DISCLAIMER:「ベルサイユのばら」の著作権は、池田理代子先生および池田理代子プロダク ションにあります。  
          この作品は作者が個人の楽しみのために書いたもので、営利目的はありません。
Author: miki
Email: miki@he.mirai.ne.jp
Date:01/08/2003(再掲載07/22/2008)
Category: オスカルとアンドレのノエルの過ごし方

Spoiler: 「Aux marchaes du palais(宮廷の階段に)〜フランスの古いロマンスとコンプラント〜」

       ル・ポエム・アルモニーク(声楽&器楽アンサンブル)2001年 
Authors note: 現在は閉じられているサイトに、昔、ノエルの企画として載せていただいたお話です。サイトのデザインが、すてきでしたので、昔の ままにさせていただき、使わせていただきました。 たまたまCDショップでパトリシア・カースのCDを探していた時に、フランスの古い歌を収録したCDを見つけて、それを基にして書いたお話です。パトリシア・カースも「Ne me quitte pas」を歌っています。ブレルとは、またひと味違う味わいがあります。       

Ne me quitte pas (ヌ・ム・キト・パ)
〜行かないで〜


私は夢を見ていた。

白夜の太陽を仰ぎ見て、私は何かを囁いていた。
凪いでいる紺碧の海を見下ろしながら、私は丘の上で何かを叫んでいた。
私は漆黒の闇の中で、何かを探していた。
教会の中で、最愛の妹を突然亡くし、呆然としているアランを見つめて、
私は何かを心の中で呟いていた。

どの場面でも、自分が何を言っているのかわからなかった。
自分の夢のはずなのに。


気がつくと、自室の寝台の上で寝汗をかき、その気持ち悪さで目が覚めた。
傍らには、アンドレが寝椅子を持ち込み、うたた寝していた。
いかにも病気の私の看病に疲れたという様子だった。

少しずつ思い出した。
ノエルの休暇に入り屋敷に帰った途端、緊張の糸が緩んだらしく
酷い風邪を引き込み高熱を出して、ここ2日間ほど寝込んでいたのだった。
だから、おかしな夢ばかり見ていたのだろうか?

私の意識が戻ったことに気がついたアンドレが、心配そうな瞳を私に向けた。
私は少し微笑み、喉が渇いたので何か飲みたいし、汗をかいたので着替えたいと告げた。
彼は、私の様子が安定したことに安心したように微笑み、急いで用意してくると応えると、
ばあやと侍女を呼びに部屋を出て行った。

ばあやは、私を着替えさせ、簡単な食事と煎じ薬を飲ませると、いつもの愚痴を始めた。

「まったく、あのバカ孫息子!大事なお嬢様にこんな酷い風邪を引かせるなんて!
 せっかく休暇に入ったら、ご領地でご家族水入らずでゆっくりと過ごしていただく予定でしたのに。
 これではノエルとお誕生日が台無しです。」
「ばあや、いつもながら、無理なことを言うね。彼に私の風邪の責任があるわけではないだろう。
 ちょっと考えごとをしていて、うっかりうたた寝したのがいけなかったのだよ。」
「しかし、お嬢様・・・」
「はい、はい。せっかく気分がよくなってきたのだからもう止めておくれ。
 それより、アンドレを呼んでくれ。私の流儀で彼に責任を取ってもらうからね。」
まだまだ終わりそうにない彼女の愚痴を無理に止めさせた。
彼女の私を心配してくれる気持ちは嬉しいが、まだ頭がぼんやりするこの状態では、
できるだけ早く彼女に退散してもらった方が私のためだ。

