が続いている。あればあるだけ食べてしまう。6年前、昼食か夕食をサラダ・納豆・豆腐のみにし、脂っぽいものをとらなくして3カ月生活したら、体重は5kg強減り、血液検査ではさらさら、視力以外全く問題ない体になった。今、改めて体が悲鳴を上げているようである。ちょっと節制をしなければならないが・・・誘惑に弱い私である。
 3月 5日 ☆雨合羽  今日は朝から雨。そんな中で気がついたこと・・・それは、高校生が合羽を着て自転車に乗っている!ということ。ちょっと前に道路交通法が改正され禁止されたことは知っていたが、なかなかの浸透度である。調べてみると、

※警察庁「交通の方法に関する教則」の「自転車に乗る人の心得」
 ・かさを差したり、物を手やハンドルに提げたりして乗るのはやめましよう。
※道路交通法第70条
 ・車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない
※岐阜県道路交通法施行規則 第12条
「法第71条第6号に規定する車両等の運転者が遵守しなければならない事項」
 ・傘を差し、物をかつぎ、物を手に持つ等視野を妨げ、又は安定を失うおそれのある方法で、大型自動二輪車、普通自動二輪車、原動機付自転車又は自転車を運転しないこと。

 なお、上の岐阜県道路交通法施行規則に違反すると罰則5万円以下の罰金だそうな。なるほど、こんなにきちんと決まっていたんだぁ・・・と感心した。また、それをしっかりと守る高校生(自分が見た某高校のみかも・・・)の姿にも。それに比べれば、大人の運転者なんて、たとえば、携帯電話で話をしながら平気で運転する者多しという感じで・・・。まぁ、自分もすべてお手本の運転ができているわけでもないので、反省すべきと・・・。
 ところで、調べていて面白い条文発見。前述の「岐阜県道路交通法施行規則 第12条」に、「ぎよ車台の設備のない牛馬車に乗車して運転しないこと。」というものを発見。まず、街の道路を牛馬車が通ることはないであろうが、観光地や山間部ではありうるので書かれているのであろう。法律ってすごいなぁ・・・とこちらにも感心させられた。 
 3月 4日 ☆ハンバーガー屋さんの客層  今、思い出したので、忘れる前に書いておこう。
 昨日のプールの帰り、休憩を兼ねてMで始まる大手ハンバーガー屋チェーン店へ寄った。たまたま座った席が駐車場がよく見えるところで、いろんなお客が入ってくるのがわかる。ヤンキー風のお兄ちゃん3人組、カップル、高校生など、次々に入ってきた。そして、その次に駐車場に現れたのは、なんと70歳前後のおじいちゃんとばあちゃん。車から降りて、どこに行くかとみていると、最初は店の入り口とは違う方向へ行き、2分ほどして店内に登場。そのまま我々親子の隣の席に着席。注文なんてしに行かない・・・ここは喫茶店だと思ってお姉さんが来るのを待っているのか?それとも、無料休憩所だと思っているのか?
 心配すること5分ほど。そして、その後現れた家族が同じ席に座って納得。別々に行動していて待ち合わせ場所をここにしていたようである。最初の様子からは、何か教えてあげないといけないような罪悪感に襲われながらも、失礼なことを言ってもいけないしとも思い、ドキドキしていた。無事家族と出会えてよかったと思った。よかったと思ったというよりも、自分のドキドキ感が収まったことの方が大きい。
 私の感覚では、今の日本のお年寄りが、2人でハンバーガーショップを使うことはあまり想定できない。しかし、これからハンバーガーを食べる文化とともに生きた世代では、こういうことも増えてくるのだろう。偏見でないが、年齢相応に食べ物を考え、それに合わせるように店を選び・・・そんな中で、コーヒーだけ飲むならハンバーガーショップのコーヒーは、安くておいしくてよいのかもしれない。まぁ、店の雰囲気さえ気にしなければこういうのもありなんだろうなぁ。逆に、若者たちが年配の方々でにぎわう日本的な店に行って、お年寄りが好んで食べるようなものを注文し、高い年齢層の中でおいしく食べられるのか?そんな疑問もわいてきた。今度は、そういう姿を見つけたら報告するとしよう。
 3月 3日 ☆プール  午後は、長男と一緒にプールに行った。長男が教室に入っている間、水中ウォークに挑戦。約1時間の間にどれくらいの距離水中で歩けるか。途中計ってみると、25mプール1往復が1分30秒を切るくらいであった。そこで、2往復で3分を目安にひたすら歩き続けることにした。ときには腕をボクシングのように前に突き出しながら、ときには腰を沈めて大股で、ときにはカニ歩きの右向き、次は左向きなどと動きを変えてまずは20往復。そこで休憩としてサウナに入り、後半はまた黙々と歩く!
 何とか1000m達成!水中なので膝には負担がかからず、体はそれなりに動かすことができた。こういう動きを毎日続けて・・・と思うのだがいまだにできず。今日の医者の話ではないが、健康第一として今後もやるべし。
 3月 3日 ☆医療費9,750円也  午前中、長男と自分自身とにかかわって病院回りをした。
 まずは、長男のアレルギーの薬をもらおうと、かかりつけの小児科医院へ電話。30分後くらいに来てくれということで、長男を連れてお出かけ。すぐに薬を出されて、問題なく終了。もちろん、医療費にかかわっては無料。
 その後、長男を家に置いて、自分の首のヘルニアと花粉症対策について別の総合病院へ。そこで手続きをしてまずは整形外科へ。15分ほど待って名前が呼ばれ、医者とお話。最近の手のしびれや肩こりの症状を伝え、そして、自分が一番聞きたかった今後どのようにしていったらよいのかについてお話を伺った。結論としては、
1.首のこうした症状についてよく効く薬というものはあるともないとも・・・つまり、効くらしい、効く人もいるという感じのようである。だが、筋肉をほぐす薬は自分に聞いた話をすると、とりあえず、その薬と効くかもしれない薬を処方していただくことになった。あと、湿布を出していただき肩こり対策とすることにした。
2.今後については、
 ・体をこの状況に慣らすことで多少回避できること。
 ・手術によって、予防的に対応すること。
 ・前かがみの仕事や姿勢を続けないこと。
 ・マッサージはいいが、整体やカイロプラクティクスはやらないこと。
などをお話しいただいた。今の状況からすれば、「しびれることにとどまっているなら、手術するまでではないが、この先この骨の状態が悪さすることも考えられるので、予防的に行うのも一つの手です。」ということであった。頸椎前方除圧固定術というもので、入院して手術して退院まで1か月ほど必要ということだ。自分としては避けたいものである。まぁ、薬飲んでちょっとマッサージやリハビリしながら何とかごまかし切れればいいなぁ・・・と思う。
 その後内科へ行き、花粉症対策で薬をもらおうと話したところ、一年前に調べた血液検査の結果をもとに、尿酸、コレステロール、糖尿について再検査するということで、検尿と採血があった。また1か月後に薬をもらいに行く時、この結果を聞き改めてお話があるということ。ん?ちょっとまてよ。昨日あれだけ肉を食べ、普段からまともな食生活をしていないんだから、結果が怪しい!きっと1か月後には新たな治療の進めがあるに違いない。
 さて、一通り診察を終えて会系窓口に書類を提出し待つこと数分。名前が呼ばれ、お支払いを・・・と思ったときに、「3,450円です。」の声。まぁ2つの診察をしてもらい検査もしたので仕方がないとその場で現金払い。その足で薬局に行くと、山のような薬の袋が運ばれてきた。「6,300円になります。」といわれ驚きながらも、にこにこ現金払い。今日1日で医療費9,750円!まぁ、薬がこの先1か月分とはいえ均等割りしても1日300円強!コーヒー1杯分のお金である。薬飲むよりコーヒー飲んだ方がいいに決まっている。もう、これだけ体がガタガタであるということか。それとも、1日300円で、健康に近付くということか?プラス思考で考えて、安い?値段で普通の生活ができるということにしよう。
 3月 2日 ☆桜ラーメン  久しぶりに、桜ラーメン(岐阜県羽島郡笠松町桜町112 )に行った。

