cinema eye

『あの夏、いちばん静かな海。』

鑑賞日91/10/30(劇場)
 北野武監督の第3作『あの夏、いちばん静かな海。』を見てきました。たけしの1・2作はそれなりに評価を受けていたようですが、僕はどうも興味が持てなかったので見ていません。が、この作品は前2作とは全く趣が違うということなので(特に桑田の『稲村ジェーン』に対抗して作ったということだったし)前から面白そうだな、と期待はしていたのです。

 ストーリーというほどのストーリーはありません。聾唖者の茂(真木蔵人)がひょんな事から壊れたサーフボードを拾い、サーフィンをはじめる。彼の恋人(大島弘子)も聾唖者で、二人は当然言葉を交わすこともないのだけれど、お互いの気持ちは通じ合っている。だんだんとサーフィンの腕前を上げ、サーフィン仲間もできる茂。ついにサーフィン大会に出場までするようになり、ちいさなトロフィーを手にする。そして…という(ラストは書きません)、本当に淡くせつない恋物語です。

 これは今年の収穫と呼べる作品です。感動の名作、というタイプではありませんがジーンとせつなくなる佳作、と言っていいでしょう。聾唖のカップルという設定が今までにない恋愛映画として効いていて、喋り過ぎる昨今のTVドラマなんかには見られない、純粋な男と女の愛を映し出しています。時にはユーモラスに、時には淡々と、そして時には胸がキュンとなるほど切なく、美しい初恋を描きます。映像は決して美しい絵を作ろうとしていないのに(あえて汚い場所を選んでいるくらいで、サーフィン映画なのに、青い海と空、白い雲なんてありがちな絵は全然でてきません)でもとっても静かで綺麗な映画です。

 あのたけしが、こんな映画を撮る、というのは驚きでもあり反面、当然という気もします。彼がその芸能人としての振る舞いとは裏腹にナイーブで繊細な神経を持つ知識人(こういう言葉はちょっと恥ずかしいけど)であることから考えれば、こういう初恋をテーマにした胸が切なくなるような映画を作っても不思議でもなんでもないからです。ただ、驚きなのは、ここまで上手に作れる、というたけしの、いや北野監督の力量です。出てくる役者で有名なのは真木蔵人だけ。彼にしてもさして演技がうまい方とはとても言えないし、大島弘子にいたっては殆ど素人同然。彼女以外の出演者もひどい大根がゴロゴロいます。でも、かえってそれがこの映画を引き立てているから監督の手腕を評価していいと思います。日本映画の弱点の一つに、役者の顔を見ればどういうキャクラターか、あまつさえこの先どういう展開になるかまで見えてしまうことがありますが、この映画では知っている役者がほとんど出てきませんので、そのへんも逆にリアリティを感じさせます。

 それと、この映画はかなり思い切った省略がなされている映画で、それは主役の二人が話せない役だから、ということもありますが、それ以上に北野監督が観客が理解できるギリギリまで表現を絞ろうとした結果だと思います。お陰で、近くに座っていた二組のオジサン・オバサンのカップルが、それぞれに分りにくいところを確認しあうものだから、うるさくてしょうがなかった、というオマケまでついてしまいました。僕たちコピーライターの常識として「いいコピーは形容詞が少ない」ということがありますが(形容詞で飾り立てただけの文章は内容稀薄で人の心に届かない、ということです)まさにこの映画は形容詞を省いた映画、ということができるでしょう。

 この映画は北野監督にとって、ビートルズおける『イエスタディ』、サザンにとっての『いとしのエリー』みたいな位置付けになる作品となるかもしれません。新しい芸域を見せた、という意味で、よりメジャーになっていくステップとも考えられます。次の作品が今から楽しみです。

 最後に、音楽は一連の宮崎アニメの音楽を担当している久石譲。この映画でも、とってもいいですよ。今年度の日本映画、これで3本目の収穫です。

今回の木戸銭…1300円