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2011年 3月
 3月31日 ☆いよいよ 本年度最終日である。しかし、仕事は夜遅くまでかかり、出ていく身の私が職場のカギを閉めて出ていくことになってしまった。まぁ、とりあえず、明日の会に配る資料はそろい、提出すべき資料については後日届けることにした。けれども、形の上ではできたように思うだけで、内容的にはどうなんだか・・・。明日がちょっと心配である。
 3月30日 ☆嫁さんも… 実は嫁さんも異動で、毎日遅くまで仕事をしている。今日なんか、いつまで待っても帰ってこない。もう自分だけ寝ることにしよう。
(後日談)
 嫁さんは徹夜してお仕事したそうな。そして、寝ないまま実家に預けてあるお子様たちを迎えにいったそうな。そこで2時間ほど仮眠して、再び帰ってきたそうな。しかし、眠くなかったそうな。やる気になれば睡眠に勝てるってことだな。
 3月29日 ☆来年度に向けて 様々な計画を立てている。同時に、今年度のまとめをしている。どうやってやっても、時間がかかることばかり。家でがんばっても、職場でがんばっても、なかなか進んでいかない。ただ、ちょっと来年度が見えてきた。印刷して資料を作れば約半分完了である。
 3月28日 ☆人事異動 今回の異動で、今の職場を離れることになった。なおさら仕事が滞り、大変だぁ!の状態である。どうすればこの大変さから抜け出せるか。それは時が解決してくれるのを待つか、ひたすらやり続けるかしかない。どっちにする?自分。
 3月27日 ☆日曜日だが… 今日も今日とてやらねばならぬことに追われ、気が気でない一日。いつまでも続くこの気持ちが嫌である。早く区切りをつけたいのだが・・・。
 3月26日 ☆お仕事 来年度に向けてのお仕事が始まった。毎年のことだが、なかなかこの時期仕事がはけていかない。今日もがんばったつもりだが、全くもって進まず・・・。
 3月25日 ☆終業式 昨日の卒業式に次いで、今日は終業式。この一年の頑張りをお互い確かめあう日。我おバカ3人衆も、それなりにがんばった一年であったようで・・・。ただ、もっともっとお主らはがんばれるぞ!
 3月24日 ☆ポポポポ〜ン 今、テレビでよくみるコマーシャル、よく聞くコマーシャルの代表格といえば、ACジャパンのコマーシャル。なぜここのコマーシャルが流れているかというと、震災によって、企業がスポンサーを自粛しているからだそうだ。その、ポポポポ〜ンのフレーズを、プログラムしていつでも聞けるようにしてくれたのが、AZ FLASHさんの

好きなだけ「ポポポポ〜ン」するボタン
http://azflash.net/az/fla/popopopon.htm

である。上のサイトに行って、ボタンをクリックすると、ポポポポ〜ンをはじめとして、そのコマーシャルが聞けるというか、自分で音を鳴らせる。楽しいのでぜひ一度見てもらいたい。いつまで、存在するかわかりませんが・・・
 3月23日 ☆卒業式 明日は小学校の卒業式。昨年は長女が卒業で、いろいろと感じつところが多かったが、今年もやはりいろいろと感じるのだろうなぁ・・・。年とともに、涙もろくなってきているから。日本全国、よい卒業式であれ!被災された方々のことも考え、ありがたみを感じる式になってほしい。
 3月22日 ☆忙しや・・・ 今日は祖母の三七日。和尚様が来られてお経を読んでいただく日。ところが、嫁さんは忙しくて帰れず、長女は英語の塾へ行く、準備もせねば・・・と重なり、大ピンチ。とりあえず、1時間ほど早いが長女を習い事に送り、帰途に就く。家まで来ると和尚さまはもう到着済み。そこに、別の来客があり対応し、和尚様にご挨拶・・・。どうにもこうにも、体が一つでは足りない一時であった。その後、21時過ぎに長女を向いに行き改めて帰宅。嫁さんが帰宅したのはもうこれ深夜なり・・・。
