〇はじめに
●全体
●概要
●詳細
 ▲初期処理2
 ■排卵1
 ■射精1・生理
  ◆射精1
  ◆生理
 ▲分岐点1
  ▼受精しない場合
  ▼受精する場合
 ■射精2
 ■排卵2
 ■受精
 ▲分岐点2
  ▼着床しない場合
  ▼着床する場合
 ■着床
 ▼初期処理1
 ■妊娠
 ■分娩
 ■排卵3
〇おわりに



〇はじめに

『惑星ソラリス』、『鏡』に続き、『ノスタルジア』の解析です。

『ノスタルジア』は10年ほど前、『ストーカー』再考察10を行った後に、解析のようなことを試みて失敗しました。(『ノスタルジア』(解析) -1 2024.5.6追加)
今回、『ノスタルジア』再考察を行い、その失敗の原因が分かりました。

『ノスタルジア』の内面の物語は、『鏡』の内面の物語と、ほぼ同じです。
つまり、『ノスタルジア』解析は、『鏡』解析を行なっていなければ、できないということです。

私は、『ストーカー』再考察を、2003年に始め、解析を2017年に終了しました。
そして5年後、昨年の2022年に、『惑星ソラリス』と『鏡』の解析を行いました。
『ノスタルジア』再考察と、これから行う解析が、『鏡』解析の直後になったことが、私にとって幸いしました。

『ノスタルジア』解析は、『鏡』解析を読んで、内容をある程度把握していることを前提として、書かれることになります。

登場人物の台詞と名前、また、場所、物、等の名称は、1984年シネ・ヴィヴァン六本木発行の映画パンフレットに採録されたシナリオを参照しました。
台詞や名前の表記は、販売されている、DVD、Blu-ray、の字幕と異なる場合があります。


●全体

『鏡』は、最後に2回の変身をして無限ループに入りました。

2回の変身をする前の、内面の物語の並びは、以下でした。

初期処理
排卵1
射精1・生理
分岐点1
 受精しない場合は、初期処理へ戻る
 受精する場合は、射精2から行う
  射精2
  排卵2・受精
  分岐点2
   着床しない場合は、初期処理へ戻る
   着床する場合は、着床から行う
    着床
    妊娠
    分娩
    排卵3
    出産

『鏡』の2回の変身をした後の、最終形態の並びは、以下です。

射精
排卵
受精
 分岐点
  着床しない場合は、射精へ戻る
  着床する場合は、着床から行う
   着床
   妊娠
   出産
   排卵
   初期処理
射精へ戻る

「分岐点1」から前がなくなり、「排卵3」が「出産」の後へ移動し、分かれていた「分娩」と「出産」が一つの「出産」になりました。
二つある「排卵」は、両側にある二つの「卵巣」からの「排卵」です。

2回の変身をする前の『鏡』は、映画の始まりと、物語の始まりは同じで、(「初期処理」を除いて)「排卵」でした。
そして、映画の終わりと、物語の終わりも同じで、「出産」でした。
しかし、『ノスタルジア』は、違います。

『ノスタルジア』の映画の始まりは、「排卵」ではなく、「着床」の最後です。
そして、内面の物語の終わりは、「出産」ではなく、「排卵」です。
『鏡』は、双子の姉弟の、「赤ん坊」が生まれてきましたが、『ノスタルジア』は、「赤ん坊」は、一人も生まれてきません。

内面の物語を、映画の始まりから並べると、以下のようになります。

着床(2)
初期処理1
妊娠
分娩
排卵3
初期処理2
排卵1
射精1・生理
分岐点1
 受精しない場合は、初期処理2へ戻る
 受精する場合は、射精2から行う
  射精2
  排卵2
  受精
  分岐点2
   着床しない場合は、初期処理2へ戻る
   着床する場合は、着床から行う
    着床
着床(2)へ戻る

内面の物語は、映画の始まりに戻り、無限ループします。


●概要

初期処理1と初期処理2、各フェーズ、分岐点1と分岐点2が、主にどのシーンになるのかを、『鏡』と並列(カッコ内)して、内面の物語の始まりから見てい きます。

「初期処理1」は、『鏡』には、ありません。
「出産」は、『ノスタルジア』には、ありません。
『ノスタルジア』のフェーズは、排卵、射精、生理、受精、着床、妊娠、分娩、の七つです。

「着床」は、映画の終わりと始まりに分かれ、「着床」の終わりが映画の始まりになります。

棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンを、ワイングラスに息を吹きかけて磨いている妻のモノクロシーンの後に移動して、二つのモノクロ シーンを一つにします。
このモノクロシーンが、「妊娠」の最後になります。
棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンに、ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアの会話が被ります。
ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアのシーンを、一つにしたモノクロシーンの後に移動します。
ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアのシーンが、「分娩」になります。
ワイングラスに息を吹きかけて磨いている妻のモノクロシーンの後にあった、髪をかきあげるエウジェニアが、『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母の シーン、に該当します。


▲初期処理2
窓の鎧戸を開けるゴルチャコフ (テレビのスイッチを入れるイグナート)

■排卵1
洗面所 (吃音症治療〜メインタイトル)

■射精1・生理
薬を飲むゴルチャコフ〜ゴルチャコフの夢 (メインタイトルの後〜作者の住まいのアパートの階段)

▲分岐点1
「アンドレイ!」 (レオナルド・ダ・ヴィンチの画集)

▼受精しない場合
ドメニコの家の横〜カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップ (廊下で靴の紐を締めるナタリア〜射的場のアサーフィエフとマルコフとエゴーロフ)

▼受精する場合
ゴルチャコフを呼ぶドメニコ〜階段を下りて家から出るドメニコ (手榴弾を取り出すアサーフィエフ〜雪に被われた小高い丘の斜面を登るアサーフィエフ)

■射精2
家から出るドメニコの家族(モノクロ) (ニュース映画・ソビエト発の成層圏飛行気球、飛行士を歓迎するモスクワ)

■排卵2
切り立った山の上の村の光景 (ニュース映画・鳴り響く祝砲〜原子爆弾のきのこ雲)

■受精
ドメニコとゴルチャコフの抱擁〜ホテルの廊下 (雪に被われた小高い丘のアサーフィエフと小鳥〜ベランダの母と軍服姿の父)

▲分岐点2
部屋のドアを開けるゴルチャコフ (レオナルド・ダ・ヴィンチの画集)

▼着床しない場合
ゴルチャコフの部屋、ホテルの廊下 (別荘の庭のアリョーシャとマリーナ〜顔をそらす母)

▼着床する場合
ロシア風別荘(モノクロ)〜ロウソクの火を灯して水をはらった温泉を渡るゴルチャコフ (父とアリョーシャとマリーナ〜ダ・ヴィンチの絵、バッハのヨハネ 受難曲)

■着床
少年の顔のアップ(モノクロ)、サン・ガルガノ大聖堂(モノクロ) (作者の部屋、中庭へ出て焚火をするイグナート)


■着床(2)
森と沼のある風景(モノクロ)

▲初期処理1
ヴェルディの『レクイエム』 (なし)

■妊娠
トスカーナ地方の田園〜棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬(モノクロ) (木立を揺らす風〜鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャ)

■分娩
ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニア (川を泳ぐアリョーシャ)

■排卵3
ゴルチャコフとエウジェニアの間を通る小犬を連れたラウラ〜カメラ目線のゴルチャコフの上半身 (作者の部屋)

■出産
なし (田園風景)



『ノスタルジア』の「分岐点1」と「分岐点2」の最初には、『鏡』のダ・ヴィンチの画集に該当するシーンがありません。
『鏡』の「分岐点1」と「分岐点2」は、映画の長さに引き延ばして、映画の最初のモスフィルムのオープニングロゴとその後のクレジットに、ダ・ヴィンチの 画集を重ね合わせました。

『ノスタルジア』の最初には、オープニングロゴもクレジットもありません。(受賞歴の表示がありますが、映画とは独立したものとします)
映画は、モノクロの森と沼のある風景から始まり、このシーンにタイトルとクレジットが被ります。
しかし、映画の始まりは「着床」の終わりなので、「分岐点1」と「分岐点2」の最初は、ここではありません。
「分岐点1」と「分岐点2」の最初を、内面の物語の最初に重ね合わせます。
内面の物語の始まりは、「初期処理2」です。
内面の物語の終わりは、「排卵3」です。
内面の物語の始まりと終わりは、映画の途中です。
『ノスタルジア』の「排卵3」と「初期処理2」の間には、『鏡』のモスフィルムのオープニングロゴとクレジットに該当するシーンはありません。
これが、『ノスタルジア』の「分岐点1」と「分岐点2」の最初に、『鏡』のダ・ヴィンチの画集に該当するシーンがない理由です。

『鏡』では、「分岐点1」の最後を炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画まで延長し、引き延ばしてエンドクレジットに重ね合わせました。
「分岐点2」の最後の、バッハの『ヨハネ受難曲』が流れるダ・ヴィンチの肖像画のシーンも、同じくエンドクレジットに重ね合わせました。
しかし、『ノスタルジア』の内面の物語の終わりは映画の途中なので、映画のエンドクレジットは、当然ありません。
『ノスタルジア』の「排卵3」と「初期処理2」の間には、『鏡』のエンドクレジットに該当するシーンはありません。
『ノスタルジア』は、原子爆弾の炸裂では終わりません。
従って、「排卵3」をエンドクレジットの場所に移動して、上書きして原子爆弾の炸裂を削除する必要もありません。
『鏡』の「分岐点1」は、雪に被われた小高い丘の斜面を登るアサーフィエフで終わります。

『鏡』の、この連続したニュース映画の、炸裂する原子爆弾ときのこ雲のシーンの間に、飛行機のキャビンでタバコを喫う一人の兵士のシーンがあります。
このタバコを喫う兵士が、ドメニコです。

ドメニコが言う、「私も言葉につまるとタバコをもらうが喫い方は分からずじまい。むずかしすぎる。タバコなど喫わずにもっと大切なことをすべきだ」の、意 味です。

タバコを喫う一人の兵士のシーンを含む、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画の否定です。
この連続したニュース映画に該当するシーンは、『ノスタルジア』にはありません。

「分岐点2」の最後の、バッハの『ヨハネ受難曲』が流れるダ・ヴィンチの肖像画のシーンはどうでしょうか?
このシーンの、ダ・ヴィンチの絵に部分的に入る光と、バッハの曲の最後のオリジナルにはないドーンという電子音で作ったような音は、ピカドン、炸裂する原 子爆弾でした。
このダ・ヴィンチの肖像画のシーンも、『ノスタルジア』にはありません。

バッハの『ヨハネ受難曲』は、父がアリョーシャとマリーナを引き寄せて抱くシーンから流れます。
ダ・ヴィンチの肖像画のシーンを削除すると、バッハの『ヨハネ受難曲』は、途中で途切れることになります。
『ノスタルジア』のベートーヴェンの『第九』は、『鏡』のバッハの『ヨハネ受難曲』の置換です。
これが、ドメニコの家とカンピドリオ広場で流れる、ベートーヴェンの『第九』が、途中で途切れる理由です。

『鏡』は、無限ループする前に戻り(「分岐点1」の最後は延長したままです)、ダ・ヴィンチの画集と原子爆弾の炸裂がない、『ノスタルジア』になります。
しかし、「排卵3」で物語が終わると、登場したほとんどの人々や物は、「付属物」として体外に排出され消えてしいます。
『ノスタルジア』は、「着床」の最後から後を、映画の最初に移動することで、無限ループして、体外に排出され消えてしまった人々や物が、「初期処理」で元 に戻ることになります。

映画の物語の最後は、内面の物語が連続しているので、映画の最初に戻ります。
内面の物語の最後は、映画の物語が連続しているので、映画はそのまま続きます。

『惑星ソラリス』は、無限ループしている物語を、最初と最後を入れ換えて、終わらせる映画でした。
『ノスタルジア』は、終わってしまう物語を、最後を最初に移動して、無限ループさせる映画です。

『鏡』は、最後に2回の変身をして無限ループに入り、「分岐点1」から前がなくなり、それまでに登場した人々は、家族と親戚を除いて消えてしまいました。
しかし、『ノスタルジア』は、変身することもなく無限ループして、どこかがなくなることもありません。

これがドメニコの言う、「私はエゴイストだった。自分の家族を救うことしか考えていなかった。全ての人を救うべきなんだ、世界を」の、意味です。



『鏡』には、1935年と1945年と1975年の、三つの時間軸がありました。
『ノスタルジア』には三つの時間軸はなく、一つの時間軸の今現在と過去しかありません。
今現在は、『ノスタルジア』の公開年の1983年とします。

『ノスタルジア』は、『鏡』の1975年の時間軸の続きで、8年後の物語です。
『ノスタルジア』の登場人物の内面は、 『鏡』の1975年のラストの登場人物の内面からの移動です。

『鏡』の1975年のラストにいたのは、「出産」の田園の、「特別な存在」の母と老母、「母体」の母、「子宮内膜」の父、「赤ん坊」のマリーナとアリョー シャ、です。
そして、「排卵3」の作者の部屋の、緑色の服の婦人、男性の医者、ワシーリエヴナ、メタレベルのタルコフスキー、です。

ドゥーニャ伯母は緑色の服の婦人、パーシャ伯父は男性の医者、クラーニカはワシーリエヴナ、ヴィーチカは「特別な存在」の母、の内面に移動しました。

1945年の「母体」のソロビヨフ家のナジェージダもいます。
ナジェージダの坊やと赤毛の少女は、どうなったのか分かりません。

「排卵した卵胞」の、吃音症の少年、女性の医者、作者、は体内に吸収され、体外に排出されて、消えました。
吃音症の少年と女性の医者の内面が移動した、スペイン人のエルネストとルイサ、も体外に排出されて、消えました。
古い「母体」の、1935年の男性の医者、1945年のリーザ、は死にました。

「母体」のリーザが死んで、1945年の印刷所は消えました。
印刷所で働いていた人々も、消えました。
1935年の祖父の家は、1975年のラストには、誰も住んでいない廃屋になっていたかもしれません。

『鏡』は、最後に2回の変身をして無限ループに入り、『ストーカー』の原形になりました。
『ノスタルジア』は、『ストーカー』とは別の、『鏡』のもう一つの変形です。

プログラムを新しく作る場合は、似ているプログラムをコピーして、それを修正して作りますが、『ノスタルジア』は、それに似ています。


●詳細

それぞれの詳細です。


▲初期処理2

内面の物語は、ホテルへ着いた日のゴルチャコフの部屋から始まります。
「分岐点1」で”受精しない場合”、または「分岐点2」で”着床しない場合”は、ここに戻ります。

ゴルチャコフは、イグナートです。

ゴルチャコフは、窓の鎧戸を開けます。
イグナートが、テレビのスイッチを入れることの置換です。

ベッドにあるスイッチを入れると、天井灯の光がチカチカして、ファンの回る音がカタカタします。



『ノスタルジア』は、映画の始まりと終わりの間でループしています。
そのループの中で、ホテルに着いた日のゴルチャコフの部屋から、「分岐点1」の”受精しない場合”、または「分岐点2」の”着床しない場合”、までの間を ループしています。
ループが外側と内側の2重ループになっています。
また、内側のループの、「分岐点1」までと、「分岐点2」までとは、ループの大きさが違います。

『鏡』には、モノクロシーンがありました。
『ノスタルジア』にもあります。
『鏡』と『ノスタルジア』のモノクロシーンは、ほぼ同じ場所にあります。

『鏡』の最初のモノクロは、モスフィルムのオープニングロゴとその後のクレジットです。

ゴルチャコフは窓の鎧戸を開けます。
内面の物語が始まります。

窓の外は、壁のようです。
窓の外の壁は、モノクロです。
この窓の外の壁のモノクロが、モスフィルムのオープニングロゴとクレジットのモノクロ、に該当します。

『鏡』のモノクロは、今現在より過去、という意味がありました。
内面の物語の並びでは、「排卵3」は「初期処理2」より未来ですが、映画の時間の並びでは、「排卵3」は「初期処理2」より過去です。
『ノスタルジア』の、「排卵3」と「初期処理2」は、ループの繋ぎ目です。
『ノスタルジア』の、「排卵3」と「初期処理2」の間には、『鏡』のモスフィルムのオープニングロゴとクレジットに該当するシーンはありませんでした。
その該当するシーンが、「初期処理2」の中にあります。
オープニングロゴとクレジットは、「初期処理2」の中から見て、過去です。



ゴルチャコフは部屋に入って、窓の鎧戸を開けます。
窓の外の壁の状態は、内側のループが1回目でなければ、「分岐点2」の窓の外の壁の状態と同じはずです。
しかし、窓の外の壁の状態は、内面の物語の最初の状態です。
ゴルチャコフが窓の鎧戸を開けて、内面の物語の最初の状態に戻りました。

ゴルチャコフが窓の鎧戸を開けると、物と登場人物の記憶と内面の状態が、内面の物語の最初の状態に戻り、「初期設定」されます。
前の内側のループの記憶は、削除されます。
映画の最初からの記憶は、削除されません。
内側のループが1回目の場合は、前の内側のループの記憶はありません。

この物と記憶の状態の「初期設定」の仕方は、『惑星ソラリス』と同じです。
ステーションと、ステーションにいる登場人物は、生成と消滅を繰り返します。(クリスも生成と消滅を繰り返しますが、クリスの説明は割愛します)
ステーションと、ステーションにいる登場人物が生成した時、前の生成から消滅までの登場人物の記憶は削除されます。
そして、クリスがステーションへ到着する前の物の状態になります。

内側のループが始まって、ゴルチャコフが部屋に入り、窓の鎧戸を開けるまでは、前の内側のループの記憶が残っていることになります。

これも、『惑星ソラリス』と同じです。
登場人物が生成した時、しばらくは前の生成から消滅までの記憶が残っています。
ハリーは、最初の生成の時、スナウトのことを知っていました。
2回目の生成の時は、服の脱ぎ方を知っていました。
ゴルチャコフの部屋の洗面所の鏡は、『惑星ソラリス』のステーションの窓と通路の凹面鏡と同じ、丸い形をしています。


■排卵1

ゴルチャコフは、ベッドサイドランプを点けます。
ゴルチャコフの部屋が、「卵巣」になります。
洗面所が、「卵巣」の隣の「卵管膨大部」になります。

洗面所に入る前に、ゴルチャコフは洗面所の電気のスイッチを指で探ります。
「初期処理2」で、記憶が「初期化」され、洗面所の電気のスイッチの場所は憶えていません。
最初は、入口の左の壁を探りますが、スイッチはありません。
右の壁にスイッチがあります。

電気を点けたことで、洗面所が「卵巣」になります。
ゴルチャコフの部屋は、「卵巣」の隣の「卵管膨大部」になります。
廊下は、「卵管」になります。

ゴルチャコフの右の手と指は、「卵管采」になります。
右の腕は、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」に繋がっています。
左の手と指は、もう片方の「卵管采」になります。
左の腕は、もう片方の「卵管膨大部」に繋がっています。

「卵巣」の洗面所に入って、ゴルチャコフは「卵胞」になります。

洗面所の蛇口は、もう一つの「卵胞」です。
蛇口から出た水は、「排卵した卵子」です。
洗面台の陶器は、「卵管采」です。
排水管は、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」に繋がっています。

ゴルチャコフは、洗面所の「卵巣」から出て、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」に入ります。
洗面所の入口は、「卵管采」です。
ゴルチャコフは、「排卵した卵子」です。

一つの「卵巣」から、水とゴルチャコフの、二つの「卵子」を「排卵」します。



「卵巣」の洗面所は、吃音症治療の作者の部屋です。
「卵管膨大部」のゴルチャコフの部屋は、メインタイトルです。

「卵胞」の蛇口は、女性の医者です。
「排卵した卵子」の蛇口から出た水は、女性の医者が発した言葉で、1935年の祖父の家のノートです。

「卵胞」のゴルチャコフは、吃音症の少年です。
「排卵した卵子」のゴルチャコフは、吃音症の少年が発した言葉で、1945年の印刷所のゲラ刷りです。

女性の医者と吃音症の少年は、8年前の『鏡』の、「排卵した卵胞」です。
「排卵した卵胞」は、体内に吸収され、体外に排出されて、消えます。
二人は、『ノスタルジア』にはいません。
『鏡』の残滓です。



『鏡』の「排卵1」は、吃音症治療の作者の部屋のモノクロでした。

電気を点ける前の洗面所は、やや青みのあるモノクロです。
ベッドサイドランプを点ける前のモノクロの洗面所は、「卵巣」でした。
この「卵巣」の洗面所の、やや青みのあるモノクロが、『鏡』の吃音症治療の作者の部屋のモノクロ、に該当します。

ベッドサイドランプを点けた後、電気を点ける前までの洗面所は、「卵管膨大部」でした。
この「卵管膨大部」の洗面所のモノクロが、『鏡』のメインタイトルに該当します。

*『鏡』解析では、メインタイトルは「卵管」としましたが、「卵管膨大部」の誤りです。

『鏡』のモノクロシーンは、今現在より過去、という意味がありました。
『鏡』の「排卵1」は、「初期処理」より未来です。
しかし、「分岐点1」の”受精しない場合”、または「分岐点2」の”着床しない場合”は、未来から時間を逆行して、「初期処理」に戻ります。
「排卵1」は、「分岐点1」または「分岐点2」より、過去です。
「排卵1」は、「分岐点1」または「分岐点2」の続きの「初期処理」より、過去です。
これが、『鏡』の「排卵1」の吃音症治療の作者の部屋が、モノクロになっている理由です。
『鏡』の「初期処理」と「排卵1」は、ループの繋ぎ目です。

ループの繋ぎ目の時間の流れは、過去から未来、未来から過去、の二つあります。
「ペンローズの階段」、または、エッシャーの『上昇と下降』のイメージと同じです。
しかし、『ノスタルジア』の「初期処理2」と「排卵1」は、ループの繋ぎ目ではありません。
時間の流れは、過去から未来、の一つしかありません。
時間は、ゴルチャコフが洗面所に入ろうとする、今現在です。
やや青みのあるモノクロは、「初期処理2」と「排卵1」の間の今現在を意味している、と考えます。

洗面所に椅子があります。
吃音症治療の作者の部屋にも、椅子がありました。

「排卵3」の作者の部屋にも、吃音症治療の作者の部屋の椅子と、同じ椅子がありました。
ホテルのロビーにも、洗面所の椅子と、同じ椅子があります。

小犬を連れたラウラが、ゴルチャコフとエウジェニアの間を通り、画面左手に消える前に、廊下の電気を点けます。
電気を点けて柱の手前に光が当たり、影に隠れていた椅子が浮かび上がります。
ホテルのロビーには、作者の部屋の「卵巣」にあった鉢植えと似た、鉢植えもあります。
小犬を連れたラウラが、ゴルチャコフとエウジェニアの間を通るホテルのロビーは、「排卵3」の「卵巣」です。

ゴルチャコフは、『鏡』の「排卵3」の男性の医者です。
エウジェニアは、緑色の服の婦人です。
ラウラは、作者です。
ホテルの女主人は、ワシーリエグナです。

ゴルチャコフと、エウジェニアと、ラウラと、ホテルの女主人は、「卵胞」です。
ラウラは、メタレベルのタルコフスキーです。

『鏡』の「排卵1」の椅子には誰も座っていませんでしたが、「排卵3」の椅子には、ワシーリエヴナが座っていました。
ホテルのロビーの「排卵3」の椅子には、誰も座っていません。

ラウラのタルコフスキーは、ベッドに寝ていません。
ホテルの女主人のワシーリエグナは、眠っていて椅子に座っていません。

吃音症の少年と女性の医者は、「私は話せます」という、同じ言葉を発します。
ゴルチャコフは、洗面所に入って蛇口をひねって水を出し、コップを使おうとして、使わずに蛇口に口を当てます。
水は口に入り、流れて口の外に出ます。
コップに水を入れて口をゆすぐと、女性の医者が発した言葉と、吃音症の少年が発した言葉は、同じにならない、と考えます。

水は、発した言葉の隠喩です。
発した言葉は、「排卵した卵子」の隠喩でした。

水は、隠喩の隠喩です。

永遠にタルコフスキー的な水です。


■射精1・生理


◆射精1

ゴルチャコフは、薬を飲みます。
ゴルチャコフは、「卵子」から「精子」になります。

鏡台の上に、古びた聖書があります。
聖書は、洗面所の「卵巣」から出て、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」に入った、「排卵した卵子」です。
「排卵した卵子」は、ゴルチャコフから聖書になりました。
聖書の「卵子」は、「排卵」してから日にちが経ち古くなっているので、ゴルチャコフの「精子」と「受精」することができません。

エウジェニアは、「母体」です。
エウジェニアが持っている本は、アルセニー・タルコフスキーの詩集で、「精子」です。

「精子」のゴルチャコフは、「母体」のエウジェニアから、「精子」の詩集を受け取ります。
「精子」が「精子」を持つのは不自然です。
ゴルチャコフは、「精子」から「母体」になります。

エウジェニアはバッグをたすき掛けにし、競争の時のスタートの真似をして走り出しますが、すぐに転びます。
「母体」のエウジェニアは死にます。

ゴルチャコフは、「精子」の詩集を部屋の隅に投げます。

ゴルチャコフは、部屋の真ん中にあったカバンを取り、部屋の隅に投げた「精子」の詩集の横に置きます。
カバンは、洗面所の「卵巣」の蛇口から出て、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」に入った、「排卵した卵子」です。
「排卵した卵子」は、水からカバンになりました。
カバンの「卵子」は、「排卵」してから日にちが経ち古くなっているので、詩集の「精子」と「受精」することができません。

ゴルチャコフは、洗面所の電気を消して、ベッドサイドランプを消します。

洗面所の電気を消したことで、ゴルチャコフの部屋は「卵管膨大部」から「卵巣」になり、洗面所は「卵巣」から「卵管膨大部」になります。
ベッドサイドランプを消したことで、洗面所は「卵管膨大部」から「卵巣」になります。
ゴルチャコフの部屋は、「卵巣」のままです。

ゴルチャコフの部屋と洗面所が、「卵巣」になります。
ゴルチャコフは、「母体」から「卵胞」になります。



「卵管膨大部」のゴルチャコフの部屋は、『鏡』のメインタイトルです。

ゴルチャコフは薬を飲み、吃音症の少年が発した言葉の「卵子」から、メインタイトルの白い文字の「精子」になります。

ゴルチャコフは、タンスを開けて中を見ます。
タンスの中には、何もかかっていないハンガー以外は、何もありません。
タンスは、1935年の祖父の家です。
1935年の祖父の家は、1983年の『ノスタルジア』の時代には、誰も住んでいない廃屋になっているかもしれません。
タンスの祖父の家は、『鏡』の残滓です。

タンスの横に鏡台があります。
鏡台は、1945年の印刷所です。
「母体」のリーザが死んで、印刷所は消えました。
印刷所は、『ノスタルジア』にはありません。
鏡台の印刷所は、『鏡』の残滓です。
鏡は、『鏡』の残滓です。

ゴルチャコフは、鏡台の上の聖書を手に取り、開いて見ます。
ゴルチャコフは、何か気配を感じて、聖書から目を離し、不思議に思った時のような顔つきをします。
何か落ちて、丸いものが床を転がる音がします。

何か落ちて丸いものが床を転がる音は、1935年の祖父の家の部屋で、机の上からランプ(のガラス)が、転がり落ちる音の残滓です。
1945年のソロビヨフ家で、母が落としたアクセサリーが床を転がる音にも似ています。
机の上からランプ(のガラス)が転がり落ちて、祖父の家の部屋は、「子宮」から「卵管膨大部」になり、裏庭が「子宮」になりました。
しかし、ゴルチャコフの部屋は、「卵管膨大部」から「子宮」にはならずに、「卵管膨大部」のままです。
ゴルチャコフの部屋は、メタレベルのメインタイトルです。
1935年の祖父の家の部屋の、机の上からランプ(のガラス)が、転がり落ちる音は、他の時間軸には影響がありませんでした。
メタレベルにも影響はありません。

カメラが本に近づき,、古びた聖書、髪の毛が絡みついた櫛、液体の入った瓶、枯れ葉、鍵、が画面に映ります。

髪の毛が絡みついた櫛は、1945年の母がシャワーを浴びた時に使った、リーザから渡された櫛です。
液体の入った瓶は、印刷所の工場長が持ってきた酒の入った瓶です。
枯れ葉は、「分岐点1」で、1975年のイグナートが見ていたダ・ヴィンチの画集に、栞のように挟まれていた枯れ葉です。
髪の毛が絡みついた櫛は、栞のように古びた聖書に挟まれています。

「卵子」の古びた聖書は、メインタイトルの二つある「鏡」の文字の一つで、印刷所のゲラ刷りの残滓です。
誤植はありません。

鍵は、ホテルのロビーで、エウジェニアがゴルチャコフに訊ねていた鍵です。
しかし、ゴルチャコフは、鍵を持っているようには見えませんでした。
前後の脈略のない、唐突な台詞です。

エウジェニア「他のホテルの鍵を持ってきたんじゃないでしょうね」
ゴルチャコフ「いや、僕の家のだ」

「他のホテル」とは、『鏡』のことです。
「僕の家」とは、『ノスタルジア』のことです。

鏡台の上の鍵は、他のホテルの鍵で、『鏡』を開ける鍵です。
ゴルチャコフの鍵は、『ノスタルジア』を開ける鍵です。

『鏡』の1935年の男性の医者が持っていたカバンは、鍵を忘れて開けることができませんでした。
ホテルのロビーで、エウジェニアがゴルチャコフに、脈略なく唐突に鍵のことを訊ねたのは、ゴルチャコフがカバンを持ち上げた時です。
「他のホテル」とは、「カバン」のことです。
「家の鍵」で、カバンを開けることはできません。
1935年の男性の医者が持っていたカバンは、ねじ回しか釘で、壊して開けるしかありません。