しばらくして、アンドレが戻って来た。どうやらばあやに散々愚痴られた帰りらしい。
「苦労かけるな、アンドレ。ばあやのお小言の嵐は収まったか?」
「おまえが早く治ってくれれば、嵐も去るだろうよ。
 お早いご回復をお祈りしておりますよ。お嬢様」
「では、眠くなってきたから、すまないが、子守唄でもお願いしようか。」
「子守唄?」
「そうだな・・・希望は、ほら、あれだ、あれ・・・題名が思い出せないな。
 ええと・・・L'amour de moi(愛しい人は・・・*1)・・・とか何とかの歌詞から始まる歌だ。」
「ああ、わかったよ。しかし、俺の歌なんか聴いたら、また熱がでるんじゃないか?」
「いいから、早くしてくれ。私は眠いのだから。」

  L'amour de moi si est enclose 
  Dedans un joli jardin
  (僕の愛しい人は 美しい庭にこもっている)
  ou croit la rose et le muguet
  Et aussi fait la passerose・・・
  (バラやスズラン、タチアオイの茂っているところに・・・)
 
彼の歌が特別うまいわけではないが、幼い頃から聞きなれたその声は、年齢とともに深みを増し、
しっとりと落ち着いた聞き心地で、私に安らかな眠りをもたらしてくれそうだった。

「おまえが、もうあと2人いて、3声シャンソンで聞けたら最高だったかもな。」
「おばあちゃんのお小言も三分の一で済むのならば、それもいいかもな。」
「それは甘い!ばあやは三倍のお小言で対抗するさ。」
「ああ、神よ。我を哀れみたまえ。私の主人はとてもいじわるで、祖母は怖い人です。」
「うるさいな!寝られないだろう。」
「おまえが言い出したのに。早く寝てくれよ。これは子守唄がわりなんだから・・・」
「はい、はい。お嬢様はとても良い子だから、すぐに寝ますよ。ご安心あれ。従僕殿」

彼とのたわいない会話が、とても嬉しかった。
おかしな夢を見ることは、もうなかった。

アンドレは、時々パリの下町で庶民が歌って楽しむ歌を披露して、私の気分転換をしてくれた。
気に入る曲もあれば、気に入らない曲もあったし、恋歌もあれば、哀歌もあった。
そのどれも身分など関係ない、いかにも人間らしい歌詞と、
単純だが味わい深い素朴な旋律で私を楽しませてくれた。


少し前、パリで私達が乗った馬車が襲われた。
あの時、かつてあれほど愛したフェルゼンに助けられても、彼を置いて、去ってしまった。
アンドレの容態が心配で、他のことはどうでもよかったのだ。

アンドレは、パリの衛兵隊の兵舎についても意識が戻らず、
「今夜が峠だ。」と医者は私に告げた。
こんな思いがけない事件で、突然彼を失うなんて、考えたこともなかった。
彼は永遠に私のそばにいるものだと、決めてかかっていた。
神が彼を私から奪うなど、ありえないことだと。
なんと思い上がっていたことだろう。

彼を屋敷に連れ帰って、ばあやが止めるのも聞かずに、彼の枕元を離れなかった。
「私を置いて行くな。早く気がついてくれ。」
彼を看護する間、ずっと心の中で願い続けていた。

昨夜の不思議な夢の意味がなんとなくわかってきた。

白夜の太陽は、かつて愛した男性を象徴し、私はきっと彼との決別を決心したのだろう。
海を見下ろす丘で、私はアンドレを探していたのだろう。
いつも彼は海のように広く、柔らかに私を包み込んでいたから。
漆黒の闇もまた彼を意味していたのだろう。
私は子供のように彼を探して回っていたのだ。
彼に包まれているというのに。
最愛の妹ディアンヌを亡くしたアランの姿を見ていたのは、私も最愛の人をいつか亡くすかもしれないと
恐れている私の心をきっと表していたのだ。


ノエルの休暇に入り、屋敷に落ち着いてみると、なぜかアンドレをそばに呼びつけてばかりいた。
特に用事があるわけでもないのに。少しでも自分のそばに置いておきたくて。

そんないつもと違うおかしな私の態度を、彼はいぶかしげに思いながらも、
単なる私の子供じみたわがままだと思い、できるだけ私の望み通りにしてくれた。

軍人としての私は結婚話を断り、どんな世の中になろうとも、
軍人として生きていくと、求婚者にも父にも宣言していた。
求婚者は私の生き方を尊重し、また私のアンドレへの思いを慮り、自ら身を引いてくれた。
求婚者の彼にはなんの落ち度もないのに。