 3月21日 ☆長寿会 祖母が長寿会に入っていたので、今日の総会の場でお経を読んでもらった。我が家の祖母を始め、12名の方々がこの1年に亡くなられていた。数えで97歳というのは一番の長生きで、なかなかいない。そういう意味でも、祖母の偉大さを感じた。また、こうして皆さんにお勤めをしてもらい、祖母も喜んでいることだろう。
 3月20日 ☆募金泥棒 これまで報道がなかった、いわゆる“泥棒”がついに現れた。それも、現金約五千円入りの募金箱で、盗んだのは女子高生(相模原市中央区)、目的は遊ぶ金欲しさという。署員の「バチあたるよ」の声に、「そうだね」と返事をしたらしく、あまり反省した様子もないから腹立たしい。様々な苦境に立ちながらも順番を待ち、お互いのことを考える日本人が話題になっているが、今の日本の状態や被災地のことなんか全く関係ない生活をしている、こうした若者がいるのも事実。どうしたものやら。
 3月19日 ☆三連休 世の中三連休だが、東日本大震災もあり、余り羽を伸ばせる状況でもない。我が家は、仕事がたまった我々夫婦の“今を逃してはならない”三日間である。本日一日目も、それぞれが出勤して一仕事。夕方はお世話になった方々との御苦労さん会。お子様たちは、長女は部活の試合、その他2人はお留守番できっとあまり面白くなかったであろう。まぁ、仕方がないとは思うが、申し訳ないのでまたの機会にお出かけできるようにしていきたい。
 3月18日 ☆遅くまで… 職場のみなさんも遅くまで仕事をしておられた。みんな同じで、今この時が勝負の時。少しでも役立つように、私もやらねばならないのだが、なかなか間に合っていかない。迷惑がかからぬようにだけはしていきたいが・・・結局迷惑かけてしまう自分がここに。
 3月17日 ☆どこまで… 福島第一原子力発電所では、1号機・3号機のみならず、2号機も4号機も問題が次々と発生している。5・6号機の貯蔵プールにある、使用済み核燃料なんかも熱を持っているらしい。この辺りが核の恐ろしさで、暴走し始めると止めることができない。発電所でありながら電気がない状態という考えられない状況とはいえ、被害は広まっていくに違いない。一日も早く、こうしたことの対応を考え、対処してもらいたい。
 3月16日 ☆嫁さんも… 仕事に追われるここ最近である。嫁さんは、遅くまでかかって仕事をしてきた。私も仕事に追われて遅くなり、お子様たちだけでお留守番というか、だらだら過ごしていた。こういう日がしばらく続く。子どもたちには申し訳ないし、ためにならないが、働きに出ている以上は仕方がない。何とか乗り切らねば。
 3月15日 ☆法要 祖母の二七日(ふたなぬか)法要を、お寺さんに来ていただいて務めた。多くは妹が準備しておいてくれたが、私自身、この時期なかなか仕事が片付かず、帰宅して残りの部分をあわただしく準備し、なんとか間に合った。お経は、仏壇に短く一回、中陰段で一回読んでいただいた。その際に、座布団をどう置くかについてお話を聞き、赤いものを仏壇前に、紺色のものを中陰段前に置くようにするとよいことを学んだ。
 3月14日 ☆3号機も… 今日の昼前に、3号機も一号機と同じように爆発した。その様子を見ると、1号機以上の規模の爆発に見える。しかし、原子炉については問題ないということだ。その丈夫さには感心させられたが、こういう状況になってしまっていることには不安でいっぱいである。それに加えて2号機にも不具合が出てきている。ちゃんと機能していたはずの原発が、ここにきて次々に異常になってきているのはどういうことであろう。どこかにひび割れがあって…なんてことだと、間違いなく放射能漏れが発生する。早く原因を究明して、安全に原発自体の暴走を抑えてほしい。