ギー、という音とともに扉が開き、本(詩集)を抱えたエウジェニアが立っています。
エウジェニアが着ているコートの色は、はっきりしませんが、ここでは緑色です。
「排卵3」のエウジェニアは、緑色の服の婦人でした。
ここでのエウジェニアは、『鏡』の「分岐点1」の緑色の服の婦人のように見えますが、違います。

エウジェニアが立っている場所は、印刷所の植字室です。
植字室は、「卵管膨大部」の出入口でした。

「母体」のエウジェニアは、リーザです。

ゴルチャコフ「ノックした?」
エウジェニア「まだよ」

ゴルチャコフは、廊下へ出て人を探しますが、誰もいません。
先ほど感じた何かの気配は、人の気配です。

電話のベルが鳴り始めます。

この電話のベルの音は、校正室の電話のベルの音の残滓です。
校正室は、「子宮」から「卵管膨大部」になり、シャワー室が「子宮」になりました。
しかし、ゴルチャコフの部屋は、「卵管膨大部」から「子宮」にはならずに、「卵管膨大部」のままです。
ゴルチャコフの部屋は、メタレベルのメインタイトルだからです。

「卵管」の廊下は、印刷所のシャワー室の前です。

エウジェニアはバッグをたすき掛けにし、競争の時のスタートの真似をして走り出しますが、すぐに転びます。
廊下の電気が消えて、電話が鳴りやみます。
コインらしきものが落ちる音がします。

廊下の電気は、『鏡』の、木立を揺らす風に該当します。

リーザは、シャワー室の前から、廊下をスキップして立ち去ります。
そしてこの直後に、老母が作者の住まいに電話をかけてきて、死にます。

ゴルチャコフが「母体」になり、エウジェニアの「母体」は死にます。

『鏡』の「分岐点1」で、母は出かけようとして、慌ててバッグを落とします。
散らばったバッグの中身の中に、コインもありました。
イグナートは、そのコインを拾っていて、流れているはずのない電流を感じます。

ゴルチャコフは、何か丸いものが落ちて転がる音を聞き、誰もいるはずのない人の気配を感じます。
人の気配は、『鏡』の残滓です。

1935年の男性の医者と、1945年のリーザは、古い「母体」として死んで、『ノスタルジア』にはいません。
『鏡』の残滓です。

『ストーカー』で、「子宮」のゾーンの野原に着いたストーカーは、しばらくタイミングを計り、バッグをたすき掛けにして出発します。
ストーカーは、白い布を結んだナットの「射精した精子」を投げます。

『鏡』の「分岐点1」で、イグナートは、緑色の服の婦人に言われて本を書棚から取り、読みます。
そして、この本を持って、「初期処理」へ戻り、テレビのスイッチを入れます。
しかし、「分岐点2」から「初期処理」へ戻る時は、本を持たずに戻ります。
だから、アリョーシャ(イグナート)はマリーナに、本を盗んだことにされてしまいます。
『ノスタルジア』の「初期処理2」では、ゴルチャコフは本を持っていませんでした。
そのかわり、ここでエウジェニアから、詩集(本)を受け取ります。
エウジェニアから詩集を受け取り、ゴルチャコフは、メインタイトルの白い文字の「精子」から、1935年の男性の医者の「母体」になります。

イグナートが持っていた本は、「排卵した卵子」でした。
エウジェニアが持っていた詩集は、「射精した精子」です。

詩集は、「精子」の母です。

1945年の「母体」のリーザから、1935年の「母体」の男性の医者に、「精子」の母が渡されたことになります。
「精子」の詩集は、1945年の「精子」の母から、1935年の「精子」の母になります。

洗面所の蛇口から出た「排卵した卵子」の水が、洗面台の陶器の「卵管采」から、排水管を通って「卵管膨大部」のゴルチャコフの部屋に入り、カバンになりま した。
水は、ソラリスの海の水です。
洗面所の鏡は、『惑星ソラリス』のステーションの窓、そして通路の凹面鏡と同じで、丸い形をしています。

「卵子」のカバンは、女性の医者が発した言葉で、1935年の祖父の家のノートです。

部屋の隅に投げた「精子」の詩集は、幼年時代のアリョーシャの部屋の「卵巣」の隣の、「卵管膨大部」の両親の部屋で、横から投げられた白い布の「精子」で す。

『鏡』では、両親の部屋で横から白い布を投げた人物は、映っていませんでした。
「子宮内膜」の父は、「卵管膨大部」の両親の部屋にはいられないので、白い布の「精子」を投げたのは父ではありません。

「精子」の詩集を受け取り、ゴルチャコフは「精子」から「母体」になりました。
白い布の「精子」を投げた人物は、男性の医者です。
男性の医者は、両親の部屋にいたことになります。
だから、アリョーシャは心配になって、「パパ」と言ったのかもしれません。

白い布の「精子」を投げた男性の医者は、「母体」です。
ソロビヨフ家のナジェージダが捨てた、”たらい”の中のミルクは、白い布と同じ「精液(精子)」です。
ナジェージダは、「母体」です。
「精子」の詩集を、ゴルチャコフに渡したエウジェニアも、「母体」です。

*『鏡』解析では、「生理」のフェーズの「精子」は、白い布の「射精した精子」、としました。
 そして、白い布が横から投げられた「卵管膨大部」の隣の、アリョーシャの部屋の「卵巣」で寝ている、アリョーシャは「精子」から「卵胞」になりました、 としました。
 これでは、白い布が投げられる前から、アリョーシャは「精子」、ということになってしまうので、誤りです。
 『ノスタルジア』解析では、白い布を投げたのは男性の医者、としました。
 これでは、男性の医者が登場する前は、家族と親戚の「精子」は、いないことになってしまいます。
 「生理」のフェーズの「精子」は、「生理」の数日前の「射精した精子」、とします。
 「生理」の前の、「射精した精子」は、「卵管膨大部」のメインタイトルの、白い文字になります。
 ロシア語の文字は精子のようにも見えます。(『ストーカー』解析)
 メインタイトルにある、二つの「鏡」の文字は、二つの「排卵した卵子」です。
 その他の文字が、「射精した精子」になります。



ゴルチャコフは、洗面所の電気を消して、ベッドサイドランプを消します。

洗面所の電気を消したことで、洗面所は「卵巣」から「卵管膨大部」になります。
洗面所はモノクロになります。
雨の音がしているので、洗面所は「卵巣」のままのはずです。
しかし、ゴルチャコフの部屋のベッドサイドランプが点いています。
ゴルチャコフの部屋は、「卵管膨大部」から「卵巣」になります。
雨は、ゴルチャコフの部屋は「卵巣」ですよ、という意味になります。
「卵管膨大部」の洗面所のモノクロは、『鏡』の、1935年の祖父の家の、「卵管膨大部」の両親の部屋のモノクロ、に該当します。

ベッドサイドランプを消したことで、洗面所は「卵管膨大部」から「卵巣」になります。
ゴルチャコフの部屋と洗面所が、「卵巣」になります。
雨は、ゴルチャコフの部屋と洗面所は「卵巣」ですよ、という意味になります。
「卵巣」の洗面所のモノクロは、『鏡』の、1935年の祖父の家の、「卵巣」のアリョーシャの部屋のモノクロ、に該当します。

『鏡』では、木立を揺らす風が吹いて、アリョーシャの部屋が「卵巣」になり、アリョーシャの部屋の隣の両親の部屋が、「卵管膨大部」になりました。
『ノスタルジア』では、洗面所の電気を消して、洗面所は「卵管膨大部」になり、ベッドサイドランプを消して、洗面所が「卵巣」になりました。
アリョーシャの部屋が「卵巣」になり、両親の部屋が「卵管膨大部」になるのと、洗面所が「卵管膨大部」になり、「卵巣」になるのとでは、順番が逆になりま す。

『ノスタルジア』の「射精1」の廊下の電気は、『鏡』の「射精1・生理」のアリョーシャの部屋のカラーシーンの後の、木立を揺らす風に該当します。

『ノスタルジア』では、廊下の電気が消えたのは、今現在より過去です。
「卵巣」と「卵管膨大部」の洗面所のモノクロは、今現在より過去です。

場所の意味の設定は、電気のON/OFFが上位と考えます。
鏡台の上に、酒の入った瓶がありました。
酒(液体)があるということは、ゴルチャコフの部屋は、「卵巣」か「子宮」です。
「初期処理2」で、ゴルチャコフがベッドサイドランプを点けて、洗面所は「卵巣」から「卵管膨大部」になりました。
洗面所の電気を点けて、洗面所は「卵管膨大部」から「卵巣」になりました。
そして、鏡台の上に酒(液体)が入った瓶があるにもかかわらず、ゴルチャコフの部屋は「卵巣」から「卵管膨大部」になりました。

ゴルチャコフの部屋と洗面所は、ベッドサイドランプと洗面所の電気のON/OFFの、組み合わせで意味が決まります。
ベッドサイドランプOFF/洗面所の電気OFF、ゴルチャコフの部屋は「卵巣」、洗面所は「卵巣」です。
ベッドサイドランプON/洗面所の電気OFF、ゴルチャコフの部屋は「卵巣」、洗面所は「卵管膨大部」です。
ベッドサイドランプON/洗面所の電気ON、ゴルチャコフの部屋は「卵管膨大部」、洗面所は「卵巣」です。

「初期処理2」で、ゴルチャコフが部屋に入った時は、ベッドサイドランプはOFFで、洗面所の電気はOFFです。
前の内側のループの最後の状態から、ゴルチャコフの部屋は「卵巣」になり、ゴルチャコフは「卵胞」になります。


◆生理

「射精1」で、エウジェニアはバッグをたすき掛けにし、競争の時のスタートの真似をして走り出しますが、すぐに転びます。
廊下の電気が消えて、電話が鳴りやみます。
ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁が、「子宮」になります。

ゴルチャコフは、部屋の窓の鎧戸を開けます。

女主人(オフ)「夜が明ければいい景色が見えますよ。川やキノコもありますし・・・」

これはエウジェニアに言ったのですが、ゴルチャコフの部屋の窓からは壁が見えるだけで、いい景色は見えません。

ストーカー「向こうに川があるんです。ここには花壇もありましたが、ジカブラスが踏みにじって。でも花の香りは何年も残ってたんですがね。」(『ストー カー』シナリオより)

ゾーンの野原は、「子宮」です。

女主人の言う、キノコは「男根」を連想させます。

窓の外の壁には、「精子」のような形をした、壁を這う植物のようなものがあります。

ゴルチャコフは、ベッドに座ります。

雨で、壁の汚れがずり落ちます。
ずり落ちた壁の汚れは、「生理」で剥がれ落ちた、古い「子宮内膜」です。

ゴルチャコフは、眠気でこっくりこっくりとします。
窓から部屋に射し込む光が、暗くなります。

電気を消した洗面所が、さらに暗くなります。
洗面所は、「卵巣」から「卵管膨大部」になります。
洗面所の「卵管膨大部」は、「卵管」と繋がっています。
「卵管」は、窓の外の壁の「子宮」と繋がっています。

雨の音に混じって、犬の鳴き声が、微かにします。
犬の鳴き声は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

ゴルチャコフが、ベッドにうつ伏せになって眠ります。

犬が、洗面所の「卵管膨大部」から、ゴルチャコフの部屋の「卵巣」に入ります。

犬は、時間と空間を自由に移動できる、「特別な存在」です。

犬は、ゴルチャコフが眠るベッドの横に座ります。

瓶が倒れて、床を転がる音がします。
しかし、瓶は見えません。

窓の外の壁が、「子宮」から「卵管膨大部」になり、洗面所が「卵管膨大部」から「子宮」になるはずでしたが、なれませんでした。
洗面所の隣の、ゴルチャコフの部屋が「卵巣」だからです。
「卵巣」の隣に、「子宮」はありません。
窓の外の壁は、「子宮」から「卵管膨大部」になれず、ニュートラルな状態になります。

ゴルチャコフは、犬を撫でます。

雨の音に混じって、犬の鳴き声が、微かにします。
ゴルチャコフは、夢を見ます。

水滴の音は、夢の中は、「子宮」ですよ、という意味です。

夢の中の妻は、新しい「母体」です。
夢の中の妻とキスをするエウジェニアは、古い「母体」です。
窓の外の壁が、ニュートラルな状態になったことで、「子宮」がなくなり、「母体」のエウジェニアは、死にます。
エウジェニアが泣いているのは、自分が死んでしまうからです。
ゴルチャコフの記憶の中から、妻が選ばれ、妻が新しい「母体」になります。

夢の中のゴルチャコフは、腕が汚れています。
『惑星ソラリス』のクリスが見る夢の中の、クリスも腕が汚れていました。
クリスの母は、クリスの泥で汚れた腕を水で洗いました。
ゴルチャコフを見つめるエウジェニアは、ゴルチャコフの母です。
ゴルチャコフの腕の汚れは、窓の外の壁のずり落ちた汚れです。
ゴルチャコフは、「生理」で剥がれ落ちた、古い「子宮内膜」です。
ゴルチャコフの母のエウジェニアが、新しい「子宮内膜」になります。
ゴルチャコフの母のエウジェニアが泣いているのは、古い「子宮内膜」のゴルチャコフが、体外に排出されて、死んでしまうからです。
窓の外の壁が、ニュートラルな状態になったことで、「子宮」がなくなり、新しい「子宮内膜」のゴルチャコフの母のエウジェニアは、「特別な存在」になりま す。
ゴルチャコフは、古い「母体」の古い「子宮内膜」として死に、新しい「母体」の新しい「子宮内膜」として再生します。

『惑星ソラリス』の犬は、クリスの母でした。
『ノスタルジア』の犬は、ゴルチャコフの母です。

犬は、未来から来ました。
犬は、「特別な存在」です。

ベッドに、妊娠した「母体」の妻が横たわっています。

ゴルチャコフの部屋に、ベッドサイドランプはありません。
ベッドの向きも違います。
ゴルチャコフの部屋は、「卵巣」でも「卵管膨大部」でもありません。
ゴルチャコフの部屋は、「子宮」です。

洗面所の電気が点きます。
洗面所が、もう片方の「卵管」(「卵管B」とします)になります。
「卵管B」の洗面所に、椅子はありません。

「受精」したので、窓の外の壁の、「精子」のような形をした、壁を這う植物のようなものの尻尾は切れて、半分ありません。
窓は、「受精卵」の表面のように閉じられています

しかし、今現在は「生理」なので、「受精」も「妊娠」もしていません。
モノクロは、今現在より過去です。
妊娠した妻は、8年前の『鏡』の残滓です。

妻が新しい「母体」になったことで、ゴルチャコフの部屋は、新しい「子宮」になります。
ゴルチャコフの部屋が、「子宮」になったことで、窓の外の壁は、「子宮」でなくなります。
だから窓が閉じられています。

エウジェニアが、ゴルチャコフの部屋のドアをノックする音と、ゴルチャコフの名前を呼ぶ声で、ゴルチャコフは眠りから覚めます。
エウジェニアは、「卵管膨大部」の自分の部屋から、廊下の「卵管」を通って、「子宮」のゴルチャコフの部屋の前まで来ました。

ゴルチャコフの部屋と、エウジェニアの部屋は、廊下と階段の「卵管」で繋がっています。
ゴルチャコフの部屋が「卵管膨大部」になると、エウジェニアの部屋は「子宮」になります。
エウジェニアの部屋が「子宮」になると、洗面所は「卵管B」になり、洗面所のお湯(水)が出なくなります。
水は、「子宮」と「卵巣」にしかありません。
これが、「分岐点2」でエウジェニアが言う、「私の部屋、お湯が出ないの。いても殺さないわね」の、意味です。

「卵管B」の先の、もう片方の「卵管膨大部」と「卵巣」は、『ノスタルジア』には、登場しません。

ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁が「子宮」になると、エウジェニアの部屋が、もう片方の「卵巣」になり、洗面所が、もう片方の「卵管膨大部」になるかもし れません。
そして、エウジェニアの部屋の洗面所の「卵管膨大部」が、「卵管B」で、ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁の「子宮」と、繋がるかもしれませんが、確実なこ とではありません。



『ノスタルジア』は、一つの時間軸の今現在と過去しかないので、表面と内面の時間は、同じ速さで進みます。
時間は、メタレベルで短縮されます。
つまり、映画の編集です。
実際の時間を、映画の時間に短縮しています。

『鏡』は、三つの時間軸があるので、同じ時間の一つの内面に対して、複数の表面があります。
「生理」の「子宮」は、1935年の祖父の家の裏庭で、1945年の印刷所のシャワー室で、1975年の作者の住まいの台所です。
但し、同じ時間軸には、同じ時間の一つの内面に対して、一つの表面しかありません。

『ノスタルジア』は、一つの時間軸しかないので、同じ時間の一つの内面に対して、一つの表面しかありません。



廊下の電気は、『鏡』の木立を揺らす風に該当します。

廊下の電気が消えて、ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁は、「子宮」になりました。

電話のベルの音は、1945年の印刷所の、校正室の電話のベルの音の残滓です。
校正室は、「子宮」から「卵管膨大部」になり、シャワー室が「子宮」になりました。
しかし、ゴルチャコフの部屋は、「卵管膨大部」から「子宮」にはならずに、「卵管膨大部」のままでした。
ゴルチャコフの部屋は、『鏡』のメタレベルの、メインタイトルだからです。
1945年の印刷所の、校正室の電話のベルの音は、他の時間軸には影響がありませんでした。
メタレベルにも影響はありません。
電話が鳴りやんだのは、ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁が、「子宮」になったからです。

『ノスタルジア』の「射精1」の廊下の電気は、『鏡』の「射精1・生理」のアリョーシャの部屋のカラーシーンの後の、木立を揺らす風に該当します。
木立を揺らす風が吹いて、1935年の祖父の家のアリョーシャの部屋が「卵巣」になり、アリョーシャの部屋の隣の両親の部屋が「卵管膨大部」になりまし た。
そして、1975年の作者の住まいの台所が、「子宮」になりました。

洗面所の「卵巣」と、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」は、『鏡』の1935年のアリョーシャの部屋の「卵巣」と、両親の部屋の「卵管膨大部」です。
そして、窓の外の壁の「子宮」は、『鏡』の1975年の作者の住まいの台所の「子宮」です。

ゴルチャコフが、詩集を部屋の隅に投げてから、雨の音が始まり、部屋の横の窓から射し込む光が、雨で揺らめき始めます。
『鏡』では、水は、ここは「子宮」、または「卵巣」ですよ、という意味でした。
『ノスタルジア』でも、水は、ここは「子宮」、または「卵巣」ですよ、という意味です。

この雨は、洗面所が「卵巣」ですよ、という意味です。
この雨は、『鏡』の、1935年の祖父の家の、「卵巣」のアリョーシャの部屋の”たらい”の水です。

『鏡』では、1935年の祖父の家の両親の部屋で、横から白い布が投げられ、1975年の作者の住まいの台所に、シーンが切り換わりました。
この雨は、ゴルチャコフが投げた詩集が床に落ちてから始まりました。
この雨は、『鏡』の、1975年の作者の住まいの台所の、「子宮」の壁をつたって流れる水です。



窓の外の壁の、「精子」のような形をした、壁を這う植物のようなものは、シミのようにも見えます。
それ以外のシミは、風景のようにも見えます。
風景を描いた絵のようにも見えます。

壁がつるつるとしたガラスで、汚れが表面を滑ってずり落ちる感じです。
窓の外の壁は、ガラスのある額縁に入った絵のように見えます。
『鏡』の、漆喰が天井から落ちる部屋には、ガラスのある額縁に入った絵がありました。

雨でずり落ちた壁の汚れは、漆喰が天井から落ちる部屋の、ぼたぼたと剥がれ落ちる漆喰です。
窓から見える、外の壁は、1975年の作者の住まいの台所の「子宮」です。

倒れて床を転がる瓶は、机の上から転がり落ちるランプです。
机の上から転がり落ちるランプは、電話のベルの音と同じです。

瓶が倒れて転がる音は、1975年の老母が、未来から、作者の住まいにかけてきた電話のベルの音です。
1975年作者の住まいの電話のベルの音は、他の時間軸にも影響がありました。

この電話のベルで、1935年の「母体」の男性の医者は死に、「精子」の母が「母体」になりました。
この電話のベルで、1945年の「母体」のリーザは死に、ソロビヨフ家のナジェージダが「母体」になりました。
この電話のベルで、1945年の「精子」の母は、「特別な存在」になりました。
この電話のベルで、1975年の新しい「子宮内膜」の母(老母)は、「特別な存在」になりました。

*『鏡』解析で書いた、”1935年の時間軸から転送された、1975年の時間軸の母は、「子宮内膜」から、特別な存在になります。”の、”転送”は誤り です。
 ”木立を揺らす風が吹いたことによって、「精子」の母は、祖父の家にいたままになり、新しい「子宮内膜」の母が、作者の住まいの台所に生成されまし た。”
 ”転送”だと、1935年の時間軸の母は消えることになります。
 母は、1975年の時間軸に新しく「生成」され、1935年の「母体」の母と、1975年の「特別な存在」の老母の、二人に分離しました。
 1945年の「特別な存在」の母も合わせると、母は三人になります。
 『鏡』のラストで母は、「特別な存在」の老母、父と一緒にいた「母体」の母、電信柱の近くに立っていた「特別な存在」の母、の三人がいます。

新しい「母体」の妻は、1945年の新しい「母体」のソロビヨフ家のナジェージダと、1935年と1975年の新しい「母体」の母です。
古い「母体」のエウジェニアは、1945年の古い「母体」のリーザと、1935年の古い「母体」の男性の医者です。
古い「子宮内膜」のゴルチャコフは、1975年の作者の住まいの台所の父です。
新しい「子宮内膜」から「特別な存在」になったゴルチャコフの母のエウジェニアは、1975年の作者の住まいの台所の新しい「子宮内膜」から「特別な存 在」になった母(老母)です。

「特別な存在」の犬は、1975年の「特別な存在」の老母が、未来から、作者の部屋の「卵巣」がある住まいにかけてきた電話の信号です。
電話の信号の「特別な存在」の犬を撫でるゴルチャコフは、電話の受話器を取る作者です。
『ノスタルジア』のゴルチャコフの部屋の「卵巣」は、『鏡』の1975年の作者の部屋の「卵巣」です。
『鏡』の、1935年のアリョーシャの部屋と、1975年の作者の部屋は、同じ「卵巣」です。
アリョーシャは、作者です。
しかし、『ノスタルジア』には、『鏡』の作者はいません。
8年前の『鏡』で、「排卵した卵胞」の作者は、体内に吸収され、体外に排出されて、消えました。
電話の受話器を取るのは、『鏡』の8年後のアリョーシャです。
アリョーシャは、作者です。

「特別な存在」の犬は、1945年の「精子」から「特別な存在」になった、宙に浮いている「特別な存在」の母です。

宙に浮いている母は、「射精」してから日にちが経ち、死んでしまう「精子」のアリョーシャを救おうとして、1945年から1975年の作者の住まいの台所 の「子宮」に来ました。
宙に浮いている母の「特別な存在」の犬を撫でるゴルチャコフは、アリョーシャを救おうとしている母の不安をいたわり、母の手を撫でる、
1975年の古い「母体」の古い「子宮内膜」として死に、1935年と1975年の新しい「母体」の、新しい「子宮内膜」として再生した父です。

1945年の新しい「母体」の新しい「子宮内膜」は、赤毛の少女です。
1935年と1975年の新しい「子宮内膜」として再生した父は、赤毛の少女でもあります。
『鏡』の「分岐点1」の、教官はリーザでした。
教官は、赤毛の少女を追いかけていました。
リーザは父が好きでした。
エウジェニアは、古い「母体」のリーザで、新しい「子宮内膜」から「特別な存在」になった母(老母)です。
ゴルチャコフは、古い「子宮内膜」の父で、再生した新しい「子宮内膜」の父です。
エウジェニアは、ゴルチャコフが好きです。
リーザは、父をあきらめます。
父は、母と結婚します。
古い「母体」と、新しい「子宮内膜」から「特別な存在」になったエウジェニアは、ヴィットリオのオフィスのエウジェニアと同じで、髪を束ねています。
エウジェニアは、ヴィットリオとインドへ行きます。
ロシア民謡は、『鏡』の「分岐点1」のヘンリー・パーセルの『インドの女王』の置換です。
『鏡』の「分岐点1」のヘンリー・パーセルの『インドの女王』が流れる場所は、「生理」の印刷所です。
古い「母体」のリーザのエウジェニアは、古い「子宮内膜」の父のゴルチャコフをあきらめます。
「特別な存在」の母(老母)のエウジェニアは、新しい「子宮内膜」の父のゴルチャコフと結ばれます。
ヴィットリオは、新しい「子宮内膜」のゴルチャコフです。
「特別な存在」の母(老母)のエウジェニアは、古い「子宮内膜」の父のゴルチャコフの母です。
アリョーシャは、古い「子宮内膜」の父です。

アリョーシャの父はアリョーシャです。
イグナートの父はアリョーシャです。
アリョーシャはイグナートです。

ヴィットリオはゴルチャコフです。
アリョーシャはゴルチャコフです。
ヴィットリオはアリョーシャです。

ベッドに横たわる、妊娠した妻は、1945年の新しい「母体」のソロビヨフ家のナジェージダと、1935年と1975年の新しい「母体」の母です。
ベッドに座っていたゴルチャコフが脇に立ちます。
1945年のソロビヨフ家の赤毛の少女の脇に立っていた人物は父でした。
ゴルチャコフは、1945年の新しい「子宮内膜」の赤毛の少女と、1935年と1975年の新しい「子宮内膜」の父です。

ガラスか金属のようなものが鳴る音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

妻(モノローグ)「アンドレイ!」(シナリオには書かれていない)

崩れ落ちた納屋の残り火が、最後にあかあかと燃え上がる。(『鏡』シナリオより)

吃音症の少年と女性の医者が発した言葉は、「排卵した卵子」の隠喩でした。
妻が発した言葉は、納屋の火事の火の隠喩です。

「特別な存在」になる前の「精子」の母が、最後にいた場所は1945年の印刷所のシャワー室でした。
「特別な存在」の母は、場所と時間を自由に移動できます。
「特別な存在」の母は、死んでしまう「精子」のアリョーシャを、1975年の作者の住まいの台所の「子宮」から、作者の部屋の「卵巣」へ、連れて行こうと しています。
ゴルチャコフの部屋は、1975年の作者の住まいの台所の「子宮」です。
「特別な存在」の母のエウジェニアは、「精子」のアリョーシャのゴルチャコフを、作者の部屋のバーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」へ、連れて行こうと しています。



汚れがずり落ちる窓の外の壁のモノクロは、『鏡』の「生理」の1975年の漆喰が落ちる部屋のモノクロ、に該当します。
ゴルチャコフの夢のモノクロは、『鏡』の「生理」の1945年の印刷所のモノクロ、に該当します。

窓の外の壁のよごれがずり落ちるのは、ゴルチャコフがベッドに座ってからです。
窓の外の壁のよごれがずり落ちるとすぐに、ゴルチャコフは、こっくりこっくりとします。
窓の外の壁は、ゴルチャコフの夢の内とも見えるし、夢の外とも見えます。
夢の内でもあり、夢の外でもあるとは、別の夢です。(『ストーカー』再考察2)
窓の外の壁は、アリョーシャが見た、8年前の『鏡』の、1975年の作者の台所の、漆喰が落ちる部屋です。

ゴルチャコフの夢は、「特別な存在」の犬の、電話の信号が伝えた、8年前の『鏡』の内面の出来事です。

窓の外の壁とゴルチャコフの夢のモノクロは、今現在より過去です。
ゴルチャコフは、『ノスタルジア』の表面から、『鏡』の内面を見ています。
だから、ゴルチャコフの夢はスローモーションです。



エウジェニアが、ゴルチャコフの部屋のドアをノックする音と、ゴルチャコフの名前を呼ぶ声で、ゴルチャコフは眠りから覚めます。

ゴルチャコフの部屋は、『鏡』の、「生理」の1945年の印刷所の、「子宮」です。
廊下は、「卵管」です。

バーニョ・ヴィニョーニの広場は、『鏡』の、「生理」の1975年の作者の部屋の、「卵巣」です。

洞窟で水滴が落ちるような音と、犬が息をする音と、小犬の鳴き声は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

ゴルチャコフは、1945年の「精子」のアリョーシャで、1975年のイグナートです。
エウジェニアは、1945年の「特別な存在」の母で、1975年のナタリアです。

ゴルチャコフとエウジェニアは、廊下の「卵管」を通って、広場の「卵巣」へ行きます。

エウジェニア(オフ)「アンドレイ!もうすぐ食事よ。その後で広場に行きましょう。聖カテリーナもここに来たんですって」

レストランが、「卵管膨大部」かもしれません。
しかし、「卵管膨大部」に水はありません。
水のない食事になります。

犬は、エウジェニアの、「特別な存在」の母で、ナタリアです。

「特別な存在」の犬は、時間と場所を自由に移動できます。
「精子」が入れない「卵巣」にも入れます。
「卵胞」が入れない「子宮」にも入れます。
「母体」の外へ出ることもできます。
他人を連れて行くこともできます。

ドメニコは犬について行きます。
ゴルチャコフが、後を追います。



エウジェニア(オフ)「ボローニャに留学していたその音楽家が夏になるとここによく来てたの」

季節はループします。

将軍(オフ)「素晴らしい曲だ。ヴェルディの百倍もよろしい」
将軍(オフ)「感傷とは縁のない文化だ。神の声、自然の声だ」

『ノスタルジア』は、ヴェルディのようなロマン派の感傷とは縁のない、タルコフスキーの声、自然の声、の映画です。

『ノスタルジア』は、母の思い出に捧げられています。
しかし、『惑星ソラリス』では、母は妻のハリーと同じ下着を着た、性的な対象でもありました。
『ストーカー』のゾーンと、『鏡』の内面は、女性の生殖器でした。
『ノスタルジア』の内面も、そうです。

ラウラ「若い頃パリに行って、”赤い風車(ムーラン・ルージュ)を見たわ」

『鏡』の作者の部屋に、『アンドレイ・ルブリョフ』のフランス語のポスターがありました。
『ムーラン・ルージュ』は、『アンドレイ・ルブリョフ』の置換です。

ドメニコ「なぜ奴らが湯に入っていると思う?永遠に生きたいとさ」(シナリオの「行きたい」は誤植と思われる)