 ここのラーメン屋は、カウンターのみで、その形が半円形になっていて、どこに座っても、ラーメンを作る様子が同じように見られるおもしろいつくりになっている。また、特製チャーシュー麺を注文すると、これ見よがしに薄切りの肉が乗ってくるのもおもしろい。小食の人では食べきれないほどである。

 一昔前は、もう少し分厚いチャーシューを二つ折りにして、もっと高く山積みにされているもので850円だった気がする。今では、薄切り肉がごらんのようになっていて900円。まぁ、これは時代の流れか?ともかく、半端ない肉ともやしの山をかき分けて麺にたどり着き、その麺を食べながらも肉を食べ続けるのは今も昔も変わらない。
 今回参加した面々は私以外初登場組。それぞれがまず面食らい、スープを飲んでおいしさを感じ取り、食べてみて減らない肉に苦労し、そして完食して腹一杯の充実感?を味わった。まぁ、しばらくはラーメン食べたくない!肉食べたくない!と思ったであろうが、不思議とまたしばらくすると来たくなるのである。これが、ここのラーメンの不思議でもある。
 こういうラーメンツアーはおもしろい。それぞれが知っているラーメンやを相互に紹介し合って、今までにないパターンの、おいしくも何か特徴的なラーメンをこれからも味わいたい。
 3月 1日 ☆3月です・・・  気がつけば3月。早くも2月が終わってしまい、今年も2カ月が過ぎた。
 今年はたまたま閏年だったが、閏年を得したと考える人と損をしたと考える人がいる。たとえば、得をしたという人は、「一日多くて得をした。」「一日分新聞が多くもらえた。」などと言っていた。損をしたという人は、「月給は変わらないが、一日分多く働いた?」ということだ。皆さんは得をした人ですか?損をした人ですか?どうしてそう思いましたか?どうでもいいこんな質問に、きちんとこたえられる人はいるのだろうか?
 プラス思考について以前書いたことがあったが、実は、損をしたと思っていたのはこの自分。やはり、前向きには生きられないのかな?

我思う 故に我あり
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