 3月13日 ☆TV局 先日からいろいろなテレビ局の放送を見ている。ほとんどの局では、視聴者の動揺を抑えるべく、事実のレポートやこれまでの経緯について放送している。が、とある東京のキー局については、やたら政府や会社を批判することや視聴者の不安をあおるような内容を放送していた。別のキー局では、コメンテーターも「これについては、確かな情報の報告を待って…」という慎重な発言であったのに対して、その局では、やたら危ないだのこれまでにこうしておかねばならなかっただのという展開であった。この時に放送するにはそぐわないと感じたのは私だけではあるまい。みんなそう思っていたとしても、放送するものとしてもう少し内容を考えてほしい。
 3月12日 ☆原子力発電所が… 東京電力福島第一原子力発電所1号機で12日、原子炉建屋が吹き飛んだ。何度も何度もその様子が放映されていたが、明らかに原子炉が入った建屋に見えて心配した。しかし、不幸中の幸いか、建屋そのものの上部が水素爆発によって吹き飛んだようで、原子炉そのものは大丈夫であったらしい。それにしてもすごい爆発であったので、もっと早くその情報提供をしないと地域住民や国民は不安に駆られる。そのあたりを考えて対応してほしいものである。
 3月11日 ☆地震 14:46頃、東北地方で大きな地震があった。自分は体を動かしていたため何も感じなかったが、事務仕事をしていた人たちはめまいがしたかと思っていたようである。わが町辺りで感じたのは、長周期の波。ゆら〜り、ゆら〜りとした揺れがしばらく続いた。気持ちが悪くなる揺れという表現、まさにめまいのときのようなイメージが合う。あわててテレビをつけて速報を見たら、津波が河口あたりから上流に向けて襲いかかっていく様子が映し出されていた。津波の先には、田んぼに畑、ビニールハウスのほか、民家や自動車で移動している人、今走っている人たちが映っている。ドキドキしながら見ているのだが、逃げるには波の方が速く追いつかれてしまう速さである。恐ろしい光景を生中継で見て、複雑な思いに襲われた。自分がオレゴンに一緒に行った仲間たちはどうやら無事のようだが、ある仲間は、家の直前まで津波が来たと言っていたし、職場が避難場所に指定されているので家に帰ることもできないと言っていた。今後被害が広がらないことを祈る。
 3月10日 ☆年度末 いろいろな仕事が、年度末が近づきあわただしさを増してきている。なかなか時間も確保できないし、夜遅くまでやると嫁さんの方にも迷惑がかかり、よくない。家の中も先日の葬式以来ぐちゃぐちゃで大変である。能率よく仕事をするにはどうしたらよいものか・・・。
 3月 9日 ☆結婚記念日 昨日は、お休みをたくさんいただいていた分、たまった仕事をこなした。なぜなら・・・今日は結婚記念日だから。15年嫁さんにお世話になっている。感謝の気持ちを込めて、フラワーアレンジメントをプレゼント。そして、夕食を家族で食べてよいひと時を過ごせた。こういう節目をこれからも大切にして、よき夫婦、よき家族であるよう、生きていこう。
 3月 8日 ☆57869通 これは何の数字かというと、ずっと見ていなかったniftyのメールアドレスに届いたメールの数。久しぶりにのぞいたら、4年分ほどでこれだけの数届いていた。もっとも、このアドレスは実質的に使っていなかったので、99%以上が迷惑メールである。まともなメールもあったが、特に必要もなく消すのみ。しあkし、これだけあると、消すのも一苦労で、3000通くらい消したところでいやになって終えた。Webメール上で処理していたので、もっとよい方法がないか、また時間のあるときに探ってみたい。
 3月 7日 ☆出勤日だが… 午前中は長男の病院や役場の手続きでお休みをもらった。しかし、ことはうまく進まず、結局一日お休みをいただきあちこちの対応を行った。こういうときは、御役所は事務的で、「喪主しかだめ」とかうるさい。妹に動いてもらっていたが、結局は自分も出ることになり、いろいろと大変であった。まぁ、早めに一区切りできるようにことをすすめたい。