『鏡』は、無限ループする前に、パーシャ伯父とドゥーニャ伯母とクラーニカとヴィーチカの内面を、四人のスペイン人の内面に移動して、セーブしました。
そして、その四人の内面を、「排卵3」の男性の医者と緑色の服の婦人とワシーリエヴナ、そして「特別な存在」の母、の内面に移動しました。
四人は、無限ループの中で、永遠に生きます。

服のまま温泉に入ろうとするドメニコは、『鏡』の「分岐点1」で、間違えて訪ねて来た老母と同じで、内面が火です。
ドメニコは、スペイン人がいる作者の部屋のシーンの前の、最後にあかあかと燃え上がる、納屋の火事の残り火です。

妻(モノローグ)「アンドレイ!」(シナリオには書かれていない)

妻が発した言葉は、納屋の火事の火の隠喩でした。
ドメニコは、ゴルチャコフ(アンドレイ)です。

湯の中に足だけ入れて、納屋の火事の残り火は消えてしまいました。
ドゥーニャ伯母が眠っているマリーナを抱き、バケツを下げた母とパーシャ伯父が祖父の家へ歩いて行くシーンです。
このシーンは、納屋の火事の火が消えた後のシーンです。
母とマリーナとパーシャ伯父とドゥーニャ伯母は、二匹の犬とゴルチャコフとエウジェニアです。

ドメニコ(温泉から出てエウジェニアに)「すみません、喫わないんですが、タバコを下さい」
エウジェニア「喫わないならあげるわ」
タバコを1本渡し、火を点けようとするが、消える。
エウジェニア「消えてる」
ドメニコ「ほんとだ」

消えたタバコの火は、消えた納屋の火事の火です。
そして、『鏡』の、タバコを喫う一人の兵士のシーンを含む、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画の否定です。
この連続したニュース映画に該当するシーンは、『ノスタルジア』にはありません。

火が消えてドメニコは、納屋の火事の火からイグナート(アリョーシャ)になります。
イグナート(アリョーシャ)の「精子」は、ゴルチャコフからドメニコになります。

ゴルチャコフは、アリョーシャです。
アリョーシャは、ドメニコです。
ドメニコは、ゴルチャコフ(アンドレイ)です。

ゴルチャコフは、「排卵1」の「排卵した卵子」の、ゴルチャコフに戻ります。

ここからが、スペイン人がいる作者の部屋のシーンです。

火が消える前のタバコは、イグナートが飲んでいた酒です。
火が点いてからのタバコは、イグナートがかじっていたリンゴです。

作者に妻も息子もいません。
作者が、自分はナタリアと言う女性と結婚して、イグナートという息子がいる、と思い込んでいるだけです。
イグナートは、「特別な存在」の母が、1945年の「子宮」から、1975年の「卵巣」に連れてきた、「精子」のアリョーシャです。
「精子」は「卵巣」に、一人では入れません。
アリョーシャ(イグナート)は、「特別な存在」の母が連れてきました。
アリョーシャ(イグナート)は、作者の部屋の「卵巣」に入り、「精子」から「卵胞」になりました。

ドメニコは、湯に入り火が消えて、「卵胞」になりました。

ゴルチャコフは、闘牛士の真似をしていたエルネストです。
エルネストは、吃音症の少年の「卵胞」でした。
「卵胞」の吃音症の少年は、ゴルチャコフでした。
ゴルチャコフの「卵胞」は、ゴルチャコフの「卵子」を「排卵」しました。
ゴルチャコフは、「排卵」してから日にちが経ち、死んでしまう「卵子」です。
「卵子」は「卵巣」に入れません。
犬は、ゴルチャコフを広場の「卵巣」に連れてきました。
ゴルチャコフは、広場の「卵巣」に入って、「卵子」から「卵胞」になりました。

エウジェニアは、フラメンコを踊っていたテレーザです。

ラウラは、タバコを喫いながら絵を描いていた、ディオニシオです。
ディオニシオは、メタレベルのタルコフスキーでした。
ラウラは、「排卵3」のタルコフスキーでした。

ラウラが連れていた小犬は、テレーザの隣にいたタチヤーナです。
葉巻を喫っている将軍は、タバコに火をつけていたトーマスです。
男1と男2は、アンヘリとルイサです。
男1と男2のどちらがアンヘリで、どちらがルイサか?は、はっきりしません。
最後に笑った男が、ルイサです。
ルイサは、最後に作者の部屋を出て泣きます。
笑いは悲しみの置換です。

ルイサは、女性の医者の「排卵した卵胞」でした。
「卵胞」の女性の医者は、ゴルチャコフの部屋の洗面所の蛇口でした。
「排卵した卵胞」は、体内に吸収され、体外に排出されて、死にます。
「排卵した卵胞」のルイサの悲しみは、自分が死んでしまう悲しみです。

『ノスタルジア』に、『鏡』のエルネストとルイサはいません。
『鏡』の残滓です。

洗面所の蛇口から出た水は、「排卵した卵子」でした。
「排卵した卵子」は、洗面所の蛇口から出た水から、ゴルチャコフのカバンになりました。

洗面所の蛇口から出た水と、広場の温泉のお湯は、同じです。
温泉につかっている4人の「卵胞」は、広場の温泉のお湯です。
広場の温泉のお湯は、ソラリスの海の水です。

「排卵した卵胞」は、体内に吸収され、体外に排出されて、死にます。

ラウラ(オフ)「まあ、将軍までこんな時間に音楽を。でも私は追い出せないわ」

タルコフスキーのラウラ以外は、広場の温泉から下水に流されます。
流されずに残った「付属物」は、「分娩」で掃除をして、捨てられます。

ここには、作者はいません。
ドメニコのイグナート(アリョーシャ)が、作者だからです。
作者は、「分岐点2」の将軍が連れていた子供です。
『ノスタルジア』には、『鏡』の作者はいません。
将軍が連れていた子供は、『鏡』の作者の残滓です。

ドメニコ(振り向いて呆れたといった様子で)「聖カテリーナ!」

聖カテリーナの象徴の一つは、壊れた車輪です。
壊れた車輪は、モノクロの沼地のような風景の中の、汚れて放置された自転車の、死んだ「排卵した卵子」です。
壊れた車輪と、硫黄のカスがついた自転車は、「分娩」の、掃除をした広場の温泉にもありました。
壊れた車輪と自転車は、捨てられます。


『アレクサンドリアの聖カタリナ』
(カラヴァッジョ画 1598年頃)


ドメニコ「汝はー汝ならぬものなり」

汝と、汝ならぬものは、隠喩の対象と隠喩です。
隠喩の対象と隠喩は、内面と表面です。
内面と表面は、同じで違います。

ゴルチャコフ「狂気とは何なのだろう。狂人はいやがられ、厄介者扱いされ、誰も彼等を分かろうとしない。彼等はひどく孤独だ。だが、彼等は誰よりも真実に 近い」

狂気とは、『ノスタルジア』の隠喩です。
いやがられ、厄介者扱いされる、狂人は、『ノスタルジア』の真実です。
誰も分かろうとせず、ひどく孤独ですが、何よりも真実に近いのが、『ノスタルジア』の内面です。

ゴルチャコフは、ドメニコを食事に誘おうとします。
しかし時間は、朝7時です。
ゴルチャコフの時間は混乱しています。
時間と場所を自由に移動できる、「特別な存在」の犬がゴルチャコフの部屋に現れたからです。

犬は未来から過去に来ました。
時間が逆行しました。
ゴルチャコフは、時間が逆行したことに気づいていません。

『鏡』のリーザは午前7時に死に、11時間後の午後6時に、老母は作者に電話をかけました。
そして、作者の住まいの電話のベルが鳴ったのは、午前7時です。
老母は、未来から過去に電話をかけてきました。
この電話のベルが鳴って、リーザは死に、1945年の母と1975年の老母は「特別な存在」になりました。
そして、その11時間後の午後6時に、老母は作者に電話をかけ、午前7時に作者の住まいの電話のベルが鳴りました。

リーザが死んで、老母は電話をかけました。
老母が電話をかけて、リーザは死にました。

『ノスタルジア』には、8年前に死んだ『鏡』のリーザはいません。
『ノスタルジア』では、リーザの死を知らせる必要はありません。
犬は、別の目的で、ゴルチャコフの部屋に来ました。

犬は、8年前の『鏡』で、「特別な存在」になった母です。

犬は、「卵管膨大部」の洗面所から、「卵巣」のゴルチャコフの部屋へ入りました。
「卵管膨大部」は、窓の外の壁の「子宮」と、「卵管」で繋がっています。
廊下と階段が「卵管」の場合は、ゴルチャコフとエウジェニアの部屋は繋がっていました。
しかし、洗面所が「卵管膨大部」の場合は、ゴルチャコフの部屋は、窓の外の壁と継がっています。
犬は、窓の外の壁の「子宮」の、未来の「子宮」から来ました。

未来の「子宮」は、ドメニコの家です。
犬は、ドメニコの家から来ました。

時間と場所を自由に移動できる「特別な存在」の犬が、ドメニコの家を午後6時に出て、時間を逆行して午前7時に、ゴルチャコフの部屋に来ました。

1975年の「特別な存在」の老母は、「子宮」から電話をかけてきました。

1935年の田園に、電信柱がありました。
田園は「子宮」です。
電線は電話線です。
電話線は「卵管」に繋がり、「卵巣」に繋がっています。

スペイン人がいる作者の部屋のシーンには、モノクロのニュース映画がありました。
広場の温泉の湯けむりが、モノクロのニュース映画、に該当します。

バーニョ・ヴィニョーニの広場の次のシーンは、ホテルのロビーです。
ホテルのロビーのシーンの最初に、バーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉にいた男の笑い声と、ラウラの短い台詞が入ります。
鉢植えがあるホテルのロビーは、「卵巣」です。

ここまでの時間は、広場から連続しています。
「卵巣」が、バーニョ・ヴィニョーニの広場から、ホテルのロビーになります。

エウジェニアが、ゴルチャコフの名前を呼びます。


▲分岐点1

ホテルのロビーは、『鏡』の「分岐点1」の作者の住まいです。

『鏡』の「分岐点1」の最初は、イグナートが見るレオナルド・ダ・ヴィンチの画集でした。
しかし、『ノスタルジア』の「分岐点1」の最初には、ダ・ヴィンチの画集は、ありません。

エウジェニア(オフ)「アンドレイ!」(シナリオでは、カッコ内は”近づいてくるゴルチャコフに”となっていますが、映像では、ゴルチャコフは近づいて来 ていません)

このエウジェニアの、ゴルチャコフの名前を呼ぶ声が、「分岐点1」の最初の IF文になります。

ゴルチャコフ「止まって!」
エウジェニア「なぜ?」

これは、映画の時間をメタレベルで止めて分岐しますよ、という意味です。

ゴルチャコフ「分かり始めたような気がする」
エウジェニア「何が?」
ゴルチャコフ「彼がなぜ7年間も家族を閉じこめたと思う?」

「初期処理2」で、完全に「初期設定」が行われていなくて、前のループの記憶が少し残っている可能性があります。

イグナート「前にもこんなことあった、やっぱりお金、拾ってて」(『鏡』シナリオより)

『鏡』でも、イグナートが前のループの記憶が少し残っているような体験をします。

電話のベルの音がします。

電話のベルの音は、『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音です。
『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音は、『鏡』の「射精1・生理」の、「特別な存在」の老母が、作者にかけてきた電話の ベルの音です。

柱時計の音が7回鳴ります。
「特別な存在」の老母が、午後6時に電話をかけて、作者の住まいの電話のベルが鳴ったのは、11時間前の午前7時でした。

ゴルチャコフは、画面下に消えます。



”受精しない場合/受精する場合”、をプログラミングの IF文で書くと以下になります。

『鏡』解析とは、説明が異なりますが、「分岐点1」を引き延ばして、引き延ばした最初を内面の物語の最初、引き延ばした最後を内面の物語の最後に重ね合わ せます。
”受精しない場合”は、THEN文の中を繰り返します。
”受精する場合”は、ELSE文から下を実行します。

IF 受精しない
THEN(記述なし)
 初期処理2・排卵1・射精1
 生理
 分岐点1
ELSE
 射精2・排卵2・受精
 分岐点2
 IF 着床しない(記述なし)
 THEN(記述なし)
  初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
  分岐点2
  IF 着床しない(記述なし)
  THEN(記述なし)
   初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
   分岐点2
   IF 着床しない(記述なし)
   THEN(記述なし)
    初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
    分岐点2
    IF 着床しない(記述なし)
    THEN(記述なし)
     初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精・分岐点2(記述なし)
    ELSE(記述なし)
     着床A
     初期処理1・妊娠・分娩・着床C・排卵3(記述なし)
    END IF(記述なし)
   ELSE(記述なし)
    着床B・初期処理1
    妊娠A
    分娩・着床C・排卵3(記述なし)
   END IF(記述なし)
  ELSE(記述なし)
   着床・初期処理1(記述なし)
   妊娠B
   分娩・着床C・排卵3(記述なし)
  END IF(記述なし)
  ELSE(記述なし)
  着床・初期処理1(記述なし)
  妊娠C
  分娩・着床C・排卵3
 END IF(記述なし)
END IF(記述なし)

「着床C」は、『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母のシーン、に該当します。
本来は、「着床A」の場所に移動するシーンですが、移動しないで、元の場所にあります。

制御文以外の”記述なし”の行を削除して、制御文の横の”記述なし”のコメントを削除し、文の横にコメントを入れます。

IF 受精しない(「アンドレイ!」)
THEN
 ◇初期処理2・排卵1・射精1(自転車を漕ぐドメニコ)
 ◇生理(沼地のような風景)
 ◇分岐点1(電動鋸の音、カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップ)
ELSE(ドメニコの部屋へ入るゴルチャコフ)
 ◇射精2・排卵2・受精(電動鋸の音終わる)
 ◇分岐点2(ベートーヴェンの『第九』)
 IF 着床しない
 THEN
  ◇分岐点2(ベートーヴェンの『第九』)
  IF 着床しない
  THEN
   ◇分岐点2(ベートーヴェンの『第九』)
   IF 着床しない
   THEN
    ◇分岐点2(ベートーヴェンの『第九』)
    IF 着床しない
    THEN
    ELSE
     ◇着床A(途中で途切れるベートーヴェンの『第九』)
    END IF
   ELSE
    ◇着床B・初期処理1(人形の絵)
    ◇妊娠A(ドメニコの部屋)
   END IF
  ELSE
   ◇妊娠B(ドメニコの部屋)
  END IF
 ELSE
  ◇妊娠C(回想)
  ◇分娩・着床C・排卵3(階段を下りるドメニコ)
 END IF
END IF


▼受精しない場合

◇初期処理2・排卵1・射精1

ゴルチャコフとエウジェニアは、村人に案内されて、ドメニコの家へ行きます。

案内の村人は、ホテルの女主人です。

案内の村人は、ワシーリエグナです。
エウジェニアは、緑色の服の婦人です。
ゴルチャコフは、イグナート(アリョーシャ)です。

ドメニコの家の横は、「排卵3」のホテルのロビーです。

「排卵3」の最後と、「初期処理2」の最初が、重なっています。
外側のループの繋ぎ目の”のりしろ”です。
内側のループは、外側のループの繋ぎ目の”のりしろ”から、始まります。
ループの繋ぎ目の”のりしろ”は、外側と内側のループの繋ぎ目の”のりしろ”です。

案内の村人が帰り、エウジェニアが自転車を漕ぐドメニコのところへ行きます。
ドメニコの家の横のゴルチャコフがいる場所が、「初期処理2」の「卵巣」のゴルチャコフの部屋になります。

雷鳴が3回あります。

この3回の雷鳴の1回目は、「排卵1」の何か丸いものが落ちて転がる音です。
2回目は、「射精1」の電話のベルの音です。
3回目は、「生理」の瓶が倒れて転がる音です。

1回目の雷鳴の、「排卵1」の何か丸いものが落ちて転がる音は、『鏡』の1935年の祖父の家の部屋で、机の上からランプ(のガラス)が、転がり落ちる音 の残滓です。
何か丸いものが転がる音がする前に、ゴルチャコフは、洗面所の「卵巣」から部屋の「卵管膨大部」に入り、ゴルチャコフの「卵胞」はゴルチャコフの「卵子」 を「排卵」しました。
雷鳴がする前に、ドメニコは家の中に入りました。
ドメニコの家の横は、洗面所の「卵巣」です。
ドメニコの家の中は、ゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」です。
ドメニコは、ゴルチャコフの「排卵した卵子」です。
ゴルチャコフとエウジェニアは、「卵胞」です。

2回目の雷鳴の、「射精1」の電話のベルの音は、『鏡』の1945年の校正室の電話のベルの音の残滓です。
電話のベルの音がした後に、エウジェニアは自分の部屋に戻ります。
ドメニコの家の横は、「卵管」のホテルの廊下です。
ドメニコは、「精子」の詩集です。
ゴルチャコフとエウジェニアは、「母体」です。
雷鳴がするとほぼ同時に、エウジェニアは、「ローマに帰るわ」と言って立ち去り、画面右手に消えます。
「ローマに帰るわ」と言って立ち去るエウジェニアは、「射精1」の電話のベルの音がした後に、自分の部屋に戻るエウジェニアと、重なります。
「ローマに帰るわ」と言って立ち去るエウジェニアは、『鏡』の「射精1・生理」の、印刷所のシャワー室の前から、廊下をスキップして立ち去る、リーザの残 滓です。



ドメニコの家の横は、「卵巣」です。
ゴルチャコフとエウジェニアは、「卵胞」です。

ドメニコの家の中は暗く、モノクロです。

村人に案内されて来た、ドメニコの家の横は、「初期処理2」の「卵巣」のゴルチャコフの部屋です。
ドメニコの家の中はモノクロは、「初期処理2」のゴルチャコフの部屋の窓の外の壁、と重なります。
ドメニコの家の中のモノクロは、『鏡』のオープニングロゴとクレジット、に該当します。

『鏡』の「分岐点1」では、モノクロシーンは、二つのニュース映画・渡河中の兵士たちとシヴァシ湖を渡る行軍、だけでした。
しかし、『ノスタルジア』の「分岐点1」には、他にもあります。
但し、『鏡』の「分岐点1」の、二つのニュース映画以外のニュース映画に該当するモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」には、ありません。

エウジェニアが、自転車を漕ぐドメニコのところへ行きます。
ドメニコが漕ぐ自転車と車輪が回る音は、「初期処理2」のゴルチャコフの部屋の天井のファンとファンが回る音です。
ドメニコの家の横は、「排卵1」の、ベッドサイドランプと洗面所の電気を点ける前の、「卵巣」のゴルチャコフの部屋です。
ドメニコの家の中はモノクロは、「排卵1」の「卵巣」の洗面所、と重なります。
ドメニコの家の中のモノクロは、『鏡』の「排卵1」の「卵巣」の、1975年の吃音症治療の作者の部屋、に該当します。
ドメニコは、「卵胞」です。

ドメニコが、自転車を漕ぐのをやめて、家の中へ入ります。
ドメニコの家の横は、「排卵1」の、ベッドサイドランプを点けた後、洗面所の電気を点ける前の、「卵巣」のゴルチャコフの部屋です。
ドメニコの家の中のモノクロは、「排卵1」の「卵管膨大部」の洗面所、と重なります。
ドメニコの家の中のモノクロは、『鏡』のメインタイトル、に該当します。
ドメニコは、ゴルチャコフの「排卵した卵子」です。

エウジェニアが、「ローマに帰るわ」と言って立ち去り、画面右手に消えます。
ドメニコの家の横は、「射精1」の、洗面所の電気を消した後の、「卵巣」のゴルチャコフの部屋です。
ドメニコの家の中のモノクロは、「射精1」の「卵管膨大部」の洗面所、と重なります。
ドメニコの家の中のモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の「卵管膨大部」の、1935年の祖父の家の両親の部屋、に該当します。

ゴルチャコフは、自転車を漕ぐドメニコのところへ行きます。
ドメニコが漕ぐ自転車の回る車輪は、ループを意味しています。

アサーフェエフ「”回れ”と言うから回りました。ロシア語で”回る”ということは360度回転することだと思います」(『鏡』シナリオより)

ドメニコが漕ぐ自転車の回る車輪は、『鏡』の回転するアサーフィエフと同じです。
ドメニコの家の横は、「射精1」の、洗面所の電気とベッドサイドランプを消した後の、「卵巣」のゴルチャコフの部屋です。
ドメニコの家の中のモノクロは、「射精1」の「卵巣」の洗面所、と重なります。
ドメニコの家の中のモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の「卵巣」の、1935年の祖父の家のアリョーシャの部屋、に該当します。

「射精1」では、アリョーシャの部屋が「卵巣」になり、両親の部屋が「卵管膨大部」になるのと、洗面所が「卵管膨大部」になり、「卵巣」になるのとでは、 順番が逆になっていました。
「射精1」に合わせて、ここでも順番を逆にしています。

◇生理

ドメニコは、自転車を漕ぐのをやめて、家の中へ入ります。
ドメニコの家の中のモノクロは、「生理」の「子宮」の窓の外の壁、と重なります。
ドメニコの家の中のモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の「子宮」の、1975年の作者の住まいの台所の漆喰が落ちる部屋、に該当します。
ドメニコは、古い「子宮内膜」です。
犬も家の中へ入ります。
犬は、犬です。

3回目の雷鳴の、「生理」の瓶が倒れて転がる音は、『鏡』の「生理」の1975年の作者の住まいに、老母が未来からかけてきた電話のベルの音の残滓です。
『鏡』の「生理」の1975年の作者の住まいに、老母が未来からかけてきた電話のベルの音は、「分岐点1」の作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音 です。
『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音は、『ノスタルジア』の「分岐点1」の、ホテルのロビーの電話のベルの音です。
『ノスタルジア』の「分岐点1」の、ホテルのロビーの電話のベルの音は、「生理」の瓶が倒れて転がる音です。

3回目の雷鳴の前に、ゴルチャコフが、画面下から現れます。

ゴルチャコフが、画面下から現れる前に、ドアベルが鳴ります。
ドアベルの音は、洗面所の電気と重なります。
電気を消した洗面所が、さらに暗くなり、洗面所が「卵巣」から「卵管膨大部」になって、ゴルチャコフの部屋の「卵巣」に、犬が来ました。
ゴルチャコフが、画面下に消えた、ホテルのロビーは、「卵巣」でした。
ゴルチャコフが、画面下から現れた、ドメニコの家の中は、「生理」のゴルチャコフの部屋の、「卵巣」です。

ゴルチャコフが、画面下に消えて、画面下から現れるまでの間は、『鏡』の「分岐点1」には、ありません。
3回目の雷鳴は、『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音です。
3回目の雷鳴の後のシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話の後の、射的場のシーンです。

3回目の、「生理」の瓶が倒れて転がる音の、雷鳴の後に、ゴルチャコフは扉を開けます。
扉を開けた、部屋の中はモノクロです。
このモノクロは、「生理」のゴルチャコフの夢のシーン、と重なります。
このモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の、1945年の印刷所のシーン、に該当します。

沼地のような風景の中に、汚れて放置された自転車と椅子があります。
汚れて放置された自転車と椅子は、「排卵1」の、二つの「排卵した卵子」です。
二つの「排卵した卵子」は、死んでいます。
沼地のような風景は、「生理」のゴルチャコフの夢の中の、「子宮」です。
水滴の音は、ゴルチャコフの夢の中の水滴の音です。
水滴の音は、沼地のような風景は、「生理」のゴルチャコフの夢の中の、「子宮」ですよ、という意味です。

小鳥の囀りが聴こえます。
小鳥の囀りは、ドメニコの家の横の「卵巣」でも聴こえました。
この小鳥の囀りの意味は、ドメニコの家の中の「卵巣」、と考えます。
「妊娠」のモンテルキの教会の「子宮」の、聖母像から無数の小鳥が飛び出します。
小鳥の囀りは、「子宮」でも聴こえます。
小鳥の囀りは、ここは「子宮」ですよ、という意味もある、と考えます。

電動鋸の音は、『鏡』の「分岐点1」の、ヘンリー・パーセルの『インドの女王』と、『ノスタルジア』の「生理」の、ゴルチャコフの夢のロシア民謡の隠喩で す。



『鏡』の「分岐点1」の、二つのニュース映画以外のニュース映画に該当するモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」には、ありません。

『ノスタルジア』の「生理」の、バーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉の湯けむりと重なり、
『鏡』の「射精1・生理」の、スペイン人がいる作者の部屋のニュース映画に該当する、モノクロはありません。

『ノスタルジア』の「分岐点1」には、「生理」のバーニョ・ヴィニョーニの広場のシーンと、重なるシーンはありません。


◇分岐点1

「分岐点1」の中の「分岐点1」です。

カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップは、「分岐点1」の中の「分岐点1」です。

「受精」するまで、この中を合わせ鏡の奥に入っていくようにループします。
鏡の中の鏡は、『ノスタルジア』の中の『ノスタルジア』です。
『ノスタルジア』の中の『ノスタルジア』は、『ノスタルジア』です。
どこまで行っても『ノスタルジア』です。

「分岐点1」の中の「分岐点1」も引き延ばして、引き延ばした最初を内面の物語の最初、引き延ばした最後を内面の物語の最後に重ね合わせます。
                   
カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップは、「分岐点1」の中の「分岐点1」の最初と最後です。

棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンと、その後の、ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアのシーンを、
ワイングラスに息を吹きかけて磨いている妻のモノクロシーンの後に移動して、二つのモノクロシーンを一つにしました。
このモノクロシーンが、「妊娠」の最後になります。

「排卵3」の最後は、カメラ目線のゴルチャコフの上半身です。
カメラ目線のゴルチャコフの上半身は、外側と内側のループの繋ぎ目の”のりしろ”です。
カメラ目線のゴルチャコフの上半身は、内面の物語の最初と最後です。
内面の物語の最初と最後の、カメラ目線のゴルチャコフの上半身と、「分岐点1」の中の「分岐点1」の最初と最後の、カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップ が、重なります。

外側と内側のループの繋ぎ目の”のりしろ”には、ゴルチャコフの後ろにいる、エウジェニアとホテルの女主人も含まれます。
「分岐点1」の”受精しない場合”の最初の、ドメニコの家に、ゴルチャコフとエウジェニアを案内した村人は、このループの繋ぎ目の”のりしろ”の、ホテル の女主人です。

ゴルチャコフの夢と、沼地のような風景を、重ね合わせます。
ゴルチャコフの部屋の、エウジェニアがゴルチャコフを呼ぶ声と、カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップが、重なります。
ホテルのロビーで、エウジェニアがゴルチャコフの名前を呼ぶ声は、「分岐点1」の最初です。
ゴルチャコフの部屋の、エウジェニアがゴルチャコフを呼ぶ声と、ホテルのロビーで、エウジェニアがゴルチャコフの名前を呼ぶ声が、重なります。

ゴルチャコフの部屋とホテルのロビーの、エウジェニアがゴルチャコフの名前を呼ぶ二つの声と、
内面の物語の最初と最後の、カメラ目線のゴルチャコフの上半身と、「分岐点1」の中の「分岐点1」の最初と最後の、カメラ目線のゴルチャコフの顔のアップ が、重なります。

ゴルチャコフの部屋の、エウジェニアがゴルチャコフの名前を呼ぶ前に、エウジェニアはゴルチャコフの部屋のドアをノックします。
ホテルのロビーで、エウジェニアがゴルチャコフの名前を呼ぶ前に、ゴルチャコフはライターのヤスリを回しています。
ドアをノックする音と、ヤスリを回す音が、重なります。

この重なる二つの音は、カメラ目線のゴルチャコフの上半身の前の、ゴルチャコフとエウジェニアの会話に重なります。

エウジェニア「他のホテルの鍵を持ってきたんじゃないでしょうね」
ゴルチャコフ「いや、僕の家のだ」

ドアをノックする音は、『ノスタルジア』の、ドアをノックする音です。
ライターのヤスリを回す音は、『ノスタルジア』の、ドアを開ける鍵を回す音です。
ゴルチャコフのライターは、ゴルチャコフの家の鍵です。
ゴルチャコフの家の鍵は、『ノスタルジア』を開ける鍵です。

このライターのヤスリを回す音は、「分岐点2」の「排卵3」の、ゴルチャコフが、水を抜いた温泉を渡る前に、ロウソクに火を灯す時のライターのヤスリを回 す音と、重なります。

電動鋸の音は、「分岐点2」の、中国の声明音楽です。


▼受精する場合

ドメニコに呼ばれて、ゴルチャコフはドメニコの部屋へ入ります。

◇射精2・排卵2・受精

ゴルチャコフは、「射精した精子」で「排卵した卵子」で「受精卵」です。
ドメニコの部屋は、「卵管膨大部」です。

『鏡』の「分岐点1」の、二つのニュース映画以外のニュース映画に該当するモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」には、ありません。
『ノスタルジア』の「射精2」「受精」の、回想シーンと重なり、
『鏡』の「射精2」「受精」の、(「排卵2」の、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画は、『ノスタルジア』にはないので、含みません)
ニュース映画に該当する、モノクロはありません。

シナリオでは、この部分は、以下のように書かれています。

急に暗くなる。床はない。地面が剥き出しになっていて、そこここに水たまりができている。廃屋といった感じだ。

これは、雨漏りのする部屋です。
しかし、映像では、雨漏りのする部屋ではなくて、ドメニコの部屋です。
シナリオでは、続いて、以下のように書かれています。

ゴルチャコフ、窓に近づいて開ける。沼地のような風景が広がる。カメラが近づくと岩の多い山が見える。それを見るゴルチャコフ。

これは、ゴルチャコフの夢と重なる、モノクロシーンです。
このシナリオに書かれたモノクロシーンは、映像にはありません。
映像にはなくシナリオに書かれた、このモノクロは、『ノスタルジア』の、「射精2」「受精」にあるモノクロシーン、と重なることになります。
映像にはなくシナリオに書かれた、このモノクロは、『鏡』の、「射精2」「受精」にあるモノクロのニュース映画、に該当することになります。

