cinema eye

『許されざる者』

鑑賞日94/1/27(ビデオ)
 名作と評価の高かったイーストウッドのネオ西部劇ですが、噂どおりの出来映えですね。これは確かに素晴らしい。かつての西部劇をもう一度現代の人権思想を通して見直したらこうなった、という映画で、いかにかつては男の誇りであり、ロマンであった西部開拓時代が野蛮で前近代的な世界であったかが、痛烈に描かれています。いわば西部劇の大スターであったイーストウッド自身を否定する強烈に皮肉な映画です。もちろん、その否定の刃は彼自身だけに向いているものではなく、未だに2億丁を超える銃があり、その銃で毎日人が殺されるアメリカという国自身に突きつけられている刃です。この映画を評価しながら銃を手放せない矛盾にアメリカ人はどう立ち向かっていくのでしょうか。

 まあこの映画の社会的な意味はこれくらいにしておいて、エンターテイメントとして見ても、この映画はかなりスリリングで楽しませてくれます。基本形は高倉健の任侠モノと同じで、かつては人に恐れられたアウトローが、今はまっとうに暮らしているのに再び抗争の荒野に身をさらさねばならず、それでも我慢に我慢を重ねるが、最後は遂に怒りからその力を爆発させる、という定番のパターンです。イーストウッドが最初は情けないオヤジだったのが、最後はかつてをほうふつとさせるようなガンアクションの果てに立ち去っていく様はまさに健さん!いやあ、かっこいいわぁ。

 それにしても完全に勧善懲悪なら、もっとすっきりするのでしょうが、冷静に考えれば正義はやはり敵役の保安官ジーン・ハックマンにあるわけですから、そこがネオ西部劇の辛いところですね。結局本当の悪とはなにか、それがわからないのが現代なんですよね。

 さて、そう考えるとタイトルの「許されざる者」は一体誰なんでしょう?馬を渡すことで罪を免れたつもりの牧童か、正義を行使しているつもりで本当の悪を裁けていなかった保安官か、それとも改心してもかつて人を殺しまくった主人公か。もしかしたら、全ての人は「許されざる者」であるという哲学的・宗教的メッセージかもしれませんね。

  今回の木戸銭…1500円