cinema eye

『耳をすませば』

鑑賞日96/3/17(ビデオ)
 宮崎駿は今や日本のスピルバーグです。スピルバーグが関わる作品は誰が監督をしても一定のテイストをもってその質を維持しているように、宮崎印の作品もその質の高さと娯楽性においては実に安定感があり、観る者を安心させ、そして確実にスマッシュヒットさせます。この『耳をすませば』も監督は近藤喜文なのですが、誰が監督しても同じだなぁ、という感想を持ってしまうほど同じテイストでして、ちょっと監督には可哀想なくらいです。

 物語は東京の多摩地区に住む普通の女子中学生が主人公の恋物語です。高校受験を控えた夏から秋の時期に、恋に進路にと悩む、まさに誰でもが思い当たるような話で、この誰にも思い入れができるあたりが実に「ヒットメーカー」宮崎駿のうまいところです。

 しかしよくよく考えると、実はこの物語の設定はそうそうあることではありません。突然目の前に出現するミステリアスなアンティークショップも、バイオリン職人になる夢を持つ格好良くて実は自分のことを前から好きだと言ってくれる男子生徒も、受験勉強もやらずに小説を書いている自分を優しく見守ってくれる両親も、普通ならあり得ません。現実はもっと格好悪くて思うようにはならなくてイライラするようなことばかりです。この作品はそういう一見ありそうでいて、実は非現実的な世界を描くために、やたらとリアルな絵で見せます。トトロの頃から比べてもますますその技術は高まっていると思われる現実感のある絵。その質の高さは、そこまでやるならなぜ実写にしないのか、と思えるほどです。しかし、このリアルでいて、でも実写ではなくアニメである、というところが、物語のリアルでいて非現実的、という世界とシンクロして、この作品のバランスを保っているのだと思います。つまり、実写で描いたら、かえって現実感がなくなってしまいそうな物語を、リアルなアニメーションという、ある意味では逆説的で矛盾した映像で観客を説得しているのです。

 ですが、そうして誰にでも受ける爽やかで明朗な作品に仕上がっているだけに、僕には少々物足りなさも感じました。結局これはただのおとぎ話です。昔ながらの少女マンガです。もっとリアルな少女マンガはたくさんあるというのに。しかもおとぎ話なのに何の寓話性もないし。この映画にあるのは、中学生という時代に対する郷愁と、理想的で毒のない教育的訓話だけです。ラストでに聖司が雫に「結婚してくれ」とプロポーズをします。自分が中学生なら、もしかしたら素直に感動するかもしれません。が、僕は10年後のこの2人がみものだな、後日談でも見てみたいものだ、などとかえってシニカルになってしまいました。もちろん、現実にあのくらいの年代なら、ああいうことを口走ってしまうかもしれませんけど。

 映画としては飽きさせないで最後まで惹きつけるものがある作品です。最初に書いたように、さすが宮崎印です。しかし、手堅く作ってあるだけで、もっと上の感動を期待してしまった僕には物足りない作品でした。

今回の木戸銭…1100円