電気鋸の音は、『鏡』の「射精2」の、ニュース映画・ソビエト初の成層圏飛行気球と飛行士を歓迎するモスクワの、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』 の隠喩です。

◇分岐点2

 ▽着床しない場合

 ◇分岐点2

  ▽着床しない場合

  ◇分岐点2

   ▽着床しない場合

   ◇分岐点2

    ▽着床しない場合

    ▽着床する場合

    ◇着床A

    『第九』は、『鏡』の「分岐点2」のバッハの『ヨハネ受難曲』の置換です。

    途中で途切れるのは、『鏡』の「分岐点2」の最後の、ダ・ヴィンチの肖像画のシーンが、『鏡』から『ノスタルジア』に変形する時に、削除されたか らです。

    『鏡』の「分岐点2」で、『ヨハネ受難曲』が流れるのは、父がアリョーシャとマリーナを引き寄せて抱くシーンからです。
    このシーンは、「分岐点2」の”着床する場合”の「着床」です。
    「分岐点2」の中の「着床」の後からは、削除されたダ・ヴィンチの肖像画のシーンで、”記述なし”になります。

    「着床A」は、『鏡』の「分岐点2」の中の「着床」です。
    『鏡』の「分岐点2」の中の「着床」は、モノクロではなくカラーです。
    従って、「着床A」は、モノクロではなくカラーです。

    部屋の隅に立つゴルチャコフは、「受精卵」です。
    ドメニコの部屋は、「子宮」です。

    カメラが右から左へパンした時、静止したゴルチャコフが画面右手に消えて、静止したまま画面左手から現れます。
    同じようなカメラワークのシーンが、『惑星ソラリス』にもありました。

    鏡の中のゴルチャコフから鏡の前のゴルチャコフへ、鏡の前の画面右手に消えたゴルチャコフから画面左手から現れたゴルチャコフへ、眼差しが送られ 受けられます。

    4重の入れ子の1重目と2重目と3重目は、”着床しない場合”です。
    4重目は、”着床する場合”です。
    つまり、4重の入れ子の中は、”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”、という矛盾したロジックになりま す。
    ゴルチャコフの「受精卵」が、「着床」したくても、入れ子になっている IF文の、1重目と2重目と3重目が、
    ”着床しない場合”なので、4重目の IF文の、”着床する場合”には、入れません。
    「着床A」は、実行されません。
    これは、プログラミングミスです。
    しかし、”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”は、実行されないので、プログラミングバグとして顕在化 することは、ありません。
    「着床A」は、コメント的な行になります。
    コメント的な行は、『鏡』の残滓です。

    「着床B」「妊娠A」「妊娠B」もコメント的な行で、実行されません。
    「妊娠C」「分娩」「着床C」「排卵3」は、実行されます。
    しかし、「妊娠」の前に「着床」していないので、「胎児」はいません。
    つまり、『ノスタルジア』からは、「赤ん坊」は一人も生まれてきません。(「生理」の、モノクロのゴルチャコフの夢の、妊娠した妻は、8年前の 『鏡』の残滓です。)
    処理は実行されても、出力するデータがない、ということです。
    また、映画の物語は、「着床」の最後から始まり、「受精卵」が「着床」せず、「胎児」はいないので、「赤ん坊」が生まれてこない、と考えることも できます。

    ゴルチャコフは振り向きます。
    振り向くゴルチャコフは、映画の最後から映画の最初へ、戻ることを意味します。

    ”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「着床A」は、終わります。
    「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わります。

   ▽着床する場合

   ◇着床B・初期処理1

   ここに記述された内容は、コメント的な行です。
   実行されません。

   壁に貼られた、人形の絵は、「着床した受精卵」です。
   「妊娠」の、ピエロ・デラ・フランチェスカの『出産の聖母』の、「胎児」になります。
   「着床した受精卵」も「胎児」も、絵に描いた餅です。

   人形の絵は、モノクロです。
   このモノクロは、『ノスタルジア』の映画の最後の「着床」の、少年の顔のアップとサン・ガルガノ大聖堂、映画の最初の「着床」の最後の、森と沼のあ る風景、と重なります。
   このモノクロは、『鏡』の「着床」、に該当します。

   電動鋸の音は、映画の最後と最初の『OI VI KUMUSCIKI』と、映画の最初のヴェルディの『レクイエム』の隠喩です。
   ヴェルディの『レクイエム』は、「初期処理1」です。

   ”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「着床B」と「初期処理1」は、終わります。

   ◇妊娠A

   ここに記述された内容は、コメント的な行です。
   実行されません。

   ドメニコの部屋に、火を灯したロウソク、瓶に入った液体、ワイン、があります。
   ゴルチャコフは、タバコを喫います。
   雨の音がします。

   ドメニコの部屋は、「子宮」です。

   このシーンは、『鏡』の、「卵管膨大部」のメインタイトルの後に移動した、「妊娠」の最初のカラーシーン、に該当します。

   ドメニコは、液体の入った瓶を取り出します。
   ドメニコが取り出した液体の入った瓶は、クラーニカが天井から下した石油ランプです。

   ドメニコ(何かを注いでいる)「一滴にもう一滴注いでも大きな一滴になるだけだ。二滴にはならん・・・」

   ドメニコが注いでいる何かは、油のようです。
   ドメニコが注いでいる何かは、クラーニカが石油ランプに注いでいる石油です。

   「一滴にもう一滴注ぐ」とは、「卵子」と「精子」の「受精」です。
   「大きな一滴」とは、「受精卵」です。

   ドメニコの部屋は、アリョーシャが、鏡に光を反射させていた部屋です。
   アリョーシャが、鏡に反射させていた光は、「卵管」です。
   壁に射す光は、光の「卵管」です。

   壁に射す光は、『鏡』の「妊娠」の最初のカラーシーンの、アリョーシャが遊んでいた鏡に反射する光の「卵管」です。

   電動鋸の音は、『鏡』のメインタイトルの後に移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンに被る、作者の言葉の隠喩です。

   *『鏡』解析では、アリョーシャが、鏡に光を反射させていた部屋は、「卵管膨大部」としましたが、「子宮」の誤りです。
    アリョーシャがいた部屋の机の上には、水の入ったガラスの花瓶があるので、部屋は「子宮」か「卵巣」です。
    このシーンを、「卵巣」の吃音症治療の作者の部屋のシーンより後に移動させたので、アリョーシャがいた部屋は、「子宮」になります。
    「妊娠」の最初のカラーシーンを、メインタイトルの後に移動して、さらにメインタイトルに移動して重ね合わせましたが、メインタイトルの後に移動 するだけ、とします。
    「妊娠」の最初のカラーシーンは、「排卵1」の次のフェーズの「射精1・生理」になります。
    「妊娠」の最初のカラーシーンを、メインタイトルに重ね合わせることはしないので、メインタイトルは「卵管膨大部」のままになります。
    メインタイトルの「卵管膨大部」と、アリョーシャがいた部屋の「子宮」を繋ぐ「卵管」は、鏡に反射した光の「卵管」になります。
    「妊娠」のソロビヨフ家の「子宮」の、あかあかと燃える木炭は、アリョーシャの過去の記憶の、「生理」の「子宮」でした。
    あかあかと燃える木炭の中の鏡は、アリョーシャが光を反射させていた鏡と同じです。
    この鏡は、「卵管膨大部」と「子宮」を繋ぐ、「卵管」の端と端ではなく、「子宮」から「卵管」への入口になります。
    『鏡』解析では、光の「卵管」を通って、母とアリョーシャは、1975年の作者の部屋の「卵巣」から、1945年のソロビヨフ家の「子宮」に来 た、としました。
    しかし、「生理」の「子宮」のあかあかと燃える木炭の中の鏡は、アリョーシャの過去の記憶の中だけで、「妊娠」のソロビヨフ家の「子宮」にはあり ません。
    従って、母とアリョーシャが、ソロビヨフ家へ来たのは、光の「卵管」を通って、ではありません。
    具体的にどこか?は分かりません。

   ゴルチャコフ(タバコを喫おうとして)「いいですか?」
   ドメニコ「喫いなさい。私も言葉につまるとタバコをもらうが喫い方は分からずじまい。むずかしすぎる。タバコなど喫わずにもっと大切なことをすべき だ」

   『鏡』の、タバコを喫う一人の兵士のシーンを含む、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画の否定です。

   ゴルチャコフは、壁に射す光の「卵管」の中を覗いています。

   棚の置時計の針は、7時を指しています。
   ホテルのロビーの時間と同じです。
   つまり、3回目の雷鳴が鳴った時間、と同じです。
   ホテルのロビーから、ここまでの時間経過は、ありません。
   3回目の雷鳴の前に、画面下から現れたゴルチャコフは、ホテルのロビーから来ました。
   目覚ましの針は、3時45分くらいを指しています。
   目覚ましが鳴って起きたとしたら、起きてから3時間15分が経っています。

   ゴルチャコフが喫うタバコの火は、ヴィーチカの火遊びの火です。
   ドメニコの部屋は、ヴィーチカが、火遊びをしていた部屋になります。

   ヴィーチカが火遊びをしていたのは、朝の7時です。
   『鏡』の、納屋の火事が始まった時は、時計の針は7時28分を指していました。
   納屋に火が点いたのは、その30分前の朝の7時です。

   ゴルチャコフが窓際へ行くと、雨の水が滝のように流れています。

   このシーンは、「分岐点2」の「妊娠A」の、水に沈む白い彫像、と重なります。
   このシーンは、「妊娠」の最初の、朝もやの中のトスカーナ地方の田園、と重なります。
   このシーンは、『鏡』のメインタイトルの後に移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンの後のモノクロシーン、に該当します。

   電動鋸の音は、ありません。
   雨だれが金属に当たるような音です。

   ゴルチャコフは、雨漏りのする部屋にいます。

   ”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「妊娠A」は、終わります。
   「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わります。

  ▽着床する場合

  ◇妊娠B

  ここに記述された内容は、コメント的な行です。
  実行されません。

  パンとワインは、ソロビヨフ家のパンとミルクです。
  パンは映像にはありませんが、シナリオには書かれています。

  食器棚の上に転がっている2個のじゃがいもと1片のパン、食器棚や床の上に牛乳がしたたり落ちている。(『鏡』シナリオより)

  鏡に映った自分の顔を怪訝そうに見つめるドメニコは、『鏡』の「妊娠」のソロビヨフ家で、鏡に映った自分を見つめるアリョーシャです。
  『惑星ソラリス』のクリスとハリーのように、自分を確かめているようです。
  電動鋸の音は、ヘンリー・パーセルの『インドの女王』の隠喩です。

  壁に射す光は、「卵管」です。
  「妊娠A」のドメニコの部屋の壁に射す光は、『鏡』の「妊娠」の最初のカラーシーンの、アリョーシャが遊んでいた鏡に反射する光の「卵管」でした。
  この光の「卵管」は、1975年の作者の部屋の「卵巣」と、1935年の祖父の家の「子宮」を繋ぎます。
  しかし、1975年の作者の部屋の「卵巣」と、1945年のソロビヨフ家の「子宮」は、繋ぎません。
  『ノスタルジア』は、時間軸が一つだけなので、「妊娠A」と「妊娠B」のドメニコの部屋の壁に射す光は、同じ光の「卵管」です。

  床の瓶と激しく落ちる水は、ソロビヨフ家の消えかけている石油ランプです。
  激しく落ちる水の音は、消えかけている石油ランプの音です。
  ヘンリー・パーセルの『インドの女王』と電動鋸の音は、ここで終わります。
  激しく落ちる水が、消してしまったように、石油ランプの火は消えます。

  ドメニコ「私はエゴイストだった。自分の家族を救うことしか考えていなかった。全ての人を救うべきなんだ、世界を」

  ドメニコは、「特別な存在」の母です。
  『鏡』の「特別な存在」の母は、作者の部屋の「卵巣」に取り残されていた、アリョーシャ(イグナート)を連れて、ソロビヨフ家の「子宮」に来ました。
  そして、もう片方の「卵管B」を通って、もう片方の作者の部屋の「卵巣」に行きました。
  ドメニコの家は、ソロビヨフ家の「子宮」です。
  しかし、『ノスタルジア』には、もう片方の「卵管膨大部」と「卵巣」は、登場しません。

  棚の置時計の針は、9時10分を指しています。
  7時から2時間10分が経過しています。
  時計は止まっていません。
  雨の音に混じって、時計が動くカチカチという音もします。
  『鏡』の納屋の火事が始まったのは、7時28分でした。
  母が印刷所の校正室に入ったのは、翌日の9時40分でした。
  1日と約2時間10分が経過しています。
  目覚ましの針は、5時55分くらいを指しています。
  翌日になって違う時間に起きた、と考えます。
  1日と2時間10分の時間の経過は、ホテルのロビーの「卵巣」から、ドメニコの部屋の「子宮」への、移動時間と考えます。
  目覚ましが鳴って起きたとしたら、起きてから3時間15分が経っています。
  7時と9時10分は、目覚ましが鳴って起きてからの時間の経過は、同じです。
  7時と9時10分は、違う日付の違う時間で、同じ日付の同じ時間、と考えます。
  表面の時間経過は、映画を観ている時間と同じですが、内面の時間経過は1日と2時間10分です。
  『ノスタルジア』の時計の針は、『鏡』の時計の針と同じで、内面の時間を指しています。
  『ノスタルジア』は、表面と内面の時間は、同じ速さで進みます。
  メタレベルで、1日と2時間10分を、同じ日付の同じ時間に、短縮しています。
 
  『鏡』では、母が印刷所に来るときは、バス路線の「卵管B」を通って来ました。
  「卵管B」の端は、もう片方の「卵管膨大部」です。
  1935年の祖父の家の、もう片方の「卵管膨大部」は、離れ家です。
  納屋の火事が始まって、机の上からランプ(のガラス)が床に転がり落ちました。
  母屋の部屋が、「子宮」から「卵管膨大部」になり、離れ家が、もう片方の「卵管膨大部」になりました。
  母は、もう片方の「卵管膨大部」の離れ家から、「卵管B」を通って来たことになります。

  ドメニコ「すぐにだ。私には無理なんだ。奴らが許さないから。ロウソクを灯して、温泉に入ると奴等が追い出す。放り出して叫ぶんだ。お前は狂人だ、 と。分かるか?」

  ドメニコは、内面が火の老母です。
  火が消えて死んでしまうので、水の中には入れません。
  ソロビヨフ家の石油ランプのように、消えてしまいます。

  「特別な存在」の老母と、内面が火の老母は、違います。
  内面が火の老母は、「特別な存在」ではありません。
  「特別な存在」の老母は、表面と内面はありません。
  だから、時間と場所を自由に移動できます。
  内面が火の老母は、時間と場所を自由に移動できません。

  *『鏡』解析では、「分岐点1」の作者の住まいに、間違えて訪ねて来た内面が火の老母は納屋の火事の火で、祖父の家の裏庭と間違えた、としましたが、 誤りです。
   内面が火の老母は、時間と場所を自由に移動できません。
   1975年の作者の住まいから、1935年の祖父の家の裏庭へは、行くことができません。
   内面が火の老母は、納屋の火事の火ではありません。
   もう片方の作者の住まいの中庭の焚火の火だけです。
   もう片方の作者の住まいの中庭の焚火の火は、祖父の家の庭でタバコを喫う老母です。
   タバコを喫う老母のシーンは、「分岐点2」の、父がアリョーシャとマリーナを引き寄せて抱くシーンの前に移動しました。
   タバコを喫う老母のシーンを、「分岐点1」へ間違えて移動して、作者の住まいへ老母が訪ねて来たのです。
   シーンの移動はメタレベルの編集です。
   間違えたのは、タルコフスキーです。
   タルコフスキーの編集ミス、ということになります。

  雨の音に混じって、時計が動くカチカチという音がします。
  棚の置時計の針は、8時5分くらいを指しています。
  目覚ましの針は、よく見えませんが、4時から5時の間を指しているようです。
  目覚ましの針が、4時50分を指しているとしたら、目覚ましが鳴って起きてから3時間15分が経っています。
  7時と9時10分と8時5分は、目覚ましが鳴って起きてからの時間の経過は、同じになります。
  7時と9時10分と8時5分は、違う日付の違う時間で、同じ日付の同じ時間、と考えます。
  9時10分から翌日の8時5分まで、23時間近くが経過しています。
  23時間近くの時間の経過は、ドメニコの部屋の「子宮」からの移動時間、と考えます。
  ドメニコとゴルチャコフは、「分岐点1」のドメニコの部屋の「子宮」を出て、光の「卵管」へ入りました。
  そして、「受精」のドメニコの家の前の「卵管膨大部」へ行きます。

  ゴルチャコフとドメニコは、雨漏りのする部屋に入ります。

  ベッドと雨水を受ける透明のビニールシートは、記述されなかった「妊娠」の、ソロビヨフ家の「赤ん坊」が寝ていたベッドと天蓋カーテンの残滓です。

  ドメニコが開ける、部屋の中のドアは、「妊娠」の次の「分娩」「排卵3」に入るドアです。

  ドメニコ「子供がいるかね」
  ゴルチャコフ(嬉しそうに)「二人いる。娘と小さな息子だ(手で背丈を示す)」

  しかし、「妊娠」していないので、『ノスタルジア』には、「赤ん坊」はいません。

  ”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「妊娠B」は、終わります。
  「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わります。

  ◇

  ”記述なし”のある IF文の、「妊娠A」から「妊娠C」の部分を、ネストを下げないで並べてみます。

  妊娠A

  分娩・排卵3(記述なし)
  END IF(記述なし)
  ELSE(記述なし)
  着床・初期処理1(記述なし)

  妊娠B

  分娩・排卵3(記述なし)
  END IF(記述なし)
   ELSE(記述なし)
  着床・初期処理1(記述なし)

  妊娠C

  「妊娠A」と「妊娠B」の下にある、複数の”記述なし”の行が、雨漏りのする部屋のシーンです。
  但し、床の瓶に激しく落ちる水、下を向いて泣くドメニコ、二つのモノクロシーンに挟まれたカラーの犬のシーンは、雨漏りのする部屋のシーンに含みませ ん。

  雨漏りの水は、『鏡』の残滓です。
  あるいは、消えた記述です。
  記述は、ソラリスの海の水です。
  『惑星ソラリス』のラストは、島が消えていきました。
  雨だれが金属に当たる音がします。
  金属は、家の骨組みです。
  部屋の中のドアは、骨組みだけで立っています。
  家は、消えた記述です。

  END IF文で区切ります。
  そして、ドメニコの部屋、雨漏りのする部屋、回想(モノクロ)、の記述を入れます。

  ◇妊娠A

  ●ドメニコの部屋

  ●雨漏りのする部屋

  分娩・排卵3(記述なし)
  END IF(記述なし)

  ◇妊娠B

  ●雨漏りのする部屋

  ELSE(記述なし)
  着床・初期処理1(記述なし)

  ●ドメニコの部屋

  ●雨漏りのする部屋

  分娩・排卵3(記述なし)
  END IF(記述なし)

  ◇妊娠C

  ●雨漏りのする部屋

  ELSE(記述なし)
  着床・初期処理1(記述なし)

  ●回想(モノクロ)


  「妊娠A」と「妊娠B」、「妊娠B」と「妊娠C」の間にある、”記述なし”の、雨漏りのする部屋は、「妊娠A」と「妊娠B」、「妊娠B」と「妊娠C」 の境界が、はっきりしません。

 ▽着床する場合

 ◇妊娠C

 壁に「1+1=1」と大きく書かれている。

 「1+1=1」は、「精子」+「卵子」=「受精卵」、とします。
 ドメニコが言う、「一滴にもう一滴注いでも大きな一滴になるだけだ。二滴にはならん」、と同じ意味です。

 ドメニコ「ゾイ!(犬を探す)ゾイ!どこだ。なぜ返事をしない」

 犬がいなくなったのは、記述されていない、「初期処理1」での「初期化」です。

 ここに記述された内容は、実行されます。
 しかし、「着床」が実行されていないので、「妊娠」しません。

 下を向いて泣くドメニコは、「妊娠」のモンテルキの教会の、エウジェニアの顔と、ピエロ・デラ・フランチェスカの『出産の聖母』の顔、と重なります。
 下を向いて泣くドメニコは、『鏡』の「分岐点1」の、微笑しながら荒れた唇を触れる赤毛の少女で、「妊娠」のソロビヨフ家の、カメラ目線の薄笑いをする 母、に該当します。

 広場の温泉の最後の男の笑いは、『鏡』のルイサの悲しみの置換でした。
 ここでのドメニコの悲しみは、『鏡』の赤毛の少女の微笑と、母の薄笑いの置換です。

 電動鋸の音は、『鏡』のソロビヨフ家のカメラ目線の薄笑いする母の顔のシーンの、かん高い鶏の悲鳴の、隠喩です。

 下を向いて泣くドメニコのシーンの後は、モノクロの回想シーンです。

 このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の、「妊娠」のモンテルキの教会の後のモノクロシーン、と重なります。
 このモノクロシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・渡河中の兵士たち、に該当します。
 このモノクロシーンは、『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーン、に該当します。

 このモノクロシーンは、回想なので、今現在より過去です。

 回想しているのは、「特別な存在」の母です。

 『ノスタルジア』は、母の思い出に捧げられています。
 母の思い出とは、母が回想している思い出のことではないか?と考えます。

 宙に浮いている母のシーンは、「特別な存在」の母が、1945年のアリョーシャを連れて、1975年の作者の住まいの台所へ来たシーンでした。
 そして、アリョーシャは作者の住まいに取り残されました。
 「特別な存在」の母は、1975年の作者の住まいに取り残されたアリョーシャを連れて、1945年のソロビヨフ家へ来ました。
 子供は、ソロビヨフ家に来たアリョーシャと同じで、口角炎を患っています。

 このモノクロの回想シーンは、8年前の『鏡』の回想です。
 このモノクロの回想シーンは、取り残されたアリョーシャを連れて、作者の住まいの「卵巣」から出ていく、「特別な存在」の母と、「卵胞」のアリョーシャ です。

 ドメニコの家は、片方の作者の住まいの「卵巣」です。
 雨だれの音は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

 モノクロの回想シーンの後は、カラーの犬のシーンです。
 このカラーシーンは、『ノスタルジア』の、「妊娠」のホテルのロビーのシーン、と重なります。
 このカラーシ−ンは、『鏡』の、「分岐点1」のベランダを抜けて外へ出ていくアサーフィエフのシーン、に該当します
 このカラーシーンは、『鏡』の、「妊娠」の河辺を歩く、「特別な存在」の母とアリョーシャのシーン、に該当します。

 電動鋸の音は、『鏡』の「妊娠」の河辺を歩く、「特別な存在」の母とアリョーシャのシーンに被る、父の詩の隠喩です。

 犬は、母です。
 モノクロの回想シーンは、犬の回想です。

 この犬が、ドメニコとゴルチャコフの会話を聞いて、時間を逆行して、ゴルチャコフの部屋に来ました。
 目的は、「排卵」して日にちが経って死んでしまう「卵子」のゴルチャコフを、「卵巣」に戻して「卵胞」にすることです。
 そして、ドメニコとゴルチャコフを引き合わせることです。

 ゴルチャコフがドメニコの家に来て、犬は過去に来ました。
 犬が過去に来て、ゴルチャコフはドメニコの家に来ました。

 『ノスタルジア』に、「特別な存在」の老母と母の二人はいません。
 「特別な存在」の母と老母は合体した、と考えます。
 母と老母は、分離して二人になりました。
 もともとは一人です。
 母と老母の二人は、合体して一匹の犬になりました。

 雨だれの音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

 カラーの犬のシーンの後は、モノクロの回想シーンです。

 このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「妊娠」の最後の、二つを一つにしたモノクロシーン、と重なります。
 このモノクロシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍、に該当します。
 このモノクロシーンは、『鏡』の「妊娠」の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャのモノクロシーン、に該当します。

 このモノクロシーンは、回想なので、今現在より過去です。

 電動鋸の音は、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍に被る、父の詩の隠喩です。
 電動鋸の音は、『鏡』の「妊娠」の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャのモノクロシーンに被る、父の詩の隠喩です。

 このモノクロの回想シーンは、今現在から1年前、『鏡』の7年後の回想です。

 雨だれの音は、しません。

 ”受精する場合”の”着床する場合”の、「妊娠C」は、終わります。

 ◇分娩・着床C・排卵3

 ここに記述された内容は、実行されます。
 しかし、「着床」が実行されていないので、「赤ん坊」は生まれてきません。

 ドメニコが階段を下りるカラーシーンです。
 このカラーシーンは、『ノスタルジア』の、「分娩」と「着床C」と「排卵3」のシーン、と重なります。
 このカラーシーンは、『鏡』の、「分岐点1」の雪に被われた小高い丘の斜面を登るアサーフィエフのシーン、に該当します。
 このカラーシーンは、『鏡』の、「分娩」と「着床C」と「排卵3」のシーン、に該当します。

 「分娩」のすぐ後に、「排卵」はありません。
 しかし、「赤ん坊」が生まれていないので、「排卵」することはできます。
 ロジックに、矛盾はありません。

 ドメニコは、「排卵3」の小犬を連れたラウラのタルコフスキーです。
 犬は、ラウラが連れていた小犬です。

 電動鋸の音は、『鏡』の「分岐点1」の、雪に被われた小高い丘の斜面を登るアサーフィエフのシーンに被る、父の詩の隠喩です。

 ”受精する場合”の”着床する場合”の、「分娩」「排卵3」は、終わります。
 「分岐点1」の中の「分岐点2」も、終わります。

”受精する場合”は、終わります。
「分岐点1」も、終わります。


■射精2

カラーのドメニコが階段を下りるシーンの後の、モノクロの回想シーンは、「射精2」です。

「分岐点1」で”受精する場合”は、「射精2」へ進みます。

「分岐点1」の「妊娠C」の二つ目のモノクロの回想シーンと同じで、今現在から1年前、『鏡』の7年後の回想です。
このモノクロの回想シーンも、犬の回想です。

「分岐点1」の「妊娠C」の二つ目のモノクロの回想シーンからの、続きになります。
「分岐点1」の終わりから「射精2」は、連続していることになります。
『鏡』の「分岐点1」を「射精2」の前に移動する前は、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』が「射精2」から「分岐点1」に続いており、連続していま した。
また、「赤ん坊」のアサーフィエフは「分岐点1」から出て「精子」になり、「卵管膨大部」の雪に被われた小高い丘の上で、「受精」します。

倒れた瓶からこぼれるミルクは、「精液(精子)」です。
警官の足元で泣き崩れる少女、逃げる子供と追うドメニコ、警官、神父、白衣のような布、群がった人々、は「射精した精子」です。

このモノクロシーンは、『鏡』のニュース映画・ソビエト初の成層圏飛行気球と飛行士を歓迎するモスクワ、に該当します。

電気鋸の音は、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』の隠喩です。

ドメニコが階段を下りるカラーシーンから続く、規則的な音は、『ストーカー』の、ゾーンへ入る軌道車の音と同じで、男性の性的な快感です。

将軍「数年前、家族ぐるみで家に閉じこもった。世界の終末を待った。7年間もこもりっきりで」
ラウラ「宗教的な発作だとか?」
男2「でたらめさ。女房への狂おしい執着だよ。奴は女房が好きでたまらなかったんだ。女房の方は結局二人の子供を連れてジェノヴァに逃げてしまったがね」

ドメニコは女房が好きで、「性交」をやり続けたが「受精」しなかった、ということです。
「分岐点1」の中の「分岐点1」を、合わせ鏡の奥に入っていくように、ループし続けていたのです。

「世界の終末」は、ループの終わりです。

ドメニコの家は、「膣」です。
ドメニコの家の前は、「子宮」です。

ジェノヴァは、「卵管膨大部」です。



『鏡』解析では、「分岐点1」の最後は、”射的場から出ていくアサーフィエフ”、としましたが、誤りです。
『鏡』の「分岐点1」の最後は、”雪に被われた小高い丘の斜面を登るアサーフィエフ”、です。

以下の、『鏡』の「分岐点1」の「妊娠」からの文章を、***以下の文章に修正します。

◇妊娠

赤毛の少女の乾いて荒れて血がにじんだ唇は、アリョーシャの口角炎です。
ニュース映画・渡河中の兵士たちは、妊娠のフェーズの中のモノクロシーンです。

◇分娩・排卵3・出産

階段を上り、ベランダを抜けて出ていくアサーフィエフは、「赤ん坊」で「排卵した卵子」です。


■排卵2・受精

ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍は、「卵管」です。

父の詩は、「卵子」で「精子」です。

ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍の爆弾は、「卵子」です。
兵士と紙幣は、「精子」です。

アサーフィエフは、「排卵した卵子」で「精子」です。

アサーフィエフは、アリョーシャです。
アリョーシャは、「卵子」で「精子」です。

雪に被われた小高い丘の斜面は、「卵管」です。
真っ白な斜面をつまづきながら上ってくる、アサーフィエフは「精子」です。

射的場や凍てついた河辺を行き交う人々は、「精子」です。

アサーフィエフの頬の一条の涙の跡は、精子の尻尾で、過去の記憶です。
『ストーカー』で、ゾーンへ入る軌道車の上の作家の顔の、うっすらとした涙の跡と同じです。
祖父の家と印刷所の校正室の、母の涙と同じです。

連続したニュース映画・鳴り響く祝砲から、原子爆弾のきのこ雲までは、「卵管」です。

雪に被われた小高い丘は、「卵管膨大部」です。
木の枝は、「卵管采」です。

炸裂する原子爆弾、そして広島と長崎は、雪に被われた小高い丘のアサーフィエフの「精子」と小鳥の「卵子」に置き換わります。
これは、『サクリファイス』に引き継がれているのではないか?と思います。

