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足助の西部


則定城跡と鈴木正三

 日本宗教史、近代文学史、近世経済史などで重要視され、最近、特に脚光を浴びている人物です。

戦国時代の末期,則定城主鈴木忠兵衛重次の長男に生まれ、徳川家康、秀忠の二代に仕え、慶長20年(1615)二百石を賜り、旗本となりました。

しかし、元和6年(1620)四十二歳の時、 長男であるにもかかわらず家督を弟に譲り、多年の宿願である出家の身となりました。石平道人と号した正三は、三河・江戸その他に住して、めざましい宗教活動を行い、彼の唱えた禅は 「仁王不動禅」とも呼ばれています。この地方における 活動としては、多くの寺院の建立、再建を手がけました。則定の入り口にある心月院は、厳しく激しく生きた姿を伝える正三像が祀られています。

なお、熊本、天草の乱の後に初代代官として政治を行った鈴木三郎九郎重成は正三の弟で、本渡市の鈴木神社には重成、正三、重成の息子重辰の三人が祭神として祀られています。


不動滝
 水の量は多くないが、幅広く落ちる滝の中に不動明王が祀られています。この不動明王は江戸時代から籠林村と隣の川端村の人々によって祀られたものです。また、ここには不動明王の他、三十三観音や役行者像なども祀られており、現在も毎年お祭りが行われています。
岩谷観音

 大きな岩が抱き合うように重なり合っています。その岩窟に霊験あらたかな観音様がまつられており、岩谷観音と呼ばれています。

昔は、この岩穴に悪い鬼が住んでおり、たびたび郷へ出て村人を苦しめていました。その話を聞かれた聖徳太子が聖観世音菩薩を下賜された後に、僧行基が来られて十一面観世音像を刻み、授けられた。それ以来、鬼は出なくなったと伝えられています。   岩谷観音にはこの二体の観音様が秘仏としてまつられ、17年毎に盛大に御開帳が行われています。


 

白鷺温泉

 巴川河畔に湧く1軒宿の湯。泉質は硫化水素鉱泉、泉温17,5度。

リュウマチや神経痛、皮膚病等に効能があります。

夏には梁がかけられます。

(0565)62−0151


黍生城(きびゅうじょう)

 平安末期、標高374メートルの山頂に、尾張国の山田重長が築いた山城です。

足助に居住後、足助氏を称し、以後、足助氏がこの地を治めるようになりました。

重長は足助氏の始祖とされています。

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