 3月 6日 ☆お参り 親戚の親戚?の方がお参りに来てくださった。なんでも、祖母がその家の告別式に参列したとかで、遠いつながりではあるものの普段は全く音信なしの関係だがありがたかった。話していくうちに、祖母や父親がいろんなところで親戚の子供を預かったり、面倒を見ていたことが改めて浮かび上がってきた。こういう人情みのあるところが、好かれた要因でありこうしてお参りしてもらえるゆえんであろう。自分もこういう人にならねば。
 3月 5日 ☆御布施 お世話になったお寺さんに、お布施とともにお礼を伝えに行った。これまた、しきたりも礼儀もわかっていない私にとってつらいものであった。父親のときにはお布施を盆に乗せて届けたが、その盆がどこにあるのかわからない。ふくさというものに入れていくにはちょっと感覚がわからず、小さくおしゃれな風呂敷に包んで持っていき、その場で手渡しすることにした。お寺には失礼の連続で、いろいろとご迷惑をおかけしたようである。また、機会があるときにお詫び申し上げたい。
 3月 4日 ☆祖母告別式 早朝から、地域の方々にもお集まりいただき、11:00開式に向けて最終確認やらなんやらを行った。喪主というのはこれといって何ができるわけでもなく、うろうろするだけ。しかしながら、祖母を送る大切な役なので、要所要所の確認はそれなりに行った。さすがに出棺のときには目頭が熱くなった。今までの思い出のいくつもが次々と出てきた。自分はおばあちゃん子だったので、本当に世話になったことを思うと、晩年もっともっと優しくしておけばと後悔がでてくる。この分を、これからの自分の人生に生かしていくことで、なんとかお許しをもらうしかないと思っている。参列していただいた地域の方、親戚の方々、そして、お手伝いをしてくださった近所の方々には、心からお礼を言いたい。
 3月 3日 ☆祖母通夜 祖母の通夜・告別式を行うため、地域の方々にお集まりいただき協力をお願いした。先日の総会で、今まで行ってきた、葬儀等のご案内とともに配る代斎(数百円)はお配りしないということが確認されて第一号の事案であり、少々悩んだが、地域の皆様のご了解のもと、割愛させていただいた。他にも、今までの風習と少々違ったことを行うことになり、なんとなく悩み不安を感じながらも計画していった。我が家は親類も少なく、大人の数も少ないので、通夜は大変ではあったが、なんとか一日乗りきることができた。
 3月 2日 ☆祖母が… 祖母が他界した。昨年の夏以来、対象は崩していたが、まだまだ長生きできると思っていた。しかしながら、突然といえば突然にこの時がやってきた。一報が入ってからすぐ駆けつけたが遅しで、到着した数分前に医師による検死が行われていた。まぁ、いろいろとあったが、96歳という年を考えれば長生きできて幸せだったかもしれない。しかし、97歳を目前にしての死。悔やまれる部分も多い。もっとこうしておけば…と。
 3月 1日 ☆弥生 弥生という響きには、何かいい感じを覚える。女性の名前にも多く使われていることからも、多くの人が良い印象を持っていると思われる。古くは弥生時代という時代もあった。東京の弥生町から出土した土器は弥生式土器の名前の由来になった。他にも、会計用のコンピュータソフト名とか、駆逐艦名とか、原子炉にもあったような。また、小惑星にも弥生の名がある。そして、3月の弥生は、「弥生(いやおい)」が変化したものとされている。「いやおい」とは、「いよいよ生い茂る」ということで、草木がだんだん芽吹く月ということのようだ。

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