ニュース映画の人々と、遠くの河辺を行き交う人々は、受精できなかった「精子」です。

帽子にとまった飛んできた小鳥は「排卵した卵子」です。
「排卵した卵子」の小鳥を、手でそっと捕えるアサーフィエフは、「受精した精子」です。

ニュース映画・中国の文化大革命の群衆は、受精できなかった「精子」です。

ニュース映画・ダマンスキー島の国境警備隊の兵士たちは、「受精卵」の表面です。
国境警備隊に制止される中国人たちは、「受精卵」に群がる、受精できなかった「精子」です。

別荘のベランダと猫は、「卵管」です。

父と母は、「受精卵」です。

***

◇妊娠

「妊娠」の赤毛の少女は、母です。
「生理」の赤毛の少女は、父でした。

「妊娠」の赤毛の少女の後ろにいる教官は、1945年の新しい「母体」のナジェージダです。
「生理」の赤毛の少女を追いかけていた教官は、1945年の古い「母体」のリーザでした。

ニュース映画・渡河中の兵士たちは、「妊娠」のフェーズの宙に浮いている母のモノクロシーンです。

階段を上り、ベランダを抜けて出ていくアサーフィエフは、1945年のソロビヨフ家から、1975年のもう片方の作者の住まいへ行くアリョーシャです。
但し、「特別な存在」の母は、ここにはいません。

ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍は、「妊娠」のフェーズの最後のモノクロシーンです。

父の詩は、「卵子」と「精子」の「受精卵」です。

ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍の爆弾は、「受精卵」です。
兵士と紙幣は、受精できなかった「精子」です。

◇分娩・出産

雪に被われた小高い丘の斜面は、「母体」の外です。
真っ白な斜面をつまづきながら上ってくる、アサーフィエフは、「赤ん坊」のアリョーシャです。

射的場や凍てついた河辺を行き交う人々は、「出産」で、母の「母体」の外に排出された、「付属物」です。

アサーフィエフの涙は、人々が死ぬことの悲しみです。
口笛は、アリョーシャの呼び声です。


■排卵2

連続したニュース映画・鳴り響く祝砲から、原子爆弾のきのこ雲までは、「排卵2」です。
原子爆弾のきのこ雲は、「排卵した卵胞」です。
爆撃機は、「排卵した卵子」です。
「排卵した卵胞」の原子爆弾のきのこ雲は、「分岐点1」のアサーフィエフです。
「排卵した卵子」の爆撃機は、「分岐点1」の手榴弾です。


■受精

雪に被われた小高い丘は、「卵管膨大部」です。
木の枝は、「卵管采」です。

小鳥は、「排卵した卵子」です。
アサーフィエフは、「精子」です。

炸裂する原子爆弾と爆撃機は、雪に被われた小高い丘のアサーフィエフの「精子」と小鳥の「卵子」に置き換わります。
これは、『サクリファイス』に引き継がれているのではないか?と思います。

ニュース映画の人々と、遠くの河辺を行き交う人々は、受精できなかった「精子」です。

帽子にとまった飛んできた小鳥の「排卵した卵子」を、手でそっと捕えるアサーフィエフは、「受精卵」です。

ニュース映画・中国の文化大革命の群衆は、受精できなかった「精子」です。

ニュース映画・ダマンスキー島の国境警備隊の兵士たちは、「受精卵」の表面です。
国境警備隊に制止される中国人たちは、「受精卵」に群がる、受精できなかった「精子」です。

別荘のベランダは、「子宮」です。
猫は、「卵管」です。

母は、マリーナの「胎児」になる「受精卵」です。
父は、アリョーシャの「胎児」になる「受精卵」です。

***


■排卵2

切り立った山の上の村の絵のような光景は、『鏡』の「分岐点1」の最初の、ダ・ヴィンチの画集です。

『鏡』の「分岐点1」の最初の、ダ・ヴィンチの画集のシーンは、モスフィルムのオープニングロゴとその後のクレジットに重ね合わせました。
しかし、『ノスタルジア』の「排卵3」と「初期処理2」の間には、オープニングロゴとクレジットに該当するシーンはありませんでした。
『ノスタルジア』の「初期処理2」のゴルチャコフの窓の外の壁が、『鏡』のモスフィルムのオープニングロゴとクレジットに該当するシーンでした。
「初期処理2」の前にあるはずのものが、「初期処理2」の中にあります。
『鏡』の「分岐点1」の最初の、ダ・ヴィンチの画集のシーンに該当する、『ノスタルジア』のシーンは、移動できずに元の場所に留まります。
元の場所は、「分岐点1」が「射精2」の前に移動する前の場所です。
つまり、「射精2」の後です。
それが、切り立った山の上の村の絵のような光景のシーンです。

切り立った山の上の村の絵のような光景のシーンがある場所には、『鏡』では、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画、がありました。
ダ・ヴィンチの画集は、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画の置換、ということになります。

電動鋸の音は、「分岐点1」を「射精2」の前に移動する前の、「射精2」から続く、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』の隠喩です。

切り立った山の上の村は、「排卵した卵胞」で、『鏡』のニュース映画の原子爆弾のきのこ雲の残滓です。
エウジェニアの車は、「排卵した卵子」で、『鏡』のニュース映画の爆撃機の残滓です。

子供は、『鏡』の、「受精」の、「精子」のアサーフィエフです。

画面はカラーで、今現在です。
「射精2」の「射精した精子」は1年前でしたが、「排卵2」の「射精した精子」は今現在です。

子供の口角炎の原因は、ソロビヨフ家に来た、アリョーシャの口角炎の原因と同じです。
アリョーシャの口角炎の原因は、片方の作者の部屋に、取り残されていたことです。
子供の口角炎の原因は、閉じ込められていたことです。
前のループの「受精」から「排卵2」までの間は、数か月から1年です。

子供が振り向いて言います、「パパ!これが世界の終わりなの?」

振り向くことは、始まりへ戻ることです。
「排卵」は、始まりです。

「世界の終わり」は、「世界の終末」で、ループの終わりです。
「世界の終わり」は、『鏡』のエンドクレジットに重ね合わせた、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画です。
しかし、切り立った山の上の村の絵のような光景は、『鏡』の、モスフィルムのオープニングロゴに重ね合わせた、ダ・ヴィンチの画集で、世界の始まりです。

終わりは始まりです。


■受精



ドメニコの家は、「卵巣」です。
ドメニコの家の前は、「卵管膨大部」です。

ゴルチャコフは、「排卵した卵子」です。
ドメニコは、「精子」です。
犬は、「特別な存在」です。

ドメニコとゴルチャコフの抱擁は、「受精」です。
タクシーに乗るゴルチャコフは、「受精卵」です。

ドメニコは、「受精した精子」の切れた尻尾です。
ゴルチャコフを乗せたタクシーは、「受精卵」です。

タクシーは、「卵管」に入り、「子宮」へ向かいます。

画面はカラーから、モノクロの回想シーンになります。

ドメニコの家は「卵管膨大部」で、ドメニコの家の前は「卵管」です。
ドメニコの家の前の人々は、受精できなかった「精子」です。

ドメニコの家から出てきた一人が、”たらい”(のようなもの)を持っています。
”たらい”は、「卵管膨大部」から「卵管」への入口です。

画面はモノクロからカラーになります。
ホテルの廊下は、「子宮」です。
ゴルチャコフは、「受精卵」です。



「卵管膨大部」のドメニコの家の前は、雪に被われた小高い丘です。

「排卵した卵子」のゴルチャコフは、小鳥です。
「精子」のドメニコは、アサーフィエフです。
「受精卵」のゴルチャコフは、アサーフィエフです。
「受精した精子」の切れた尻尾のドメニコは、アサーフィエフの涙の跡です。

モノクロの回想シーンは、ニュース映画・中国の文化大革命とダマンスキー島の「卵管」、に該当します。
受精できなかった「精子」のドメニコの家の前の人々は、ニュース映画・中国の文化大革命の群衆と、ダマンスキー島の国境警備隊に制止される中国人たちで す。

モノクロの回想シーンは、「分岐点1」の「妊娠C」の二つ目と、「射精2」のモノクロの回想シーンと同じで、今現在から1年前、『鏡』の7年後の回想で す。
このモノクロの回想シーンも、犬の回想です。

「分岐点1」の「妊娠C」の二つ目の続きの、「射精2」のモノクロの回想シーンからの、続きになります。

「卵管」への入口の”たらい”は、ナジェージダがミルクを捨てた”たらい”(「子宮口」)、母が洗濯をして、老母が洗濯物を入れていた”たらい”(「膣 口」)、と同じです。
今現在から1年前、『鏡』の7年後の「受精卵」は、この”たらい”から「卵管」に入りました。

「子宮」のホテルの廊下は、別荘のベランダです。
「受精卵」のゴルチャコフは、父です。
ゴルチャコフは、アリョーシャの「胎児」になる「受精卵」です。
マリーナの「胎児」になる「受精卵」の母はいません。
アリョーシャは一人です。

ゴルチャコフが、ホテルの廊下のドアノブに手を取られて、体が引き戻されます。
ドアノブは、受精できなかった「精子」です。


▲分岐点2

”着床しない場合/着床する場合”を、分岐点1と同様に、プログラミングの IF文で書くと以下になります。

「分岐点1」と同じく、「分岐点2」も引き延ばして、引き延ばした最初を内面の物語の最初、引き延ばした最後を内面の物語の最後に重ね合わせます。
”着床しない場合”は、THEN文の中を繰り返します。
”着床する場合”は、ELSE文から下を実行します。

IF 着床しない
THEN(記述なし)
 初期処理2・排卵1・射精1
 生理
 分岐点1
 IF 受精しない(記述なし)
 THEN
  初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1
 ELSE
  射精2・排卵2・受精
  分岐点2
  IF 着床しない(記述なし)
  THEN(記述なし)
   初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
   分岐点2
   IF 着床しない(記述なし)
   THEN(記述なし)
    初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
    分岐点2
    IF 着床しない(記述なし)
    THEN(記述なし)
     初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
     分岐点2
     IF 着床しない(記述なし)
     THEN
      初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精(記述なし)
      分岐点2
      IF 着床しない(記述なし)
      THEN
       初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1・射精2・排卵2・受精・分岐点2(記述なし)
      ELSE(記述なし)
       着床A
       初期処理1・妊娠・分娩・着床C・排卵3(記述なし)
      END IF(記述なし)
     ELSE(記述なし)
      着床B
      初期処理1・妊娠・分娩・着床C・排卵3(記述なし)
     END IF(記述なし)
    ELSE(記述なし)
     着床・初期処理1(記述なし)
     妊娠A
     分娩・着床C・排卵3(記述なし)
    END IF
   ELSE(記述なし)
    着床・初期処理1(記述なし)
    妊娠B
    分娩・着床C・排卵3(記述なし)
   END IF(記述なし)
  ELSE(記述なし)
   着床・初期処理1(記述なし)
   妊娠C
   分娩・着床C・排卵3(記述なし)
  END IF(記述なし)
 END IF(記述なし)
ELSE
 着床・初期処理1(記述なし)
 妊娠D
 分娩
 着床C
 排卵3
END IF(記述なし)

「着床C」は、『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母のシーン、に該当します。
本来は、「着床A」の場所に移動するシーンですが、移動しないで、元の場所にあります。

制御文以外の”記述なし”の行を削除して、制御文の横の”記述なし”のコメントを削除し、文の横にコメントを入れます。

IF 着床しない(部屋のドアを開けるゴルチャコフ)
THEN
 ◇初期処理2・排卵1・射精1(ドライヤーをあてるエウジェニア)
 ◇生理(ゴルチャコフとエウジェニアの喧嘩)
 ◇分岐点1(中国の声明音楽)
 IF 受精しない
 THEN(画面右手に消えるゴルチャコフ)
  ◇初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1(サスノフスキーの手紙)
 ELSE(画面左手から現れるゴルチャコフ)
  ◇射精2・排卵2・受精(中国の声明音楽終わる)
  ◇分岐点2(サスノフスキーの手紙)
  IF 着床しない
  THEN
   ◇分岐点2(サスノフスキーの手紙)
   IF 着床しない
   THEN
    ◇分岐点2(サスノフスキーの手紙)
    IF 着床しない
    THEN
     ◇分岐点2(サスノフスキーの手紙)
     IF 着床しない
     THEN
      ◇分岐点2(サスノフスキーの手紙)
      IF 着床しない
      THEN
      ELSE
       ◇着床A(長椅子に横たわるゴルチャコフ、妻がベッドで寝ている部屋)
      END IF
     ELSE
      ◇着床B・初期処理1(ロシア風別荘の戸外)
     END IF(振り向くゴルチャコフ)
    ELSE
     ◇妊娠A(水の教会)
    END IF
   ELSE
    ◇妊娠B(石畳の道)
   END IF
  ELSE
   ◇妊娠C(サン・ガルガノ大聖堂)
  END IF(燃えてしまった詩集)
 END IF(仰向いて横たわるゴルチャコフ)
ELSE(ヴァチカンのドゥオモ)
 ◇妊娠D(ローマ)
 ◇分娩(水を抜いた広場の温泉の掃除)
 ◇着床C(焼身自殺するドメニコ)
 ◇排卵3(水を抜いた広場の温泉をロウソクに火を灯して渡るゴルチャコフ)
END IF


▼着床しない場合

ホテルに帰ったゴルチャコフが、部屋のドアを開けて中に入ります。

◇初期処理2・排卵1・射精1

「排卵1」で、”ベッドサイドランプON/洗面所の電気ON”、になり、ゴルチャコフの部屋は「卵管膨大部」、洗面所は「卵巣」になります。
ゴルチャコフの部屋とエウジェニアの部屋は、廊下と階段の「卵管」で繋がっています。
ゴルチャコフの部屋が「卵管膨大部」になると、エウジェニアの部屋が「子宮」になり、洗面所は「卵管B」になります。
「卵管」に水はないので、エウジェニアの部屋の洗面所(浴室)からお湯が出なくなります。

ゴルチャフが部屋に入った時の、ベッドサイドランプは、OFFになっています。
洗面所もOFF、と考えられます。
”ベッドサイドランプOFF/洗面所の電気OFF”、の「初期処理2」の「初期設定」の前と同じ状態です。
ゴルチャコフの部屋と洗面所(浴室)は「卵巣」です。

洗面所(浴室)を使う時は、普通は電気を点けるので、エウジェニアが使った時は、ゴルチャコフの部屋の洗面所(浴室)の電気は、ONだったと思われます。
”ベッドサイドランプOFF/洗面所の電気ON”の状態は、ゴルチャコフの部屋は「卵巣」、洗面所(浴室)は「卵巣」、とします。
”ベッドサイドランプOFF/洗面所の電気OFF”の、「初期処理2」と「生理」と同じです。

組み合わせを一覧にすると、以下になります。

部屋OFF/洗面所OFF→部屋「卵巣」/洗面所「卵巣」
部屋OFF/洗面所ON→部屋「卵巣」/洗面所「卵巣」
部屋ON/洗面所OFF→部屋「卵巣」/洗面所「卵管膨大部」
部屋ON/洗面所ON→部屋「卵管膨大部」/洗面所「卵巣」

プログラミングのテーブルです。



ゴルチャコフの部屋のベッドの上で、エウジェニアがドライヤーを使っています。
ドライヤーのファンとファンが回る音は、「初期処理2」のゴルチャコフの部屋の天井のファンとファンが回る音で、「分岐点1」のドメニコが漕ぐ自転車と車 輪が回る音です。

『鏡』の「分岐点2」には、モノクロはありませんでした。
しかし、『ノスタルジア』の「分岐点2」には、他にもあります。

ゴルチャコフが部屋に入った時に、洗面所が映り、続いてガラス越しに窓の外が映ります。
この洗面所とガラス越しの窓の外は、モノクロです。
洗面所のモノクロは、「初期処理2」のゴルチャコフの部屋の窓の外の壁で、「分岐点1」の、村人に案内されて来た時のドメニコの家の中、と重なります。
洗面所のモノクロは、『鏡』のオープニングロゴとクレジット、に該当します。
ガラス越しの窓の外のモノクロは、「排卵1」の「卵巣」の洗面所で、「分岐点1」の、エウジェニアが自転車を漕ぐドメニコのところへ行った時のドメニコの 家の中、と重なります。
ガラス越しの窓の外のモノクロは、『鏡』の「排卵1」の「卵巣」の、1975年の吃音症治療の作者の部屋、に該当します。

カメラがエウジェニアに近づき、窓が画面から切れて、カメラがゴルチャコフを映して、窓が再び画面に映ります。
ゴルチャコフが、エウジェニアに、ドメニコから貰ったロウソクを見せて、エウジェニアはドライヤーのスイッチを切ります。
ドライヤーのファンが止まり、音がしなくなります。
このシーンは、「分岐点1」で、ドメニコが自転車を漕ぐのをやめて家の中に入るシーン、と重なります。
ガラス越しの窓の外のモノクロは、「排卵1」の「卵管膨大部」の洗面所で、「分岐点1」の、ドメニコが自転車を漕ぐのをやめて家の中へ入った時の、ドメニ コの家の中です。
ガラス越しの窓の外のモノクロは、『鏡』のメインタイトル、に該当します。

カメラがゴルチャコフとエウジェニアに近づき、窓が再び画面から切れて、気分を害したエウジェニアがドライヤーのスイッチを入れてベッドから離れ、画面右 手に消えます。
ゴルチャコフもベッドから離れて、窓が再び画面に映ります。
ベッドから離れるエウジェニアは、「射精1」のホテルの廊下の、自分の部屋に戻るエウジェニアと、「分岐点1」の、「ローマに帰るわ」と言って立ち去るエ ウジェニア、と重なります。
ベッドから離れるエウジェニアは、『鏡』の「射精1・生理」の、印刷所のシャワー室の前から、廊下をスキップして立ち去る、リーザの残滓です。
ガラス越しの窓の外のモノクロは、「射精1」の「卵管膨大部」の洗面所で、「分岐点1」の、エウジェニアが立ち去った時のドメニコの家の中、と重なりま す。
ガラス越しの窓の外のモノクロは、、『鏡』の「射精1・生理」の「卵管膨大部」の、1935年の祖父の家の両親の部屋、に該当します。

ドライヤーの回るファンは、ドメニコが漕ぐ自転車の回る車輪です。
ドライヤーの回るファンは、ループを意味しています。

『鏡』の「射精1・生理」の「卵巣」の、1935年の祖父の家のアリョーシャの部屋に該当するモノクロは、「分岐点2」には、ありません。
「射精1」では、アリョーシャの部屋が「卵巣」になり、両親の部屋が「卵管膨大部」になるのと、洗面所が「卵管膨大部」になり、「卵巣」になるのとでは、 順番が逆になっていました。
「分岐点1」でも、「射精1」に合わせて順番を逆にしました。
『ノスタルジア』の「射精1」の、洗面所の電気とベッドサイドランプを消した後の、「卵巣」の洗面所と、
「分岐点1」の、ゴルチャコフが自転車を漕ぐドメニコの所へ行った時の、ドメニコの家の中は、
『鏡』の「射精1・生理」の「卵巣」の、1935年の祖父の家のアリョーシャの部屋に該当しない、とします。

「卵巣」のアリョーシャの部屋の、幼年時代のアリョーシャは、「成熟卵胞」に成長する「胞状卵胞」でした。
『鏡』の作者は、「胞状卵胞」です。
『鏡』の作者は、アリョーシャです。
『鏡』の作者が生まれたのは、この時です。
『ノスタルジア』では、『鏡』の作者は、生まれていません。
『ノスタルジア』には、『鏡』の作者はいません。

◇生理

マリーナの声「本を盗んだの、言いつけるわよ」(『鏡』シナリオより)

エウジェニアの怒りは、マリーナのこの短い言葉の置換です。

マリーナが言う本は、『鏡』の「分岐点1」で、緑色の服の婦人に言われて、アリョーシャが書棚から取り、読んだ本のことです。

怒りだしたエウジェニアは、鏡台の前に行きます。
鏡台の鏡に映った部屋の壁は、モノクロです。
エウジェニアが鏡台の前へ行く前に、ドライヤーの音がやみます。
このシーンは、「分岐点1」で、ドメニコが自転車を漕ぐのをやめて家の中に入るシーン、と重なります。
鏡台の鏡に映った部屋の壁のモノクロは、「生理」の「子宮」の窓の外の壁で、「分岐点1」の、ドメニコと犬が家の中へ入った時のドメニコの家の中、と重な ります。
鏡台の鏡に映った部屋の壁のモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の「子宮」の、1975年の作者の住まいの台所の漆喰が落ちる部屋、に該当します。

エウジェニアは、窓際に行き、窓を開けます。
窓の外の壁は、モノクロです。
このモノクロは、「生理」のゴルチャコフの夢で、「分岐点1」の沼地のような風景、と重なります。
このモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の、1945年の印刷所のシーン、に該当します。
エウジェニアが持つ櫛は、印刷所で母がリーザから渡された櫛の残滓です。

エウジェニアは、洗面所に入ります。
洗面台の横が映って、コップ置きに海綿があります。
海綿は薄く色がついています。
海綿以外は、モノクロです。
このモノクロは、「生理」のバーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉の湯けむり、と重なります。
このモノクロは、『鏡』の「射精1・生理」の、スペイン人がいた作者の部屋のニュース映画、に該当します。
このモノクロは、「分岐点1」にはありませんでしたが、「分岐点2」にはあります。
「分岐点2」のゴルチャコフの部屋が、『ノスタルジア』の「生理」のバーニョ・ヴィニョーニの広場で、省略することはできないから、と考えます。

エウジェニア「夢に柔らかい虫が出てくるの。足が沢山あって、それが頭に落ちてくるのよ。毒のある虫よ。髪を懸命にはたいたわ」

虫は、バーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉の湯けむりで、スペイン人がいる作者の部屋のニュース映画です。

エウジェニア「虫はやっと落ちたけど、私は追い続けたわ、衣装ダンスに入らないように、叩いても虫のそばの床を叩くだけで、どうしても叩きつぶせないの」

衣装ダンスは、「分岐点2」の、エウジェニアが今いる、洗面所です。
虫の湯けむりのモノクロは、衣装ダンスのモノクロの洗面所へ入ります。

ゴルチャコフの部屋とホテルの廊下は、『鏡』の「分岐点2」の別荘の庭です。
ゴルチャコフとエウジェニアは、『鏡』の「分岐点2」のアリョーシャとマリーナです。

洗面所の水が流れるような音と、洞窟で水滴が落ちるような音は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

『鏡』の「分岐点2」の別荘の庭は、『鏡』の「生理」の、スペイン人がいる作者の部屋でした。
『鏡』の「分岐点2」のアリョーシャとマリーナは、『鏡』の「生理」の、スペイン人がいる作者の部屋のエルネストとテレーザでした。
ゴルチャコフとエウジェニアは、エルネストとテレーザです。

ゴルチャコフが、エウジェニアの尻を強く叩くことは、アリョーシャが、マリーナを小突くことの置換です。
アリョーシャが、マリーナを小突くことは、エルネストがテレーザの頬を平手打ちすることの置換です。

父親の声「マリーナ!」(『鏡』シナリオより)

アリョーシャとマリーナは、父親のもとへ走ります。
アリョーシャは、つまづいて転びます。

ゴルチャコフの鼻血は、アリョーシャがつまづいて転んだことの置換です。

将軍が子供を連れて見ています。
将軍は、アリョーシャとマリーナの父親です。
子供は、アリョーシャです。
将軍が子供を連れて階段を上がり、エウジェニアも階段を上がります。
エウジェニアは、マリーナです。

ゴルチャコフの部屋とホテルの廊下は、『ノスタルジア』の「生理」のバーニョ・ヴィニョーニの広場です。
ゴルチャコフとエウジェニアは、『ノスタルジア』の「生理」の、バーニョ・ヴィニョーニの広場のゴルチャコフとエウジェニアです。
将軍とラウラと小犬は、『ノスタルジア』の「生理」の、バーニョ・ヴィニョーニの広場の将軍とラウラと小犬です。
将軍が連れていた子供は、バーニョ・ヴィニョーニの広場にいなかった、『鏡』の作者です。
『ノスタルジア』には、『鏡』の作者はいません。
将軍が連れていた子供は、『鏡』の作者の残滓です。
1935年の祖父の家のアリョーシャの部屋に該当するモノクロは、「分岐点2」には、ありませんでした。
将軍が連れていた子供は、1935年の祖父の家のアリョーシャの部屋の、幼年時代のアリョーシャ、とも考えられます。

◇分岐点1

「分岐点2」の中の「分岐点1」です。

将軍と子供が階段を上がり、中国の声明音楽が始まります。

中国の声明音楽は、『ノスタルジア』の「分岐点1」です。
『ノスタルジア』の「分岐点1」は、『ノスタルジア』です。
中国の声明音楽は、『ノスタルジア』です。

将軍(オフ)「素晴らしい曲だ。ヴェルディの百倍もよろしい」
男2の声「ヴェルディよりですと!あんな中国じみた曲が!」
将軍(オフ)「感傷とは縁のない文化だ。神の声。自然の声だ」

小犬を連れたラウラは、『鏡』の、スペイン人がいる作者の部屋のディオニシオで、
「分岐点1」の、エゴーロフで、「分岐点2」の、右ページの上に紫色の印がある、ダ・ヴィンチの画集で、タルコフスキーです。
タルコフスキーは、『ノスタルジア』の監督です。
ラウラが連れた小犬は、ディオニシオが描く絵で、『鏡』で、『ノスタルジア』です。

ラウラ(オフ)「まあ、将軍までこんな時間に音楽を、でも私は追い出せないわ」

タルコフスキーは、メタレベルです。
タルコフスキーは、追い出せません。

 ▽受精しない場合

 ”着床しない場合”の”受精しない場合”です。

 ゴルチャコフが、画面右手に消えます。

 エウジェニアが、荷物を持って階段から下りてきます。

 ◇初期処理2・排卵1・射精1・生理・分岐点1

 ラウラは、『鏡』の「分岐点1」の緑色の服の婦人にも見えます。
 『鏡』の緑色の服の婦人は、タルコフスキーと同じ、メタレベル的な存在かもしれません。

 緑色の服の婦人「(イグナートに気づいて)いらっしゃいな、(ワシーリエグナに)あの子にも、お茶を持ってきて」(『鏡』シナリオより)

 画面右手に消えたゴルチャコフは、ワシーリエグナです。
 階段から下りてきたエウジェニアは、イグナート(アリョーシャ)です。

 エウジェニアは、サスノフスキーの手紙をゴルチャコフの部屋のドアに挟もうとしてやめて、読みます。
 これは、『鏡』の「分岐点1」で、イグナート(アリョーシャ)が、緑色の服の婦人に言われて、本を書棚から取り、読むことの置換です。
 この本を持って、イグナート(アリョーシャ)は、「分岐点1」から「初期処理」へ戻ります。
 サスノフスキーの手紙は、『鏡』の「分岐点1」のイグナート(アリョーシャ)が読む、プーシキンのチェダーエフ宛書簡の置換です。

 「庭園で背景に数体の彫像が置いてあります。彫像の男たちは白塗りの裸体で長時間不動です。」

 「白塗り」の、「数体の彫像」は、「精子」です。
 「長時間不動」の、「数体の彫像」は、「初期処理」の「初期値」、ではないか?と考えます。
 「庭園」の、「数体の彫像」は、ゴルチャコフの家族、ではないか?と考えます。

 「ついに我慢できず、倒れそうになって目が覚めました。恐ろしかったのは、それが夢ではなく、現実だと分かったからです」

 「倒れそうになって」は、処理の開始、ではないか?と考えます。

 「ロシアに帰れないと思うのは、生まれ育った土地に帰れないのは」

 ”受精する場合”に分岐することで、「初期処理」には戻らないことです。

 「分岐点2」の”着床しない場合”の”受精しない場合”は、「分岐点1」では、”受精しない場合”の”受精しない場合”になります。
 しかし、「分岐点1」には、”受精しない場合”の”受精しない場合”は、ありません。
 ゴルチャコフが、画面右手に消えてから、画面左手から現れるのは、「分岐点1」の、”受精しない場合”の”受精しない場合”は、ありませんよ、という意 味、と考えます。

 ▽受精する場合

 ”着床しない場合”の”受精する場合”です。

 ゴルチャコフが、画面左手から現れます。

 ◇射精2・排卵2・受精

 ゴルチャコフは、「射精した精子」で「排卵した卵子」で「受精卵」です。
 ホテルの廊下は、「卵管膨大部」です。

 ゴルチャコフが、画面左手から現れて、中国の声明音楽は終わります。

 『鏡』の、「射精1・生理」のスペイン人がいる作者の部屋のニュース映画と「分岐点1」の二つのニュース映画以外の、ニュース映画に該当するモノクロ シーンは、
 『ノスタルジア』の「分岐点2」には、ありません。
 『ノスタルジア』の「射精2」「受精」の、回想シーンと重なり、
 『鏡』の「射精2」「受精」の、(「排卵2」の、炸裂する原子爆弾のある連続したニュース映画は、『ノスタルジア』にはないので、含みません)
 ニュース映画に該当する、モノクロはありません。

 サスノフスキーの手紙は続いて、次の「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」へ進みます。

 ◇分岐点2

  ▽着床しない場合

  ◇分岐点2

   ▽着床しない場合

   ◇分岐点2

    ▽着床しない場合

    ◇分岐点2

     ▽着床しない場合

     ◇分岐点2

      ▽着床しない場合

      ▽着床する場合

      ◇着床A

      ここでのサスノフスキーの手紙は、「分岐点1」の『第九』の置換のようでもありますが、手紙は途中で途切れません。

      ここでのサスノフスキーの手紙は、「分岐点2」の中の「分岐点1」のように、プーシキンのチェダーエフ宛書簡の置換ではありません。
      ここは、「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」です。
      『鏡』の「分岐点2」には、「分岐点1」でイグナート(アリョーシャ)が読む本は、ありませんでした。
      『鏡』の「分岐点2」から「初期処理」へ戻る時は、本を持たずに戻ります。
      しかし、「初期処理」では、イグナート(アリョーシャ)は、本を持っています。
      だから、アリョーシャ(イグナート)はマリーナに、本を盗んだことにされてしまいます。
      ここでのサスノフスキーの手紙は、マリーナが言う、アリョーシャ(イグナート)が盗んだ、存在しない本です。
      ここでは、サスノフスキーの手紙を読む、イグナート(アリョーシャ)のエウジェニアは、画面に映っていません。

      「死ぬより辛いことです。生まれた国、あの樺の林、幼年時代の空気に・・・」

      これは、『鏡』の「分岐点2」の、別荘の庭ではないか?と考えます。

      「分岐点1」の中の「分岐点2」は、IF文が4重の入れ子(ネスト)になっていました。
      「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」は、 IF文が5重の入れ子(ネスト)になっています。
      外側の階層も含めると、7重の入れ子です。
      1重目の IF文は、”着床しない場合”なので、7重目の”着床する場合”の「着床A」には、入れません。
      「分岐点1」と同じく、「分岐点2」も、「着床A」は、実行されません。
      「着床A」は、コメント的な行になります。
      コメント的な行は、『鏡』の残滓です。

      サスノフスキーの手紙は、存在しない本です。
      サスノフスキーの手紙は、『鏡』の残滓です。

      「分岐点1」と同じく、「着床B」「妊娠A」「妊娠B」は、実行されません。
      「妊娠C」「分娩」「着床C」「排卵3」は、実行されますが、「妊娠」の前に「着床」していないので、「胎児」はいません。

      ゴルチャコフは、アリョーシャです。
      「子宮内膜」の父親の将軍は、階段を上って自分の部屋へ行ったので、いません。
      マリーナのエウジェニアは、ローマへ行きます。
      アリョーシャは一人です。

      ゴルチャコフは、一人で、長椅子の上に仰向いて横たわります。
      ゴルチャコフは、存在しない「着床」した「受精卵」です。
      ゴルチャコフは、存在しない「胎児」です。

      「着床A」は、「分岐点1」の「着床A」と同じく、『鏡』の「分岐点2」の中の「着床」です。  
      ここまでの「着床A」は、モノクロではなくカラーです。

      犬の鳴き声がします。

      ◇

      犬の鳴き声が、続きます。

      画面はカラーからモノクロになります。

      長椅子の上に仰向いて横たわる、アリョーシャのゴルチャコフの、8年前の『鏡』の回想です。

      妻がベッドで寝ています。

      ゴルチャコフ(オフ)「マリア!」

      「生理」のゴルチャコフの夢の最後の、妻の「アンドレイ!」は、『鏡』の、最後にあかあかと燃え上がる、崩れ落ちた納屋の火事の残り火の隠喩 でした。
      納屋の火事の残り火は、「生理」のバーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉へ、服のまま入ろうとするドメニコでした。
      ここでの、ゴルチャコフの「マリア!」は、『鏡』の、もう片方の作者の住まいの中庭の、焚火の火の隠喩です。
      『鏡』の、もう片方の作者の住まいの中庭の焚火の火は、祖父の家の庭でタバコを喫う老母でした。
      祖父の家の庭でタバコを喫う老母の内面は、火でした。
      ドメニコは、内面が火の老母でした。

      ドメニコは、祖父の家の庭でタバコを喫う老母です。
      老母は、マリア・ニコラーエヴナです。
      マリアは、ドメニコです。
      ドメニコは、ゴルチャコフ(アンドレイ)です。
      アンドレイは、マリアです。

      窓際にガラスの花瓶があり、中に水があります。
      テーブルの上にも、いくつかの瓶があり、水が入っているようです。
      妻がベッドで寝ている部屋は、「卵巣」です。

      犬の鳴き声は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

      妻がベッドで寝ている部屋は、『鏡』の「分岐点1」の作者の住まいです。
      妻がベッドから起きて、窓のところへ行き、カーテンを開けると白い鳥がいます。
      白い鳥は、「分岐点1」の作者の住まいへ、間違えて訪ねて来た、祖父の家の庭でタバコを喫う、内面が火の老母です。

      白い鳥は、「卵巣」の部屋の中に入れません。
      間違えて訪ねて来た老母は、作者の住まいへ入りませんでした。

      「着床A」は、実行されないので、白い鳥の内面が火の老母は、「卵巣」の部屋の中に入ることは、できません。

      『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母のシーンは、『鏡』の「分岐点2」の、父がアリョーシャとマリーナを引き寄せて抱くシーンの前に移 動しました。
      それが、妻がベッドで寝ている部屋のシーンです。
      このシーンは、祖父の家の庭でタバコを喫う、内面が火の老母が、「分岐点1」の作者の住まいへ、間違えて訪ねて来た時の、アリョーシャ(イグ ナート)の回想です。
      祖父の家でタバコを喫う、内面が火の老母は、「分岐点1」と「分岐点2」を間違えたのです。
      タルコフスキーの、メタレベルの編集ミスです。
      妻は、ここがどこなのか分からない様子で、おろおろとしています。
      『ノスタルジア』は、『鏡』をコピーして修正したプログラムです。
      妻は、メタレベルで、『鏡』から『ノスタルジア』へコピーされ、転送されてきました。
      妻がベッドで寝ている部屋は、メタレベルの部屋です。

      妻は、イグナート(アリョーシャ)です。

      「着床A」は実行されない場所です。
      だから、祖父の家で庭でタバコを喫う老母のドメニコは、移動せずに元の場所に留まります。
      それが、「着床C」の、カンピドリオ広場で焼身自殺するドメニコです。
      「着床C」は、実行されます。
      妻がベッドで寝ている部屋で聴こえる犬の鳴き声は、カンピドリオ広場の「子宮」で鳴く犬の鳴き声です。

      ”着床しない場合”の”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場 合”の、「着床A」は、終わります。
      「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わりま す。

      ギー、という音とともに扉が開きます。
      入れ子(ネスト)が上の階層になります。

     ▽着床する場合

     ◇着床B・初期処理1

     ここに記述された内容は、コメント的な行です。
     実行されません。

     画面はモノクロです。

     このモノクロは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「着床B」の人形の絵、と重なります。
     このモノクロは、『ノスタルジア』の映画の最後の「着床」の、少年の顔のアップとサン・ガルガノ大聖堂、映画の最初の「着床」の最後の、森と沼 のある風景、と重なります。
     このモノクロは、『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まい、に該当します。

     このモノクロは、「特別な存在」の母の回想です。

     犬の鳴き声が続いています。
     この犬の鳴き声は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

     戸外で少年が犬を連れて立ってます。
     少女と年老いた女性が現れます。
     少女と少年は姉弟で、年老いた女性は母のようです。
     ゴルチャコフの家族のようです。

     三人は、周りをきょろきょろと見ています。
     三人は、妻と一緒に、『鏡』から『ノスタルジア』へコピーされ、転送されてきました。

     ロシア風別荘の前に、ゴルチャコフの家族の、妻と先ほどの母と姉弟が立っています。
     ロシア風別荘の前は、『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まいの中庭です。
     『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まいの中庭は、『ノスタルジア』の映画の最後の「着床」の、サン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前で す。

     ロシア風別荘の前と、「着床」のサン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前は、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭です。
     ロシア風別荘の前と、「着床」のサン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前は、8年前の『鏡』の、もう片方の作者の部屋から、「特別な存在」の母 が見た中庭です。

     ロシア風別荘の屋根から日が上ります。
     ロシア風別荘の前のゴルチャコフの家族が、振り向きます。

     振り向くゴルチャコフの家族は、映画の最後から最初へ戻ることです。
     振り向くゴルチャコフの家族は、屋根から登る日を見ています。

     屋根から上る日は、映画の始まりです。

     船出の汽笛が鳴ります。
     汽笛は、映画の最初のヴェルディの『レクイエム』です。
     汽笛は、「初期処理1」です。

     犬の鳴き声がして、水が流れる音がします。
     犬の鳴き声と、水が流れる音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

     ”着床しない場合”の”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「着床B」と「初 期処理1」は、終わります。
     「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わります。

     画面はモノクロからカラーになります。

     水が流れる音が、続きます。
     ゴルチャコフがいるホテルのロビーは、「子宮」です。

     妻(オフ)「アンドレイ!」

     振り向くゴルチャコフは、「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の、 END IF文です。
     振り向くゴルチャコフは、次の行からは、入れ子(ネスト)が上の階層になりますよ、という意味です。

    ▽着床する場合

    ◇妊娠A

    ここに記述された内容は、コメント的な行です。
    実行されません。 

    水に沈む白い彫像は、「分岐点1」の「妊娠A」の、ドメニコの部屋の窓際、と重なります。
    水に沈む白い彫像は、「妊娠」の最初の、朝もやの中のトスカーナ地方の田園、と重なります。
    水に沈む白い彫像は、『鏡』のメインタイトルの後に移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンの後のモノクロシーン、に該当します。

    白い彫像が沈む水路は、「卵管」です。
    『鏡』の、「妊娠」の最初のカラーシーンの後のモノクロシーンで、風を逃れるようにアリョーシャが走る、家の横は「卵管」でした。
    『鏡』では、「卵管」に風が吹きましたが、『ノスタルジア』では、「卵管」に水が流れます。

    水面に流れるスモークは、「妊娠」の、トスカーナ地方の田園の朝もやで、「分岐点1」の「妊娠A」の、ドメニコの部屋の窓際で、ゴルチャコフが喫 うタバコの煙です。

    水の教会は、「分岐点1」の「妊娠A」のドメニコの部屋で、「妊娠」のモンテルキの教会で、『鏡』の「妊娠」のソロビヨフ家の「子宮」です。
    ゴルチャコフは、「特別な存在」の母です。
    ゴルチャコフが持つ詩集は、「卵胞」のアリョーシャです。

    「射精1」で、ゴルチャコフがエウジェニアから受け取った詩集は、「精子」でした。
    ゴルチャコフが持つ詩集のアリョーシャは、「卵胞」の前は「精子」でした。

    ゴルチャコフ(オフ)「”表玄関の階段まで暖を求めて、よろけて、部屋にたどり着く」

    「部屋」は、『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーンの、1975年の作者の住まいの台所の「子宮」です。

    「横になってラッパを吹く。光がさしこんだ。母が橋から飛び降り、手をふって飛んでいった。遠くはないが、近くにいくこともできない」

    「母」は、宙に浮いている「特別な存在」の母です。
    宙に浮いている母は、「射精」してから日にちが経ち、死んでしまう「精子」のアリョーシャを救おうとして、1945年から1975年の作者の住ま いの台所の「子宮」に来ました。
    「橋」は、「特別な存在」になる前の「精子」の母が、最後にいた1945年の印刷所のシャワー室の「子宮」です。
    「遠くはないが、近くにいくこともできない」は、1945年の印刷所のシャワー室の「子宮」から、1975年の作者の住まいの台所の「子宮」へ行 くことです。

    「私は、やっと近づいた。リンゴの木の下で病院を思い出す」

    「やっと近づいた」は、1975年の作者の住まいの台所の「子宮」から、作者の部屋の「卵巣」へ行くことです。
    「リンゴ」は、『ノスタルジア』の「生理」の、1975年の作者の部屋で、イグナート(アリョーシャ)がかじるリンゴです。
    「リンゴの木」は、作者の部屋の「卵巣」にある、鉢植えの木です。

    焚火の火は、モンテルキの教会の祭壇の前のたくさんのロウソクの火です。
    ゴルチャコフは、モンテルキの教会のエウジェニアです。
    ゴルチャコフが持つ詩集は、ゴルチャコフです。

    ゴルチャコフは、紙コップに酒を注ぎます。
    酒は、ソロビヨフ家のウォトカです。

    ゴルチャコフ(膝まで水につかり、ロシア語)「父さんに会わねば・・・。戸棚の背広が3年も吊りっぱなしだ。帰ったら着よう。どこにも行かず、だ れにも会わずに」

    「父さん」は、『鏡』の1935年と1975年の新しい「子宮内膜」で、ソロビヨフ家の鏡に映る赤毛の少女の脇に立っていた人物です。
    「3年」は、『鏡』公開の1975年から『ストーカー』公開の1979年までの4年間を、ドメニコが家族を閉じ込めた7年間から引いた年数、とし ます。
    『ノスタルジア』の物語が始まったのは、『ストーカー』公開年と同じ1979年、とします。
    『ノスタルジア』と『ストーカー』の物語が始まったのは、同じ年です。
    「7年間」は、『鏡』をコピーして『ノスタルジア』を作るまでの4年間と、『ノスタルジア』の物語が始まってから「受精」するまでの3年間のルー プ、とします。
    「帰ったら着よう。どこにも行かず、誰にも会わずに」は、”着床しない場合”に、「初期処理2」へ戻ることです。

    アンジェラは、『鏡』のソロビヨフ家のナジェージダで、「母体」です。
    アンジェラが水の中に投げた小石は、『鏡』のナジェージダが捨てた、”たらい”の中のミルクの「精液(精子)」です。

    ”着床しない場合”の”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「妊娠A」は、終わります。
    「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わります。

   ▽着床する場合

   ◇妊娠B

   ここに記述された内容は、コメント的な行です。
   実行されません。

   画面はカラーからモノクロになります。

   モノクロなので、「妊娠」より過去です。
   このモノクロシーンは、「着床」です。

   イタリアの村の道をゴルチャコフが歩いてくる。電動鋸の音。振り向くが、誰もいない。

   誰もいないのは、「妊娠B」の、このモノクロシーンの前の、カラーシーンがないからです。

   このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、二つ目のモノクロの回想シーン、と重なります。
   このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「妊娠」の、二つを一つにしたモノクロシーン、と重なります。
   このモノクロシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍、に該当します。
   このモノクロシーンは、『鏡』の「妊娠」の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャのモノクロシーン、に該当します。

   電動鋸の音は、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、二つ目のモノクロの回想シーンの電動鋸の音、と重なります。
   電動鋸の音は、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍に被る、父の詩の隠喩です。
   電動鋸の音は、『鏡』の「妊娠」の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャのモノクロシーンに被る、父の詩の隠喩です。

   最初に、水の教会と同じ、水滴の音がします。
   詩集が燃える音も、少し混じります。
   石畳の道は、「子宮」です。
   石畳の道に散乱した白い布やゴミは、受精できなかった「精子」です。
   石畳の道に散乱した白い布やゴミは、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍の、兵士と紙幣です。
   ゴルチャコフは、「受精卵」です。
   ゴルチャコフは、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍の、爆弾です。
   タンスの戸の鏡は、『鏡』の「妊娠」の、牛乳壺を抱えたアリョーシャの、「着床した受精卵」が映る鏡です。
   タンスの戸の鏡に映った、ゴルチャコフの服を着たドメニコは、「受精した精子」です。
   「受精卵」のゴルチャコフは、タンスの戸の鏡には、映りません。
   「受精卵」のゴルチャコフは、「着床」しません。
   従って、「妊娠」しません。

   シヴァシ湖を渡る行軍の爆弾の「受精卵」は、「着床」しません。
   シヴァシ湖を渡る行軍の爆弾は、着弾しません。

   「受精」して「着床」しないので「妊娠」しませんが、「妊娠」の中の「着床」(「妊娠」より過去のモノクロシーン)なので、「着床」して「妊娠」す るという、矛盾したロジックです。

   『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まいのアリョーシャの、「排卵した卵子」は、マリーナの「胎児」になります。
   『鏡』の「妊娠」の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャの、「着床した受精卵」は、マリーナの「胎児」になります。
   ゴルチャコフは、小鳥の「卵子」とアサーフィエフの「精子」が「受精」した、アリョーシャの「胎児」になる「受精卵」の残滓です。

   ”着床しない場合”の”受精する場合”の”着床しない場合”の”着床する場合”の、「妊娠B」は、終わります。
   「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」も、終わります。

  ▽着床する場合

  ◇妊娠C

  ここに記述された内容は、コメント的な行です。
  実行されません。

  画面はモノクロです。

  このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、一つ目のモノクロの回想シーン、と重なります。
  このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の、「妊娠」のモンテルキの教会の後のモノクロシーン、と重なります。
  このモノクロシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・渡河中の兵士たち、に該当します。
  このモノクロシーンは、『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーン、に該当します。

  サン・ガルガノ大聖堂のゴルチャコフがいる場所は、『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーンの、作者の住まいの台所の「子宮」です。

  サン・ガルガノ大聖堂は、「母体」です。

  神の声は、メタレベルのタルコフスキーです。
  女の声は、母です。
  ゴルチャコフは、父です。
  祈りの声は、バッハのオルガン曲です。

  宙に浮いている母は、「特別な存在」の母です。
  「特別な存在」の母は、メタレベルではありませんが、メタレベルの神の声が聞こえます。

  『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーンは、ソロビヨフ家の「特別な存在」の母が見た、「子宮」の内面でした。
  このモノクロシーンは、「特別な存在」の母の、8年前の『鏡』の回想です。

  サン・ガルガノ大聖堂の側廊は、合わせ鏡の中です。
  サン・ガルガノ大聖堂の側廊は、プログラムの入れ子(ネスト)です。

  ゴルチャコフのハンカチは、「妊娠」のモンテルキの教会の後のモノクロシーンの、ゴルチャコフが拾う白い鳥の羽です。

  鳥の羽ばたく音は、宙に浮いている母の身体の上を飛ぶ、白い鳥のアリョーシャが羽ばたく音です。

  「特別な存在」の母は、「精子」のアリョーシャを連れて、『鏡』の「射精1・生理」の、印刷所のシャワー室の「子宮」から、作者の住まいの台所の「子 宮」へ行きました。
  「特別な存在」の母と、「精子」のアリョーシャは、スペイン人がいる作者の部屋の「卵巣」へ行きました。
  アリョーシャは、「精子」から「卵胞」になりました。
  「特別な存在」の母と、「卵胞」のアリョーシャは、スペイン人がいる作者の部屋の「卵巣」から、ソロビヨフ家の「子宮」へ行きました。
  「特別な存在」の母と、「卵胞」のアリョーシャは、ソロビヨフ家を出て川辺の「子宮」から、もう片方の作者の部屋の「卵巣」へ行きました。

  「特別な存在」の母は、「精子」のアリョーシャを連れて、『ノスタルジア』の「生理」の、ゴルチャコフの部屋の「子宮」から、サン・ガルガノ大聖堂の 「母体」の「子宮」へ行きました。
  「特別な存在」の母と、「精子」のアリョーシャは、サン・ガルガノ大聖堂の「母体」の「子宮」から、バーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」へ行きま した。
  バーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」は、「分岐点1」の「妊娠C」の、一つ目のモノクロの回想シーンの、ドメニコの家の「卵巣」です。
  サン・ガルガノ大聖堂の石のベンチは、「卵巣」のドメニコの家の前の「卵管膨大部」です。

  アリョーシャは、「精子」から、ドメニコの子供の「卵胞」になりました。
  「特別な存在」の母のエウジェニアと、「卵胞」のドメニコの子供のゴルチャコフは、ドメニコの家の「卵巣」から、モンテルキの教会の「子宮」へ行きま す。
  ゴルチャコフは、モンテルキの教会の「子宮」へ入りませんでした。
  「特別な存在」のエウジェニアと、「卵胞」のゴルチャコフは、ホテルのロビーの「子宮」へ行きます。
  「卵胞」のゴルチャコフは、ホテルのロビーの「子宮」から、ゴルチャコフの部屋の「卵巣」へ行きます。

  画面はモノクロからカラーになります。

  このカラーシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、犬のカラーシーン、と重なります。
  このカラーシーンは、『ノスタルジア』の、「妊娠」のホテルのロビーのカラーシーン、と重なります。
  このカラーシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、射的場を出ていくアサーフィエフのカラーシーン、に該当します。
  このカラーシーンは、『鏡』の「妊娠」の、川辺を歩く母とアリョーシャのカラーシーン、に該当します。

  水が流れる音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

  白い鳥の羽は、ゴルチャコフです。
  白い鳥の羽は、アサーフィエフです。
  白い鳥の羽は、アリョーシャです。

  燃えてしまった詩集は、サスノフスキーの手紙です。
  サスノフスキーの手紙は、『鏡』の「分岐点1」で、イグナート(アリョーシャ)が読む本です。
  『鏡』の「分岐点1」で、イグナート(アリョーシャ)が読む本は、『ノスタルジア』の「射精1」で、ゴルチャコフがエウジェニアから受け取った詩集で す。
  ゴルチャコフがエウジェニアから受け取った詩集は、燃えてしまった詩集です。

  仰向いて横たわるゴルチャコフは、「着床A」の長椅子の上に仰向いて横たわるゴルチャコフです。
  仰向いて横たわるゴルチャコフは、存在しない「着床」した「受精卵」です。
  仰向いて横たわるゴルチャコフは、存在しない「胎児」です。

  「着床A」は、「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」の中の「分岐点2」でした。
  燃えてしまった詩集のサスノフスキーの手紙は、「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の、全ての「分岐点2」です。
  「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の、全ての「分岐点2」が終わります。

  ”着床しない場合”の”受精する場合”の”着床する場合”の、「妊娠C」は、終わります。
  「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」も、終わります。

  燃えてしまった詩集は、「分岐点2」の中の「分岐点1」の中の「分岐点2」の、END IF文です。

 ”着床しない場合”の”受精する場合”は、終わります。
 「分岐点2」の中の「分岐点1」も、終わります。

 「分岐点1」の「妊娠C」の犬は、ドメニコの家の「子宮」から、時間を逆行して、「生理」のゴルチャコフの部屋の「卵巣」へ行きます。
 ゴルチャコフは夢を見ます。
 仰向いて横たわるゴルチャコフは、ゴルチャコフの夢の中のゴルチャコフです。

 仰向いて横たわるゴルチャコフは、「分岐点2」の中の「分岐点1」の、END IF文です。

”着床しない場合”は、終わります。


▼着床する場合

ヴァチカンのドゥオモは、「分岐点2」の、ELSE文(”着床する場合”)です。

ここに記述された内容は、実行されます。
しかし、「着床」が実行されていないので、「赤ん坊」は生まれてきません。

◇妊娠D

ローマのホテルの玄関です。

ホテルの従業員らしき人物が、水を撒いているので、「子宮」か「卵巣」です。

エウジェニアが、ヴィットリオのオフィスから、ゴルチャコフに電話をかけてきます。

ヴィットリオのオフィスの机の上には、液体の入ったコップやワインの入った瓶があります。
給仕人がヴィットリオのコップに、水を注ぎに来ます。

ヴィットリオのオフィスは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠A」の、ゴルチャコフがタバコを喫う、「子宮」のドメニコの部屋、と重なります。
ヴィットリオのオフィスは、『鏡』の「妊娠」の最初のカラーシーンの、アリョーシャが鏡に光を反射させていた、「子宮」の祖父の家の部屋、に該当します。

ヴィットリオのオフィスは、「子宮」です。
ローマのホテルは、「卵巣」です。

電話線は、アリョーシャが鏡に反射させていた、光の「卵管」です。
電話線は、「子宮」から「卵管」に繋がり、「卵巣」に継がっていました。

ヴィットリオのオフィスのシーンは、構図が左右対称です。
ピエロ・デラ・フランチェスカの『出産の聖母』の構図と同じです。
ヴィットリオのオフィスの机の向かって右に、天秤ばかりがあります。
天秤ばかりは、重さが左右同じです。
ヴィットリオのオフィスの天秤ばかりは、「子宮」を意味する、と考えます。
ちなみに、モンテルキのマドンナ・デル・パルト美術館の近くに、Museo delle Bilance(天秤の博物館)があり、マドンナ・デル・パルト美術館と共通チケッ トで入館できます。

ヴィットリオのオフィスの机の上の、デスクライトの彫刻は、ピエロ・デラ・フランチェスカの『出産の聖母』の天使、と考えます。
デスクライトの彫刻は両手を上げていますが、上げた両手が、『出産の聖母』の、向かって左の天使の片手と同じ形になります。
給仕人が窓のカーテンを閉めた時に、カーテンの皺とカーテンから透けて見える窓の桟で、縦と横の線ができますが、聖母の背景にも、カーテンの縦と横の線が あります。

ヴィットリオは、アリョーシャです。
エウジェニアは、母です。
女と男と給仕人は、ドゥーニャ伯母とクラーニカとパーシャ伯父、ではないか?と考えます。

エウジェニア「多分インドへ行くの。ヴィットリオは恋人よ。霊魂の研究をしていてオルヴィエートの旧家の生まれなの」

「インドへ行く」は、シーンの移動、と考えます。
「インド」は、ヘンリー・パーセルの『インドの女王』です。
ヘンリー・パーセルの『インドの女王』が流れるのは、『鏡』の「妊娠」の、あかあかと燃える石炭の中の鏡のシーンです。
あかあかと燃える石炭は、「生理」です。
『鏡』の「妊娠」の、あかあかと燃える石炭の中の鏡は、『鏡』の「妊娠」の最初のカラーシーンの、アリョーシャが光を反射させていた鏡です。
アリョーシャが鏡に光を反射させていたシーンは、「妊娠」からメインタイトルの後の「射精1・生理」へ、移動しました。
「インドへ行く」は、「妊娠」から「射精1・生理」へ、シーンを移動する、と考えます。

作者の言葉「僕の見る夢は、いつも同じだ」(『鏡』シナリオより)

「霊魂」は、『鏡』の「妊娠」の最初のカラーシーンに被る、作者の言葉の「夢」のことではないか?と考えます。

作者の言葉「僕が四十数年前に生まれた祖父の家、それが必ず再現される。なつかしい場所だ。そして白いテーブルクロスの食卓がある」(『鏡』シナリオよ り)

「オルヴィエートの旧家の生まれ」は、「四十数年前に生まれた祖父の家」で、「旧家」は、『鏡』のことではないか?
「白いテーブルクロスの食卓」は、ヴィットリオが食事をしている、白いテーブルクロスをかけた机のことではないか?と考えます。

ヴィットリオが白いテーブルクロスの端をめくり、男が紙幣を置き、ヴィットリオがテーブルクロスを元に戻して、紙幣を隠します。
このシーンは、アリョーシャが、光を反射させて遊んでいた鏡を、机の上の本か何かの下に隠すシーン、に該当します。
ヴィットリオが紙幣を隠したのは、見られるとまずいからです。
見ているのは、女と男以外はエウジェニアだけです。
アリョーシャが鏡を隠したのは、母に見られるとまずい、と思ったからかもしれません。

ヴィットリオの食事は、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠B」の、ドメニコの家のパンとワイン、と重なります。
ヴィットリオの食事は、『鏡』の「妊娠」の、ソロビヨフ家のパンとミルク、に該当します。
パンは映像にはありませんが、シナリオには書かれています。

エウジェニア「タバコを買いに行ってくるわ」

タバコを買いに行くエウジェニアは、タバコを喫いに庇の下へ行く母です。

屋外から聞こえてくる音(ノイズ)は、作者の言葉の隠喩です。

ゴルチャコフは、「排卵1」の「排卵した卵胞」です。
ゴルチャコフは、胸を抑えて病気を気にしています。
「排卵した卵胞」のゴルチャコフは、体外に排出されて、消えます。

ゴルチャコフは、タバコを喫ってすぐに捨てます。

ドメニコ「タバコなど喫わずにもっと大切なことをすべきだ」

「分岐点1」の「妊娠A」の、ドメニコの言葉を思い出したのかもしれません。

「分岐点1」の「妊娠A」のゴルチャコフは、壁に射す光の「卵管」の中を覗きます。
タバコを捨てたゴルチャコフは、空を見上げて、「卵巣」から、「卵管膨大部」の中を覗きます。
「卵巣」の外の音も、聴こえてきます。

カンピドリオ広場は、「子宮」です。

ドメニコは、火遊びをするヴィーチカです。
ドメニコの演説は、作者の言葉です。

ドメニコ「大事なのは夢を育み、我々の魂をあらゆる所で果てしなく拡がるシーツのようにのばしてやる事だ」

ドメニコが撒くビラと狂人達は、『鏡』のメインタイトルの白い文字の、「射精した精子」です。

階段の上に立つ人々の諧調的な構図。

狂人達が諧調的構図なのは、『鏡』のメインタイトルのクレジットだからです。

ドメニコ「私には無理なんだ。奴らが許さないから。ロウソクを灯して、温泉に入ると奴等が追い出す。放り出して叫ぶんだ。お前は狂人だ、と。」

「精子」の狂人は、「卵巣」の温泉には入れません。

ドメニコが撒くビラに、赤い紙が混じっています。
赤い紙は、ヴィーチカの火遊びの火で、「生理」の前触れです。

◇分娩

温泉の水が抜かれ、硫黄のカスがついた自転車の車輪やビンが外に出されている。金属片を拾う女。

このシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「分娩・着床C・排卵3」の、階段を降りるドメニコのシーン、と重なります。
このシーンは、『ノスタルジア』の「分娩」の、ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアのシーン、と重なります。
このシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、雪に被われた小高い丘の斜面を登るアサーフィエフのシーン、に該当します。
このシーンは、『鏡』の「分娩」の、川を泳ぐアリョーシャのシーン、に該当します。

水滴の音は、『鏡』の「分娩」の、アリョーシャが泳ぐ川です。

水を抜いた温泉は、アリョーシャが泳ぐ川です。
水を抜いた温泉は、「膣(産道)」です。

ゴルチャコフ(若い男に)「中で待っててくれ(車から出る)」
老人「こんにちは」

ゴルチャコフは、アリョーシャです。
若い男の運転手は、マリーナです。

水を抜いた温泉に下り立ったゴルチャコフは、『鏡』の「分娩」の、アリョーシャの「赤ん坊」の残滓です。
双子の姉弟の、先に生まれた姉のマリーナの「赤ん坊」は、車の中で待っていて、広場にはいません。

「赤ん坊」は生まれてきません。

硫黄のカスがついた自転車の車輪やビン、人形、ランタン、コップ、鍵、電球、コイン、ヴェール、金属片を拾う女、掃除をする人々は、体外に排出される、 「付属物」です。
自転車は、「分岐点1」の「生理」の、モノクロの沼地のような風景の、二つの死んだ「排卵した卵子」の一つです。
人形は、「分岐点1」の「着床B」の、絵に描いた「着床した受精卵」です。

バーニョ・ヴィニョーニの広場は、「母体」です。
水を抜いた温泉は「母体」の内で、その外は「母体」の外です。

『鏡』の「分娩」の、「母体」の母は、通りすがりの老人です。

◇着床C

カンピドリオ広場は、『鏡』の、祖父の家の庭の「子宮」です。
カンピドリオ広場へ上る階段は、祖父の家のチュールのカーテンがかかった部屋の「卵管」です。

マルクス・アウレリウス皇帝の騎馬像は、祖父の家の庭の切り株です。
ドメニコは、切り株に腰を下ろしてタバコを喫い野辺を眺める、内面が火の老母です。
ドメニコの演説は、老母が喫うタバコの煙です。

狂人達は、受精できなかった「精子」です。

「子宮」の広場の犬は、祖父の家の部屋の子犬で、祖父の家の庭の「着床した受精卵」のマリーナの残滓です。
「卵管」の階段を上るエウジェニアは、「卵管」の祖父の家のチュールのカーテンのかかった部屋から、「子宮」の庭へ行く、「受精卵」のアリョーシャの残滓 です。

「着床C」のシーンは、『鏡』の「分娩」の後の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母のシーンに、該当します。
『鏡』のこのシーンは、「分岐点2」の、父がマリーナとアリョーシャを抱いているシーンの前、に移動しました。
「着床C」は、「着床A」の妻がベッドで寝ている部屋の、モノクロシーンの場所に移動するはずだったのが、移動できずに元の場所に留まります。
「着床A」の妻がベッドで寝ている部屋のモノクロシーンは、矛盾したロジックの IF文の中で、実行されないからです。

カセットテープレコーダーを持った男が、カンピドリオ広場の階段から、駆け下りてきます。
カンピドリオ広場の階段に、諧調的な構図で立つ狂人達は、『鏡』のメインタイトルの「卵管膨大部」の、クレジットの白い文字の「射精した精子」でした。
カンピドリオ広場の階段は、「卵管膨大部」です。
カセットテープレコーダーは、『鏡』の「卵管膨大部」のメインタイトルで流れる、バッハのオルガン曲の置換です。
カセットテープレコーダーが奏でる、ベートーヴェンの『第九』は、『鏡』の「分岐点2」の、バッハの『ヨハネ受難曲』の置換です。
バッハの『ヨハネ受難曲』は、父がマリーナとアリョーシャが抱いているシーンから流れます。
父がマリーナとアリョーシャを抱いているシーンの後は、ダ・ヴィンチの肖像画のシーンです。
『第九』が途中で途切れるのは、『鏡』の「分岐点2」の最後の、ダ・ヴィンチの肖像画のシーンが、『鏡』から『ノスタルジア』に変形する時に、削除された からです。
『第九』は、テープレコーダーが壊れて、スクラッチのように始まり、そして途中でまた、スクラッチのようになって途切れます。
これは、「着床C」が、「着床A」の場所に移動しようとして、移動できずに、元の場所に戻ったからではないか?と考えます。

ドメニコは、『鏡』の「着床」のモノクロシーンの、もう片方の作者の住まいの中庭の「子宮」の、焚火の火です。
ドメニコの演説は、焚火の煙です。

言葉は煙のように消えてなくなります。

焼身自殺するドメニコは、もともと火なので、焼身自殺しても死にません。
倒れた後、平気な顔をして起き上がって服の埃を払い、犬と一緒にドメニコの家の「子宮」へ帰ります。

アリョーシャの声「焦げくさいよ」(『鏡』シナリオより)

焦げくさいのは、老母のドメニコが燃えているからです。

◇排卵3

「分岐点1」の「妊娠B」のドメニコは言います。

ドメニコ「ロウソクに火を灯して水を渡るんだ」

しかし、ゴルチャコフは、水を渡っていません。
水を抜いた温泉を渡っています。

ゴルチャコフ(オフ)「いつだ?」
ドメニコ(正面を向いた顔)「すぐにだ」

すぐにもやっていません。

ゴルチャコフは、ドメニコが頼んだこととは、別のことをやっています。

「分岐点1」の「妊娠B」のドメニコは、『鏡』の「妊娠」のソロビヨフ家のナジェージダです。
「分岐点1」の「妊娠B」のゴルチャコフは、母です。

ナジェージダ「鶏をつぶしていただきたいの、お願い」(『鏡』シナリオより)

ロウソクに火を灯して水を渡ることは、鶏をつぶすこと、の置換ではないか?と考えます。

母「無理ですわ」(『鏡』シナリオより)

母は断ります。

ゴルチャコフ(オフ)「いいよ」

ゴルチャコフは、承諾します。

ドメニコ「なぜいいんだ。よせよ、混乱させるな」

ナジェージダのドメニコは、混乱します。

ゴルチャコフは、ロウソクの鶏を持ち帰ります。
「分岐点2」で、エウジェニアは、ロウソクの鶏を見て、気分を害します。



「分岐点1」と「分岐点2」を引き延ばして、引き延ばした最初を内面の物語の最初、引き延ばした最後を内面の物語の最後に重ね合わせました。
「分岐点1」は、ホテルのロビーから始まります。
ホテルのロビーのシーンの最初に、バーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉にいた男の笑い声と、ラウラの短い台詞が入ります。
ホテルのロビーは、時間が広場の温泉から連続しています。
内面の物語も連続している、と考えます。
ホテルのロビーの電話のベルの音は、『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音です。
『鏡』の「分岐点1」の、作者がイグナートにかけてきた電話のベルの音は、『鏡』の「射精1・生理」の、「特別な存在」の老母が、作者にかけてきた電話の ベルの音です。
『鏡』の「射精1・生理」の、「特別な存在」の老母が、作者にかけてきた電話のベルの音は、『ノスタルジア』の「生理」の、瓶が倒れて転がる音です。
ホテルのロビーの電話のベルの音は、『ノスタルジア』の「生理」の、瓶が倒れて転がる音です。
「分岐点1」の内面の物語の最初は、広場の温泉から連続した「生理」です。(時間は逆行しています)
「分岐点1」を引き延ばして、引き延ばした最初を内面の物語の最初に重ね合わせると、「生理」と「初期処理2」が重なることになります。
「分岐点1」の「初期処理2」と、「初期処理2」が重なるようにする為、「分岐点1」のホテルのロビーのシーンを折畳むことにします。
「分岐点1」の最初は、ドメニコの家の横の、ドメニコが自転車を漕ぐシーンになります。

ドメニコの家の横は、「排卵3」のホテルのロビーでした。
「分岐点1」のホテルのロビーから、場所が連続しています。
広場の温泉と、ホテルのロビーと、ドメニコの家の横は、「卵巣」です。
「生理」の広場の温泉から、内面の場所が連続しています。

自転車を漕ぐドメニコのところへ、エウジェニアが2回、ゴルチャコフが1回、計3回行き、3回目にゴルチャコフは、ドメニコの家の中へ入ることができま す。
ゴルチャコフは、広場の温泉を渡ろうとして、3回目に渡ることができます。
どちらも、右から左へ移動します。
どちらも、1ショット撮影です。

「分岐点1」の最初の、自転車を漕ぐドメニコのシーンと、「分岐点2」の最後の、広場の温泉を渡るゴルチャコフのシーンは、一つの対になっています。

『ノスタルジア』は、無限ループしています。
ドメニコが漕ぐ自転車の回る車輪は、ループを意味していました。
「分岐点1」の最初の、自転車を漕ぐドメニコは、プログラミングの DO文です。
「分岐点2」の最後の、広場の温泉を渡るゴルチャコフは、プログラミングの END DO文です。
ドメニコとゴルチャコフは、「排卵3」のラウラで、メタレベルのタルコフスキーです。
ゴルチャコフは、ドメニコです。

「分岐点2」の「分娩」の最後で、ゴルチャコフは薬を飲み、アリョーシャの「赤ん坊」の残滓から、メタレベルの、END DO文になります。

自転車を漕ぐドメニコのシーンの、案内の村人は、「排卵3」のホテルの女主人でした。
「排卵3」の最後と、「初期処理2」の最初は重なり、外側と内側のループの繋ぎ目の”のりしろ”になっていました。
このループの繋ぎ目の”のりしろ”の、「初期処理2」の最初を、「初期設定」までとします。

広場の温泉を渡る、ドメニコで、ラウラで、メタレベルのタルコフスキーの、END DO文のゴルチャコフが持つ、1回目の火を灯したロウソクは、「排卵3」のエウジェニアです。
2回目の火を灯したロウソクは、「排卵3」のホテルの女主人です。
3回目の火を灯したロウソクは、「排卵3」のゴルチャコフです。
ロウソクは、ソロビヨフ家の鶏でした。
ソロビヨフ家の鶏は、アリョーシャの「卵胞」でした。
火を灯したロウソクは、「卵胞」です。

「初期処理2」で、ゴルチャコフが、部屋の窓の鎧戸を開けた時に聴こえる、洞窟で水滴が落ちるような音がします。
洞窟で水滴が落ちるような音は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

「分岐点2」の「分娩」の広場の温泉は、「膣(産道)」でした。
「付属物」は掃除をして、ありません。
「分岐点2」の「排卵3」の広場の温泉の「卵巣」には、「付属物」は、ありません。

エウジェニアが、自転車を漕ぐドメニコのところへ、1回目に行くシーンと、ゴルチャコフが、広場の温泉を3回目に渡るシーンは、ループの繋ぎ目の”のりし ろ”です。

犬の鳴き声。細心の注意を払うゴルチャコフ。音楽(ヴェルディの『レクイエム』)。ついに反対側に達する。そこにロウソクを立てた途端、くずおれる。

犬の鳴き声は、「排卵3」の最後の犬の鳴き声です。
犬の鳴き声は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

犬は、「排卵3」のラウラが連れていた小犬で、「分岐点1」のドメニコの家の横の犬です。

ヴェルディの『レクイエム』は、「初期処理2」です。
立てたロウソクは、「初期設定」です。
ロウソクを立てて、ロウソクは、ゴルチャコフからロウソクになり、ゴルチャコフは、END DO文からゴルチャコフになります。
ゴルチャコフとドメニコは、「卵胞」になります。
くずおれるゴルチャコフは、「初期設定」で、内側のループの記憶が削除されたゴルチャコフです。
かけ寄る運転手と見守る村の人々は、「卵胞」です。
かけ寄る運転手と掃除をする女性は、エウジェニアとホテルの女主人の「卵胞」です。

「分娩」の広場の温泉は、「膣(産道)」でした。
『鏡』の「分娩」の「膣(産道)」は、川でした。
「膣(産道)」には水があります。
水を抜いた広場の温泉には、水が少し残っています。
しかし、火はありません。
ロウソクに火を灯すことで、広場の温泉は、「膣(産道)」から「卵巣」になります。

水が流れる音と祈りのような声がします。
水が流れる音と祈りのような声は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

”着床する場合”は、終わります。

「分岐点2」も、終わります。

『鏡』は、106分の上映時間に対して、「分岐点1」「分岐点2」の合計は、23分半ほどです。
『ノスタルジア』は、126分の上映時間に対して、「分岐点1」「分岐点2」の合計が、80分近くあります。
全体の半分以上です。
『鏡』では、「分岐点1」「分岐点2」は、主となる物語の分岐を判断する、従属的な関係でした。
『ノスタルジア』では、「分岐点1」「分岐点2」と他は、物語の主従関係がないか、あるいは、逆転しているかのようです。



ロウソクに火を灯して水を渡ることは、鶏をつぶすこと、の置換ではないか?と考えます。
しかし、ロウソクに火を灯して水を渡ることと、鶏をつぶすことは、全く関係がなく、かけ離れています。

この、全く関係がなく、かけ離れている理由は、トニーノ・グエッラが脚本に参加したからではないか?と考えます。

置換や隠喩などの比喩は、その比喩の対象と、関係がなければないほど、かけ離れていればいるほど、比喩の対象が分からなくなります。

脚本を作る際に、タルコフスキーはトニーノ・グエッラに、おおよそのイメージだけを伝えたのではないか?と考えます。
トニーノ・グエッラは、比喩の対象を知らずに、比喩の物語を作っていった、ことになります。
そうすることで、比喩と比喩の対象は切り離され、『ノスタルジア』は、比喩だけの物語になります。
俳優は、脚本に書かれた比喩だけの物語を読み、アドリブも含めて、演技を行います。
映画は総合芸術で、集団で一つの作品を作り上げていきます。

比喩だけの物語は、タルコフスキーの手を離れます。

これは、シュールレアリスムの自動書記、偶然性の音楽や図形譜とも共通します。

ここで、20年前に書いた、『ストーカー』再考察1で引用した、
多木浩二さんの、『20世紀の精神―書物の伝えるもの』 (平凡社新書)を、もう一度引用して、「分岐点2」の終わりとします。

無意識−フロイト『精神分析入門』

フロイトによれば「夢の作業」には四つの機制が働いている。
まず「圧縮」である。
顕現する夢は「潜在する夢の、一種の短縮された翻訳である」。
第二に「置換」がある。
夢の作業はフロイトを超えて、言語化の方向に発展させられている。
ラカンはさらに発展させ、置換を換喩、圧縮を隠喩と見なすようになる。
第三に思考の「形象性への配慮」がある。
つまりすべてが視覚化されるとは言えないにしても、多くの場合、思考は視覚像に置き換えられる。
われわれの通常の思考の前段階は感覚的印象の記憶像であるとするなら、夢の作業とは、思考になんらかの退行的な処理を行って記憶像にまで戻ることを意味す る。
言語によって論じられることと、視覚的イメージは食い違う。
したがって視覚化は、思考を変容させる。
しかし夢内容は、なんらかの方法によって因果関係を仄めかす方法をとっている。
第四に「二次的加工」と呼ばれる夢の作業がある。
これはむしろ顕現夢にかんするものだと言えよう。
つまりこれまで述べてきたような夢の作業の直接の結果は知的に理解することが困難な結果をもたらすが、
右の三つの夢の作業の結果にたいして働きかけ、それを一種の物語に整えていくもうひとつの作業がある。
三つの作業の結果を組み立て直し、「ある全体的なものとし、ほぼ調和したものとする」ことである。


■着床

画面はモノクロです。
このモノクロは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「着床B」の人形の絵、と重なります。
このモノクロは、『ノスタルジア』の「分岐点2」の「着床B」の、ロシア風別荘の戸外、と重なります。
このモノクロは、『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まい、に該当します。

サン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前と、「分岐点2」の「着床B」のロシア風別荘の前は、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭です。
サン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前と、「分岐点2」の「着床B」のロシア風別荘の前は、8年前の『鏡』の、もう片方の作者の部屋から、「特別な存 在」の母が見た中庭です。

弟の顔のアップのシーンです。
水が流れる音と祈りのような声が、続きます。
水が流れる音と祈りのような声は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

サン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前のシーンです。
犬の鳴き声がします。
犬の鳴き声は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

水が流れる音は、「卵巣」と「卵管」と「子宮」で、聴こえます。
犬の鳴き声と祈りのような声は、「卵巣」と「子宮」で、聴こえます。

サン・ガルガノ大聖堂の、ゴルチャコフと犬の前の水溜りの水面に、大聖堂の三つの窓が映っています。
水溜りの水面に映る三つの窓は、「分岐点2」の「着床B」のロシア風別荘の前に立っていた、ゴルチャコフの家族の、妻と母と姉弟の四人です。
向かって左の窓は水溜りの端にかかって一つの窓が二人になっています。
妻と、弟です。
サン・ガルガノ大聖堂のシーンの前の、弟の顔のアップのシーンで、弟の肩に手を置くのは、妻です。
ロシア風別荘の前のゴルチャコフの家族のシーンと、弟の顔のアップのシーンは、同じです。
弟の顔のアップのシーンは、『鏡』の「着床」の最初の、ナタリア(母)の顔のアップのシーン、に該当します。
サン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘の前は、『鏡』の、もう片方の作者の住まいの中庭の、「子宮」です。
サン・ガルガノ大聖堂のロシア風別荘は、「卵管膨大部」です。
サン・ガルガノ大聖堂と妻は、「母体」です。
サン・ガルガノ大聖堂の、ゴルチャコフと犬の前の水溜りの水は、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭の、焚火の火です。
母と姉弟の三人は、焚火の火です。
母と姉弟の三人は、『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母です。
祖父の家で庭でタバコを喫う老母のドメニコは、ゴルチャコフの家族の母と姉弟の三人です。
母と姉弟の三人は、「分岐点2」の「着床A」の、妻がベッドで寝ている部屋にはいません。
祖父の家の庭でタバコを喫う老母は、妻がベッドで寝ている部屋にはいません。
祖父の家の庭でタバコを喫う老母のドメニコは、移動せずに元の場所に留まります。

祖父の家の庭でタバコを喫う老母のドメニコは、カンピドリオ広場で焼身自殺するドメニコです。
犬の鳴き声は、カンピドリオ広場で鳴く犬の鳴き声です。

ロシア風別荘の屋根から上る日は、サン・ガルガノ大聖堂の丸窓です。
朝もやは、雪です。
雪は、受精できなかった「精子」です。
朝もやは、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭に降る雨です。
ロシアのマーチ風の歌は、『OI VI KUMUSCIKI』です。
ロシア風別荘の前の犬は、サン・ガルガノ大聖堂のゴルチャコフで、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭の、マリーナの「胎児」になるアリョーシャです。
ロシア風別荘の前の白い馬は、サン・ガルガノ大聖堂の犬で、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭の、アリョーシャの「胎児」になる名もない人物です。

サン・ガルガノ大聖堂のゴルチャコフと犬は、マリーナとアリョーシャの「胎児」になる「着床」した「受精卵」の残滓です。
『鏡』は、マリーナとアリョーシャの双子の姉弟の「赤ん坊」が生まれましたが、『ノスタルジア』では、生まれません。

『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭には、受精できなかった「精子」はいませんでした。
「受精」から「着床」までは、最短で1週間ほどかかるからです。
雪は、受精できなかった「精子」ですが、『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭に振る雨は、受精できなかった「精子」ではありません。
『鏡』のもう片方の作者の住まいの中庭に降る雨は、焚火の火と同じです。
ここは「子宮」ですよ、という意味です。
焚火の火は、水溜りの水です。
火は、水です。
ドメニコは、火から水になります。

雪は、受精できずに死んでしまった「精子」です。
カンピドリオ広場の狂人達は、受精できなかった「精子」です。
死んでしまった「精子」の狂人の動きは、ゾンビの動きです。
死んでしまった「精子」の狂人は、「分岐点2」の「妊娠B」の、石畳の道のモノクロシーンの、石畳の道に散乱した白い布やゴミです。

『ノスタルジア』は無限ループしているので、映画の最後は最初に繋がります。
映画の最後のサン・ガルガノ大聖堂のモノクロシーンは、映画の最初のモノクロシーンに繋がります。

サン・ガルガノ大聖堂で聴こえる犬の鳴き声は、妻がベッドで寝ている部屋で聴こえる犬の鳴き声で、カンピドリオ広場で鳴く犬の鳴き声です。

サン・ガルガノ大聖堂の犬が、横を向きます。
ロシア風別荘の前の犬も、横を向きます。
ロシア風別荘の前の犬が、振り向きます。
ロシア風別荘の前の犬が、前を向き、続いて、ゴルチャコフの家族が振り向きます。
サン・ガルガノ大聖堂の犬が、振り向きます。
振り向く、ロシア風別荘の前のゴルチャコフの家族と、サン・ガルガノ大聖堂の犬は、映画の最後から最初へ戻ることです。

映画の最初の「着床」の最後の、ロシア風別荘の戸外にいる、妻と母と姉弟は、周りをきょろきょろと見ています。
どうして私たちはここにいるの?と不思議に思っているように見えます。
『ノスタルジア』は、『鏡』の変形です。
『ノスタルジア』は、『鏡』をコピーして修正したプログラムです。
妻と母と姉弟は、「分岐点2」の「着床A」で、『鏡』から『ノスタルジア』へコピーされ、転送されてきました。
「分岐点2」の「着床A」の白い鳥は、「分岐点1」の作者の住まいへ、間違えて訪ねて来た、祖父の家の庭でタバコを喫う、内面が火の老母でした。
母と姉弟の三人は、『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う、内面が火の老母です。
母と姉弟の三人は、「分岐点2」の「着床A」の、妻がベッドで寝ている部屋に入れない、白い鳥です。

妻は母で、母は老母で、姉弟はマリーナと自分自身です。
ゴルチャコフに、妻と息子はいません。
『鏡』の作者が、妻と息子がいると思い込んでいるのと同じで、ゴルチャコフは、妻と息子がいると思い込んでいるだけです。

弟は、アリョーシャです。
「分岐点2」の「着床A」の妻は、アリョーシャでした。
水溜りの水面に映る向かって左の窓は、水溜りの端にかかって一つの窓になった、妻と弟です。

『鏡』の作者は、アリョーシャです。
アリョーシャは、ゴルチャコフです。
ゴルチャコフは、『鏡』の作者です。

映画は、最後から最初に戻ります。
画面はモノクロのまま、映画の物語が始まります。

映画の最初は、犬の鳴き声です。
映画の最初の犬の鳴き声は、映画の最後で振り向いた、犬の鳴き声です。

『OI VI KUMUSCIKI』が、映画の最後から続きます。

クレジットの白い文字は、受精できなかった「精子」で、サン・ガルガノ大聖堂に降る雪です。


▼初期処理1

ヴェルディの『レクイエム』は、「初期処理1」です。
「分岐点2」の「排卵3」の、ヴェルディの『レクイエム』は、「初期処理2」でした。
ヴェルディの『レクイエム』は、「初期処理1」と「初期処理2」です。

「初期処理1」の「初期設定」の「初期値」は、映画の最初の物と記憶の状態です。
内面の状態は「初期化」されず、映画の最後からの続きになります。

沼に臨む草地に草地に降り立った四人のストップ・モーション。
再び題名のタイトル。

ストップ・モーションが、「初期設定」です。
題名のタイトルも「初期化」されたので、再び映しだされます。


■妊娠

画面はモノクロからカラーになります。
映画の最初の、カラーシーンです。

朝もやの中のトスカーナ地方の田園です。

このカラーシーンは、「分岐点1」の「妊娠A」の、ドメニコの部屋の窓際、と重なります。
このカラーシーンは、「分岐点2」の「妊娠A」の、水に沈む白い彫像、と重なります。
このカラーシーンは、『鏡』のメインタイトルの後に移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンの後のモノクロシーン、に該当します。

『鏡』の、映画の時間の並びで、最初に木立を揺らす風が吹いたのは、「射精1・生理」ですが、フェーズの最初に木立を揺らす風が吹いたのは、「排卵1」で す。
「妊娠」の最初のモノクロシーンです。
窓越しに茂みが見え、祖父の家に向かって歩いていくアリョーシャが見えます。
「分岐点2」で「着床」しないで、「初期処理」へ戻るところです。

*『鏡』解析では、”分岐点1で受精しないで、初期処理へ戻るところ”、としましたが、誤りです。
 「分岐点1」から戻るのであれば、アリョーシャは本を持っているはずです。
 アリョーシャは、本を持っていません。
 見ている部屋の中は、戻る途中にある、「射精1・生理」の1975年のスペイン人がいる作者の部屋の「卵巣」です。
 アリョーシャは、「妊娠」の「排卵1」の、1935年の祖父の家の玄関の「卵巣」に向かっています。

『鏡』の「妊娠」の「排卵1」で、木立を揺らす風が吹いて、1935年の祖父の家の玄関が「卵巣」になり、玄関のある部屋が「卵管膨大部」になりました。

この木立を揺らす風に該当するものは、『ノスタルジア』には、ありません。

『鏡』には、1935年と1945年と1975年の、三つの時間軸がありました。
『ノスタルジア』には三つの時間軸はなく、一つの時間軸の今現在(公開年の1983年とします)と過去しかありません。
『鏡』では、表面の「子宮」と「卵管膨大部」は、1935年と1945年にあり、表面の「卵巣」は、1975年にありました。
「子宮」と「卵管膨大部」は1935年と1945年に、「卵巣」は1975年に、それぞれ設定されています。
木立を揺らす風が吹くことで、表面の「子宮」と「卵管膨大部」が、1975年に生成され、表面の「卵巣」が、1935年に生成されました。
『鏡』では、木立を揺らす風が吹くことで、それぞれの設定以外の時間軸に、「子宮」「卵管膨大部」「卵巣」を生成させます。
『ノスタルジア』は、「子宮」「卵管膨大部」「卵巣」、そして「卵管」と「膣(産道)」が、一つの時間軸にあります。
これが、今現在の設定になります。
『ノスタルジア』の「排卵1」は、「卵巣」が設定されているので、木立を揺らす風に該当するものは、必要ありません。
『ノスタルジア』は、木立を揺らす風に該当するもので、1983年の時間軸の今現在に、「子宮」「卵管膨大部」「卵巣」を生成させる必要はありません。
『ノスタルジア』が、木立を揺らす風に該当するもので、「子宮」「卵管膨大部」「卵巣」を生成させるのは、1983年の時間軸の今現在より過去です。
今現在より過去は、モノクロの回想シーンです。
『ノスタルジア』の、1983年の時間軸の今現在より過去は、『鏡』の1975年の時間軸になります。
『ノスタルジア』では、木立を揺らす風に該当するもので、モノクロの回想シーンに生成するのは、「子宮」と「卵管膨大部」になります。

「生理」の、ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁は、ゴルチャコフの夢でした。
窓の外の壁は、アリョーシャが見た、8年前の『鏡』の、1975年の作者の台所の、漆喰が落ちる部屋です。
「生理」の廊下の電気は、木立を揺らす風に該当しました。
廊下の電気が消えて、アリョーシャのゴルチャコフの、過去の記憶の夢の中の、窓の外の壁が、「子宮」になりました。

『鏡』のメインタイトルの後に移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンの後のモノクロシーンの、「排卵2」でも、木立を揺らす風が吹きました。
『ノスタルジア』の、朝もやのトスカーナ地方の田園のカラーシーンには、この木立を揺らす風に該当するものは、ありません。

『鏡』の「排卵2」で、この木立を揺らす風が吹いて、1935年の祖父の家の離れ家の奥の部屋がもう片方の「卵巣」になりました。
そして、1975年のもう片方の作者の部屋の隣の台所が「卵管膨大部」になり、1975年の続きの1945年の雪に被われた小高い丘が片方の「卵管膨大 部」になりました。

『ノスタルジア』では、片方の「卵管膨大部」と「卵巣」は、設定されています。
『ノスタルジア』では、もう片方の「卵管膨大部」と「卵巣」は、登場しません。
『ノスタルジア』の「排卵2」で、木立を揺らす風に該当するものは、「排卵1」と同じく、必要ありません。
トスカーナ地方の田園は、『鏡』のメインタイトルの後ろに移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンの後のモノクロシーン、に該当しますが、
トスカーナ地方の田園は、モノクロシーンではなく、カラーシーンです。
『ノスタルジア』の「排卵1」と「排卵2」で、木立を揺らす風に該当するものが必要ないから、と考えます。

トスカーナ地方の田園のシーンと、それに重なる、「分岐点1」と「分岐点2」の「妊娠A」には、「排卵1」と「排卵2」のモノクロシーンは必要ありませ ん。
トスカーナ地方の田園のシーンと、それに重なる、「分岐点1」と「分岐点2」の「妊娠A」には、「排卵1」と「排卵2」のシーンはありません。



『鏡』のメインタイトルの後ろに移動した、「妊娠」の最初のカラーシーンに該当するシーンは、『ノスタルジア』の「妊娠」にはありません。
『鏡』のメインタイトルの後ろに該当する場所へ移動した、と考えます。
『鏡』のメインタイトルの後ろは、「射精1・生理」です。
『ノスタルジア』の「射精1」です。
『ノスタルジア』の「射精1」のタンスは、1935年の祖父の家の残滓でした。
『鏡』のメインタイトルの後ろに該当する場所は、『ノスタルジア』の「射精1」のタンスです。
「射精1」のタンスは、祖父の家の部屋の「子宮」です。
「射精1」のタンスは、「妊娠」から移動してきました。
メインタイトルのゴルチャコフの部屋の「卵管膨大部」と繋がる「卵管」は、ゴルチャコフが開けたタンスの扉です。
タンスの扉は、アリョーシャが遊んでいた鏡に反射した光の「卵管」です。

『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠A」と「分岐点2」の「妊娠D」の、『鏡』の「妊娠」の最初のカラーシーンに該当するシーンは、移動しないで元の 場所に留まりました。
「分岐点1」の「妊娠A」は、入れ子になった1重目の IF文の条件は”受精する場合”で、移動先の1重目の IF文の条件は”受精しない場合”です。
「分岐点2」の「妊娠D」は、入れ子になった1重目の IF文の条件は”着床する場合”で、移動先の1重目の IF文の条件は”着床しない場合”です。
「分岐点1」の「妊娠A」と「分岐点2」の「妊娠D」のシーンが、移動しないで元の場所に留まる理由は、移動先の実行される条件とは異なるから、としま す。
「分岐点2」の「着床C」が、移動しないで元の場所に留まった理由は、移動先の「着床A」が実行されないから、としました。
「分岐点2」の「着床C」の、1重目の IF文の条件は”着床する場合”で、移動先の1重目の IF文の条件は”着床しない場合”です。
「分岐点2」の「着床C」が、移動しないで元の場所に留まる理由は、移動先の実行される条件とは異なるから、と考えることもできます。



モンテルキの教会は、「分岐点1」の「妊娠A」のドメニコの部屋で、「分岐点2」の「妊娠A」の水の教会で、『鏡』の「妊娠」のソロビヨフ家の、「子宮」 です。
エウジェニアは、「分岐点1」の「妊娠A」のゴルチャコフで、「分岐点2」の「妊娠A」のゴルチャコフで、『鏡』の「妊娠」の「特別な存在」の母です。
ゴルチャコフは、「分岐点1」の「妊娠A」のドメニコで、「分岐点2」の「妊娠A」の詩集で、『鏡』の「妊娠」の「卵胞」のアリョーシャ(イグナート)で す。

アリョーシャ(イグナート)の「卵胞」は、片方の作者の部屋の「卵巣」に取り残されたままでした。
その取り残されたアリョーシャ(イグナート)の「卵胞」を、「特別な存在」の母が、片方の作者の部屋の「卵巣」から、もう片方の作者の部屋の「卵巣」に連 れてきました。
片方の「卵巣」から、もう片方の「卵巣」へ行くには、「子宮」を通らなければ、行くことはできません。

「卵胞」のゴルチャコフは、「生理」のバーニョ・ヴィニョーニの広場のドメニコです。

ゴルチャコフ「行きたくない」

ゴルチャコフは、モンテルキの教会の「子宮」へは行きません。

『ノスタルジア』では、もう片方の「卵管膨大部」と「卵巣」は、登場しません。
もう片方の「卵巣」へ行く必要はありません。
アリョーシャ(イグナート)のゴルチャコフは、ソロビヨフ家のモンテルキの教会の「子宮」へ行く必要はありません。

「分岐点2」の「妊娠C」の最後の詩集の「卵胞」は、燃えてしまって、もう片方の「卵巣」へは行きません。

アリョーシャは、作者の部屋の「卵巣」に取り残され、口角炎を患いました。
ゴルチャコフが、口角炎を患っているかどうか?は、ゴルチャコフの顔が、はっきり映っていないので分かりません。

ゴルチャコフ(車にもたれて、ロシア語で)「美しい景色にはもう飽きたんだ。自分ひとりのための美しさなどもういらない。たくさんだ」

美しいだけの映画はもう飽きた、『ノスタルジア』は、美しいだけの映画ではない、と映画の最初で宣言しているようにも聞こえます。

ゴルチャコフを乗せた、エウジェニアが運転する車は、バーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」から来ました。
バーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」は、「分岐点1」の「妊娠C」の、一つ目のモノクロの回想シーンの、ドメニコの家の「卵巣」です。

車が止まった場所は、「卵巣」です。
ゴルチャコフを乗せた、エウジェニアが運転する車は、「卵巣」から「卵巣」へ来ました。
モンテルキの教会の「子宮」へ続く道は、「卵管」です。
モンテルキの教会の「子宮」へ続く道は、「分岐点2」の「妊娠A」の、水の教会の前の、白い彫像が沈む水路の「卵管」です。

朝もやは、「分岐点1」の「妊娠A」の、ドメニコの部屋の窓際でゴルチャコフが喫うタバコの煙で、「分岐点2」の「妊娠A」の、水の教会の前の水路の水面 に流れるスモークです。
祭壇の前のたくさんのロウソクは、「分岐点1」の「妊娠A」のドメニコの部屋のロウソクで、「分岐点2」の「妊娠A」の焚火の火で、ソロビヨフ家のあかあ かと燃える木炭です。

モンテルキの教会の、エウジェニアが教会を出ていく後のシーンから、聖母像から無数の小鳥が飛び出すシーンまでを、モンテルキの教会の最初に移動します。
モンテルキの教会のシーンは、エウジェニアが教会を出ていく後のシーンから始まり、エウジェニアが教会を出ていくシーンで終わります。

「分岐点2」の「妊娠A」の、アンジェラが水の中に小石を捨てるシーンから、水の教会の最後の火のついた詩集の前の水の泡のシーンまでを、水の教会の最初 に移動します。
「分岐点2」の「妊娠A」の、ゴルチャコフが詩集を石の上に置く音は、女達が聖母像を石の床に置く音と、重なります。

聖母像の衣の前を開ける結婚したばかりの女は、「分岐点2」の「妊娠A」のアンジェラで、ソロビヨフ家のナジェージダです。
聖母像は、ナジェージダが持つ、ミルクの入った”たらい”で、「膣(産道)」の「子宮口」です。
結婚したばかりの女が聖母像の衣の前を開けることは、アンジェラが水の中に小石を捨てることで、ナジェージダが”たらい”の中のミルクを捨てることで、 「射精」です。
聖母像から飛び出す無数の小鳥と小鳥の囀りは、アンジェラが水の中に捨てた小石で、ナジェージダが捨てた”たらい”のミルクで、「射精した精子」です。
女達の祈りの声と小鳥の囀りは、『ストーカー』の、ゾーンへ入る軌道車の音と同じで、男性の性的な快感です。

『鏡』の「排卵3」の、タルコフスキーが放った小鳥は、「排卵した卵子」でした。
『ノスタルジア』の小鳥は、「射精した精子」です。
『ノスタルジア』の小鳥は、「排卵した卵子」ではありません。

ゴルチャコフの声「”我が視覚、我が力、暗がりぬ。二本の神秘なる硬石の矢。聴覚、父なる家より遠雷にかすみ、はりつめた筋肉、萎えた耕作地の老牛の如 し。(略)”」

「射精した精子」の小鳥の囀りは、「分岐点2」の「妊娠A」の、ゴルチャコフの声で、水の教会の水の泡です。

エウジェニアが、教会の中を歩く足音に混じって、何か木の棒のようなものが落ちる音がします。
何か木の棒のようなものが落ちる音は、『鏡』の「妊娠」のソロビヨフ家で、母が落としたアクセサリーが床を転がる音です。

寺男「あなたが願うもの、あなたがほしいものは何でも。一つでもかなえてほしいと願うなら、跪かれよ」
ナジェージダ「鶏をつぶしていただきたいの、お願い」(『鏡』シナリオより)

寺男は、「母体」のナジェージダです。
エウジェニアは、「特別な存在」の母です。

エウジェニア「(跪こうとするがやめて)「できないわ!」
母「できないわ」(『鏡』シナリオより)

「分岐点1」の「妊娠B」のドメニコが言う、ロウソクに火を灯して水を渡ることは、鶏をつぶすこと、の置換と考えました。
跪くことは、鶏をつぶすことです。
跪くことは、ロウソクに火を灯して水を渡ることです。

『出産の聖母』の「胎児」は、「分岐点1」の「着床B」の人形の絵で、ソロビヨフ家の「赤ん坊」のアリョーシャの「胎児」の残滓です。
『ノスタルジア』からは、「赤ん坊」は生まれてきません。

モンテルキの教会の最後の、たくさんのロウソクは、「分岐点2」の「妊娠A」の最後の、火のついた詩集で、ソロビヨフ家の最後の、壁をつたって流れる水で す。
モンテルキの教会の最後の、エウジェニアの顔と、『出産の聖母』の顔のアップは、ソロビヨフ家の最後の、カメラ目線の薄笑いする母の顔のアップです。
モンテルキの教会の最後の、小鳥の囀りは、母がナジェージダに売ろうとしたアクセサリーで、女性の性的な快感の余韻で、ソロビヨフ家の最後の、かん高い鶏 の悲鳴です。



画面はカラーからモノクロになります。

このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、一つ目のモノクロの回想シーン、と重なります。
このモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点2」の「妊娠C」の、サン・ガルガノ大聖堂のモノクロシーン、と重なります。
このモノクロシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、ニュース映画・渡河中の兵士たち、に該当します。
このモノクロシーンは、『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーン、に該当します。

水が流れる音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーンは、ソロビヨフ家の「特別な存在」の母が見た、「子宮」の内面でした。
このモノクロシーンは、「特別な存在」の母の、8年前の『鏡』の回想です。

『ノスタルジア』の「射精1」の廊下の電気は、『鏡』の木立を揺らす風に該当しました。
廊下の電気が消えて、ゴルチャコフの過去の記憶の夢の中の、ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁が、「子宮」になりました。
犬がゴルチャコフの部屋に来て、ゴルチャコフが眠るベッドの横に座ります。
瓶が倒れて床を転がる音がします。
瓶が倒れて床を転がる音は、『鏡』の「射精1・生理」の、1975年の老母が、作者の住まいにかけてきた電話のベルの音です。
窓の外の壁が、「子宮」から「卵管膨大部」になり、洗面所が「卵管膨大部」から「子宮」になるはずでしたが、なれませんでした。
洗面所の隣の、ゴルチャコフの部屋が「卵巣」だからです。
「卵巣」の隣に、「子宮」はありません。
窓の外の壁は、「子宮」から「卵管膨大部」になれず、ニュートラルな状態になります。
窓の外の壁が、ニュートラルな状態になったことで、「子宮」がなくなり、「母体」は死にます。
ゴルチャコフの記憶の中から、妻(母)が選ばれ、妻(母)が新しい「母体」になります。
ロシア風別荘の前は、新しい「母体」の、新しい「子宮」です。
新しい「母体」は、サン・ガルガノ大聖堂です。
新しい「卵管膨大部」は、ロシア風別荘です。
「卵管膨大部」が一つしかないのは、『ノスタルジア』には、もう片方の「卵管膨大部」と「卵巣」が、登場しないからです。

カメラ目線のゴルチャコフは、『鏡』の「妊娠」の、宙に浮いている母のモノクロシーンの、新しい「子宮内膜」の、カメラ目線の父です。
ゴルチャコフの足元に落ちてきた白い鳥の羽は、宙に浮いている母の上を飛んでいる、白い鳥のアリョーシャの羽で、「分岐点2」の「妊娠C」の、ゴルチャコ フのハンカチです。
『OI VI KUMUSCIKI』は、「分岐点2」の「妊娠C」の鳥が羽ばたく音です。
「分岐点2」の「妊娠C」の鳥が羽ばたく音は、白い鳥のアリョーシャが羽ばたく音です。
白い鳥のアリョーシャは、「卵管膨大部」のロシア風別荘へ入る、天使です。
ゴルチャコフの足元の、ヴェールとコインとワイングラスは、『鏡』の「射精1・生理」の作者の住まいの台所の、天井からぼたぼたと剥がれ落ちた漆喰の、古 い「子宮内膜」です。

シナリオでは、”白い服の女二人、戸口に消える。羽を広げる天使”となっていますが、映像では、戸口に消えるのは一人の天使です。
先にロシア風別荘に入ったのは、宙に浮いている「特別な存在」の母です。
「分岐点2」の「妊娠C」の、サン・ガルガノ大聖堂は、母とアリョーシャの二人が、「卵管膨大部」のロシア風別荘に入った後です。

宙に浮いている「特別な存在」の母は、「射精」してから日にちが経ち、死んでしまう「精子」のアリョーシャを救おうとして、
1945年の印刷所から1975年の作者の住まいの台所の「子宮」に来ました。

ロシア風別荘の前の「子宮」は、「生理」のゴルチャコフの夢の後の、ゴルチャコフの部屋の「子宮」です。
先にロシア風別荘に入った、宙に浮いている「特別な存在」の母は、エウジェニアです。
天使の白い鳥の「精子」のアリョーシャは、ゴルチャコフです。

エウジェニア(オフ)「アンドレイ!もうすぐ食事よ。その後で広場に行きましょう。聖カテリーナもここに来たんですって」

レストランが、「卵管膨大部」かもしれません。
だとすると、ロシア風別荘がレストランになります。

宙に浮いている母は、アリョーシャを連れて、作者の住まいの台所の「子宮」から、作者の部屋の「卵巣」へ行きます。
作者の部屋の「卵巣」は、バーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」です。
「特別な存在」の母は、エウジェニアから犬になります。
「射精」してから日にちが経ち、死んでしまう「精子」は、ゴルチャコフからドメニコになります。
ゴルチャコフは、「排卵1」の「排卵した卵子」に戻ります。

バーニョ・ヴィニョーニの広場の「卵巣」に入り、ドメニコは「精子」から「卵胞」になり、ゴルチャコフは「卵子」から「卵胞」になります。
ドメニコは、スペイン人がいる作者の部屋の「卵巣」の、イグナート(アリョーシャ)です。
ゴルチャコフは、吃音症の少年のエルネストです。

アリョーシャ(イグナート)は、スペイン人がいる作者の部屋の「卵巣」に取り残されます。
アリョーシャ(イグナート)は、取り残されて、口角炎を患います。
アリョーシャ(イグナート)が取り残された、スペイン人がいる作者の部屋の「卵巣」は、「分岐点1」の「妊娠C」の、一つ目のモノクロの回想シーンの、ド メニコの家の「卵巣」です。
「特別な存在」の母は、片方の作者の部屋の「卵巣」に取り残された、「卵胞」のアリョーシャ(イグナート)を連れて、「子宮」のソロビヨフ家に来ました。
エウジェニアの「特別な存在」の母は、ドメニコの家の「卵巣」に取り残された、「卵胞」のアリョーシャのゴルチャコフを連れて、ソロビヨフ家のモンテルキ の教会の「子宮」へ来ました。
ゴルチャコフが、口角炎を患っているかどうか?は、ゴルチャコフの顔が、はっきり映っていないので分かりません。



画面はモノクロからカラーになります。

ゴルチャコフが喫うタバコは、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

このカラーシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、犬のカラーシーン、と重なります。
このカラーシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点2」の「妊娠C」の、サン・ガルガノ大聖堂のモノクロシーンの後のカラーシーン、と重なります。
このカラーシーンは、『鏡』の「分岐点1」の、射的場を出ていくアサーフィエフのカラーシーン、に該当します。
このカラーシーンは、『鏡』の「妊娠」の、川辺を歩く母とアリョーシャのカラーシーン、に該当します。

ホテルのロビーは、『鏡』の「妊娠」の川辺の「子宮」です。
ゴルチャコフは、「卵胞」のアリョーシャです。
エウジェニアは、「特別な存在」の母です。

ドアを開ける音は、母とアリョーシャがソロビヨフ家を出ていくことです。(『鏡』では、この音はしません)

母とアリョーシャは、「卵管B」を通って、もう片方の作者の部屋の「卵巣」へ行きます。
母とアリョーシャは、「妊娠」から「排卵2」へ、時間を逆行します。

「分岐点2」の「妊娠C」の空から落ちてきた白い羽と、ゴルチャコフの足元に落ちてきた白い羽は、白い鳥のアリョーシャの天使の羽です。

ソロビヨフ家のアリョーシャは、口の右端が口角炎でした。
川辺を歩くアリョーシャが、口角炎を患っているかどうか?は、アリョーシャの顔が、はっきり映っていないので分かりません。
ホテルのロビーのゴルチャコフは、口角炎を患っていないようにも見えますが、ゴルチャコフの口の右端の口角炎が隠れているようにも見えて、よく分かりませ ん。
微妙な、ゴルチャコフの顔の角度と照明です。
「分岐点2」の「妊娠A」の、振り向くゴルチャコフも、同じです。

アリョーシャとゴルチャコフが、口角炎を患っているとしたら、時間は「妊娠」と同じです。
アリョーシャとゴルチャコフが、口角炎を患っていないとしたら、時間を逆行しています。

「分岐点1」の「妊娠C」の犬は、時間を逆行して、「生理」のゴルチャコフの部屋へ行きます。
「生理」のゴルチャコフの夢の後のゴルチャコフの部屋は、作者の住まいの台所で、ロシア風別荘の前の「子宮」です。
宙に浮いている母と、白い鳥のアリョーシャの天使は、ロシア風別荘の「卵管膨大部」へ入ります。

エウジェニアが読む、アルセニー・タルコフスキーの詩集は、『鏡』の「妊娠」の、川辺を歩く母とアリョーシャのカラーシーンに被る、父の詩で、
『ノスタルジア』の「分岐点2」の「妊娠C」の、サン・ガルガノ大聖堂のモノクロシーンの後のカラーシーンの、燃えてしまった詩集です。

ゴルチャコフ「境界を壊すことだ」

「境界を壊すこと」とは、「卵子」と「精子」の「受精」のことです。
『鏡』の「妊娠」の最後の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャのモノクロシーンに被る父の詩は、「卵子」と「精子」の「受精卵」でした。

『ノスタルジア』には、もう片方の「卵巣」が、登場しません。
『鏡』の、母とアリョーシャ(イグナート)は、ソロビヨフ家の「子宮」から、時間を逆行して、もう片方の作者の部屋の「卵巣」へ行きました。
アリョーシャは、「卵胞」から「排卵した卵子」になり、もう片方の作者の部屋の「卵巣」の隣の「卵管膨大部」で「受精卵」になりました。
そして、「着床」のもう片方の作者の住まいの中庭の「子宮」で、「着床した受精卵」になりました。
『ノスタルジア』の、エウジェニアとゴルチャコフは、もう片方の「卵巣」へは、行きません。
ホテルのロビーが、「妊娠」の「子宮」から、「排卵3」の「卵巣」になります。
ゴルチャコフは、「卵胞」のままです。



画面はカラーからモノクロになります。

棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンを、ワイングラスに息を吹きかけて磨いている妻のモノクロシーンの後に移動して、二つのモノクロ シーンを一つにします。

この二つを一つにしたモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠C」の、二つ目のモノクロの回想シーン、と重なります。
この二つを一つにしたモノクロシーンは、『ノスタルジア』の「分岐点2」の「妊娠B」の、石畳の道のモノクロシーン、と重なります。
この二つを一つにしたモノクロシーンは、『鏡』の「分岐点1」の最後の、ニュース映画・シヴァシ湖を渡る行軍、に該当します。
この二つを一つにしたモノクロシーンは、『鏡』の「妊娠」の最後の、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャのモノクロシーン、に該当します。

ワイングラスに息を吹きかけて磨いている妻のシーンに被る、ラウラが連れていた小犬の鳴き声は、『鏡』の「妊娠」の最後のモノクロシ−ンの、木立を揺らす 風に該当します。
小犬の鳴き声で、ロシア風別荘の前が「子宮」になり、カンピドリオ広場の「子宮」と、内面で繋がります。

『鏡』の「妊娠」の最後のモノクロシ−ンの、木立を揺らす風で、机の上のランプが転がり落ちて、祖父の家の中が「卵管膨大部」から「子宮」になりました。
『鏡』の、この机の上から転がり落ちるランプに該当するものは、『ノスタルジア』の、このモノクロシーンには、ありません。
『鏡』では、机の上のランプが転がり落ちて、「卵管」で繋がる「卵管膨大部」と「子宮」の場所が入れ替わり、「卵管膨大部」が「子宮」に、「子宮」が「卵 管膨大部」になりました。
『ノスタルジア』では、ロシア風別荘の前が、「子宮」から「卵管膨大部」になることは、ありません。

妻が息を吹きかけて磨いているワイングラスは、「子宮内膜」です。
ロシア風別荘は、「卵管膨大部」です。
ロシア風別荘の入口は、「卵管」です。

水が流れる音と、犬の鳴き声と、ガラスか金属のようなものが鳴る音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。
ガラスか金属のようなものが鳴る音は、モンテルキの教会の後のモノクロシーンの最初と、ホテルのロビーの最初にも、聴こえました。

ガラスか金属のようなものが鳴る音は、「子宮」で、聴こえます。
洞窟で水滴が落ちるような音は、「卵巣」で、聴こえます。

妻は、「母体」です。
妻は、サン・ガルガノ大聖堂です。

ロシア風別荘の前は、8年前の『鏡』の、もう片方の作者の部屋から、「特別な存在」の母が見た中庭です。

犬は、『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まいの中庭の、マリーナの「胎児」になる、アリョーシャの「着床した受精卵」の残滓です。
犬は、『鏡』の「妊娠」の最後のモノクロシーンの、マリーナの「胎児」になる、鏡に映る牛乳壺を抱えたアリョーシャの「着床した受精卵」の残滓です。
少女が捨てた棒切れは、『鏡』の「着床」の、もう片方の作者の住まいの中庭の、アリョーシャの「胎児」になる、名もない人物の「着床した受精卵」の残滓で す。

少年と少女は、受精できなかった「精子」です。
「精子」の少女は、「受精卵」の棒切れと「受精」しようとしましたが、できませんでした。

少年と少女は、「分岐点2」の「着床C」の、カンピドリオ広場の狂人です。
少年と少女は、やがて死に、「着床」のサン・ガルガノ大聖堂に降る、雪になります。


■分娩

棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンに、ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアの会話が被ります。
ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアのシーンを、一つにしたモノクロシーンの後に移動します。
このシーンが、「分娩」になります。

ホテルの階段は、「膣(産道)」で、『鏡』の「分娩」のアリョーシャが泳ぐ川です。
『鏡』の「分娩」のアリョーシャは、生まれてくる「赤ん坊」です。
マリーナは、先に生まれた「赤ん坊」です。
マリーナとアリョーシャは、双子の姉弟の「赤ん坊」です。

『ノスタルジア』からは、「赤ん坊」は生まれてきません。
「分岐点2」の「分娩」の、水を抜いた温泉に下り立ったゴルチャコフは、アリョーシャの「赤ん坊」の残滓でした。
マリーナの「赤ん坊」は、バーニョ・ヴィニョーニの広場にはいない、車の中で待っている運転手でした。
『ノスタルジア』の「分娩」には、「赤ん坊」のマリーナとアリョーシャは、いません。

「分岐点2」の「分娩」の、通りすがりの老人は、『鏡』の「分娩」の、「母体」の母でしたが、ここには母も、いません。
「母体」の母が洗濯をしていた横にあった、「膣口」の”たらい”も、ありません。
『ノスタルジア』は、閉じた空間です。

*『鏡』解析では、母が洗濯をしていた横にあった”たらい”は、「子宮口」としましたが、「膣口」の誤りです。
 ”たらい”が「子宮口」だと、アリョーシャが泳いでいる川は、「子宮」になります。
 アリョーシャが泳いでいる川は、「膣(産道)」です。
 「妊娠」のナジェージダが、ミルクの「精液」を捨てた”たらい”は、「子宮口」です。
 「分娩」の母が洗濯をしていた横にあった”たらい”と、「出産」の老母が抱えている”たらい”は、同じ「膣口」です。
 同じ「膣口」の”たらい”なので、母が洗濯をして、洗濯物が入った”たらい”を、老母が抱えています。

ホテルの階段は、「分岐点2」の「分娩」の、水を抜いたバーニョ・ヴィニョーニの広場の温泉です。
女主人とエウジェニアの二人は、広場の温泉を掃除する、二人です。
女主人とエウジェニアの二人と、二人が持つエウジェニアのバッグは、「付属物」です。

ワイングラスに息を吹きかけて磨いている妻のモノクロシーンの後にあった、髪をかきあげるエウジェニアが、『鏡』の、祖父の家の庭でタバコを喫う老母の シーン、に該当します。
髪をかきあげるエウジェニアのカラーシーンは、棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンの後になります。

水が流れる音が、棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンから、髪かき上げるエウジェニアのカラーシーンまで、続きます。
水が流れる音は、ここは「子宮」ですよ、という意味です。

髪かき上げるエウジェニアのカラーシーンは、「分岐点2」の「着床C」の、焼身自殺するドメニコのシーンと重なります。
この重なる二つのシーンは、「分岐点2」の「着床A」の場所に移動するはずだったのが、移動できずに元の場所に留まります。

エウジェニアの髪は、かき上げても、元に戻ってしまいます。
エウジェニアは、移動しようとして、移動できずに、元の場所に戻ってきました。


■排卵3

エウジェニアが髪をかき上げた後、ゴルチャコフとエウジェニアの間を、小犬を連れたラウラが通ります。
ここからが、「排卵3」になります。
棒を捨てる少女と水たまりに飛び込む犬のモノクロシーンと、ホテルの階段を上るホテルの女主人とエウジェニアのカラーシーンを移動したので、
カメラ目線のゴルチャコフの上半身が、内面の物語の最後になり、ここまでが「排卵3」になります。

「排卵3」は、小犬を連れたラウラから、カメラ目線のゴルチャコフまでです。
「出産」は、ありません。
『ノスタルジア』は、無限ループするので、「排卵3」から「初期処理2」へ続きます。

「妊娠」から、映画の物語の時間が連続しています。

小犬の鳴き声は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。

ゴルチャコフが、口角炎を患っているかどうか?は、ゴルチャコフの顔が、はっきり映っていないので、ここでも分かりません。
「排卵3」の最後の、カメラ目線のゴルチャコフの顔の口の右端は、影になっていて見えません。

「分岐点1」のドメニコの家へ、ゴルチャコフとエウジェニアを案内した村人は、「排卵3」の、カメラへ向かって歩いてくるゴルチャコフの後ろにいる、ホテ ルの女主人でした。
「排卵3」の最後の、カメラへ向かって歩いてくるゴルチャコフは、ループの繋ぎ目の”のりしろ”です。

ゴルチャコフは、『鏡』の「排卵3」の男性の医者です。
エウジェニアは、緑色の服の婦人です。
ラウラは、作者です。
ホテルの女主人は、ワシーリエグナです。

ゴルチャコフと、エウジェニアと、ラウラと、ホテルの女主人は、「卵胞」です。
ラウラは、メタレベルのタルコフスキーです。

「分岐点2」の「排卵3」のゴルチャコフは、ラウラです。
ゴルチャコフが持っているロウソクは、ラウラが連れている小犬です。

ホテルのロビーに、『鏡』の、作者の部屋の「卵巣」にあった鉢植えと似た、鉢植えがあります。
「妊娠」から、映画の物語の時間は連続していますが、ホテルのロビーは、「子宮」から「卵巣」になります。

ラウラが、廊下の電気を点けます。

エウジェニア「ミラノでお邸づとめの女が家に火をつけたんですって」

ゴルチャコフは、ロウソクに火を灯します。
火を灯したロウソクは、エウジェニアです。
廊下の電気が、消えます。
ロウソクの火も、消えます。

エウジェニア「あなたが調べているサスノフスキーは、ロシアに帰ればまた奴隷になると分かっていて、どうして帰国したの?」

ゴルチャコフは、戻ります。

ゴルチャコフが、エウジェニアに、サスノフスキーの手紙を渡します。
ゴルチャコフは、ロウソクに火を灯します。

エウジェニア「サスノフスキーはロシアに帰ってうまくいったの?幸福になった?」
作者の声「構わないでくれ、僕は幸せになりたかったんだ」(『鏡』シナリオより)

「分岐点2」のサスノフスキーの手紙は、『鏡』の「分岐点1」で、イグナート(アリョーシャ)が読む本です。
イグナート(アリョーシャ)が読む本は、『ノスタルジア』の「射精1」で、ゴルチャコフがエウジェニアから受け取った詩集です。
ゴルチャコフがエウジェニアから受け取った詩集は、『ノスタルジア』の「分岐点1」の「妊娠A」の最後の、火のついた詩集です。
火のついた詩集は、「妊娠」の最後の、モンテルキの教会の火のついたロウソクです。
モンテルキの教会の火のついたロウソクは、「分岐点1」の「妊娠B」の、ドメニコの部屋のロウソクです。

ホテルの女主人が、慌てた様子で出てきます。
火を灯したロウソクは、ホテルの女主人です。
ホテルの女主人が、部屋の鍵を取りに行きます。
ロウソクの火が、消えます。
ゴルチャコフは、戻ります。

ゴルチャコフが、自分のバッグを持ちます。
ゴルチャコフは、ロウソクに火を灯します。
火を灯したロウソクは、ゴルチャコフです。
ゴルチャコフが、カメラへ向かって歩いてきます。
ゴルチャコフは、水を抜いた温泉の反対側へ達します。
ゴルチャコフが、部屋へ入ります。

「分岐点2」の最後のヴェルディの『レクイエム』は、「初期処理2」です。

ゴルチャコフが、部屋の窓の鎧戸を開けます。
ゴルチャコフは、火を灯したロウソクを立てます。
内面の物語が始まります。
物と登場人物の記憶と内面の状態が、内面の物語の最初の状態に戻り、「初期設定」されます。
窓の外の壁の状態は、内面の物語の最初の状態です。

部屋が暗いので、ゴルチャコフが、口角炎を患っているかどうか?は、分かりません。
しかし、内面の物語は最初の状態に戻っているので、ゴルチャコフは口角炎を患っていない、と考えます。
ゴルチャコフがベッドにあるスイッチを入れると、天井のファンが回り、電灯がついて、部屋が明るくなります。
ゴルチャコフの口の右端には、口角炎は、ありません。

立てた火を灯したロウソクは、「初期処理2」の「初期設定」です。
『ノスタルジア』の「排卵3」と「初期処理2」の間には、『鏡』のエンドクレジットに該当するシーンはありません。
『鏡』のエンドクレジットは、文字が橙色(だいだいいろ)のような色で、モノクロではありませんでした。
『鏡』の「排卵3」の、タルコフスキーが放った小鳥が飛び立った時に、小鳥に一瞬光が当たり、その一瞬の小鳥の色が、エンドクレジットの文字の色と重なり ました。
タルコフスキーが放った小鳥は、ラウラが連れていた小犬です。
ラウラが連れていた小犬は、色が白黒のモノクロです。
『鏡』のエンドクレジットを、モノクロとします。
「初期処理2」の「初期設定」は、ループの繋ぎ目の”のりしろ”です。
ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁は、『鏡』のエンドクレジットに該当します。
『鏡』のオープニングロゴとエンドクレジットが、ゴルチャコフの部屋の窓の外の壁で、重なります。
無限ループした後の、『鏡』の「初期設定」は、エンドクレジットの最後でした。
モスフィルムのオープニングロゴは、旧ソ連時代から同じで、手を繋いで高く上げた男性と女性の像です。
この男性と女性の像は、「分岐点2」の「排卵3」の、ゴルチャコフにかけ寄る運転手と掃除をする女性の「卵胞」です。
窓の鎧戸を開けた時に聴こえる、洞窟で水滴が落ちるような音は、ここは「卵巣」ですよ、という意味です。
窓の外の壁は、ゴルチャコフの部屋と同じ、「卵巣」です。

タルコフスキーが放った「排卵した卵子」の小鳥の、ラウラが連れていた小犬は、リードに繋がれています。
「排卵3」からの「排卵」は、ありません。

ゴルチャコフが立てた火を灯したロウソクは、『鏡』のエンドクレジットでオープニングロゴです。
ゴルチャコフが立てた火を灯したロウソクは、内面の物語の終わりで始まりです。

終わりは始まりです。


〇おわりに

読んでいただいて、ありがとうございます。

最後まで書くことができました。
ロウソクに火を灯して、温泉を渡ったような気持ちです。