しかし、ただの女としての私は、これからどのように生きていくべきだろうかと考えると、
なぜかアンドレがそばにいないと落ち着かなかった。
ノエル前に領地へ帰る準備に余念が無い家族と召使達は、私の態度を微笑みながら許し、
アンドレの仕事を減らしてくれた上に、私の願いを最優先させてくれた。

風邪を引き込む前夜の私は、いつも通りアンドレとおしゃべりをして夜を過ごした。
彼が私の部屋を去った後に、私の将来を考え始めたら、なかなか寝付かれなくなり、
暖炉の前で、ぼんやりと時を過ごしているうちに、ついうたた寝してしまったのだ。

どうするべきなのだろうか?
軍人としての私の生き方には、もう確固たる決意があるのに。
どんな事態になろうとも、王室を、国王御夫妻を守り、国民に銃を向けることだけは避けたかった。
それなのに、ただの人間としての私は、ただの女としての私は、
自分の気持ちさえはっきりとわからなかった。
いや、わかってはいたのだが、勇気がなかったのだ、ほんの少しの勇気が。
情けないような気がした。一人前のつもりでも、まだまだ私は甘えん坊の温室の花なのだろうか?
一度はアンドレの愛を拒んでおきながら、今頃、彼の方から私に
再び愛を告白してくれないだろうかと心ひそかに願っていた。


次の朝、私は寝台に何かの重みを感じて、目を覚ました。
寝台の上には、私の飼い猫のプティ・マリーがいつものように優雅に寝そべっていた。
「おはよう、プティ・マリー。なんだ?」
彼女は、いつものように私が差し出した手を無視して、その場から動かなかった。
「おまえは私の飼い猫のはずなのに、どうして懐いてくれないのだ?
 おまえのママンは優雅で優しい猫だったのに。」
彼女は、「ここにいるのは、私の意志じゃなくて、仕方なくいるのよ。」とでも
言いたげな瞳を私に向けた。
「どうもおまえは自分のことを人間と勘違いしているのじゃないかい?
 母上とアンドレが二人して、おまえを甘やかすから。」
「ニャ〜」彼女は、私の言葉に抗議を申し立てているようだ。
「おや、私の言葉が気に入らないようだね。どうせアンドレが忙しいから、
 『俺の変わりにオスカルを起こしてきてくれ』とでも言われて、イヤイヤ来たくれたのかな?」
「そうよ!いやんなっちゃうわ。私は忙しいのに・・・」とでも言いたげに、
彼女はのんびりと手足を伸ばしていた。
「昨夜は、アンドレが私を子守唄で寝かしつけてくれたぞ。
 どうだ?羨ましいだろう?プティ・マリー」
何となく彼女の反応を楽しみたくなって、無理に引き寄せて、抱き上げて囁いた。
「それがどうしたの?私なんて、奥様とアンドレの寝台の好きな方を毎晩寝床にしているのよ。」
とでも自慢されているように、彼女は「フン!」とでも言いたげに私の腕の中から逃げだした。
「おまえに自慢しても、なんとなく空しいな。」
私は苦笑いしながら、彼女の逃亡を許可してやった。


私が寝入っていれば、アンドレがそのうち起こしにくるだろう。
なんせノエルの休暇中だし、私はまだ病が回復中の病人だもの。
しばらくしてアンドレが現れたので、まだ寝ているふりをしていた。
彼は私の様子をしばらくじっと見ていたが、私の寝ているふりを見抜いたように、
昨夜のごとくまた歌いだした。

  Reveillez vous Belle endormie *2
  Reveillez vous car il est jour
  (目を覚ましておくれ、眠れる美女よ。目を覚ましておくれ、もう朝だから)

  Mettez la tete a la fenetre
  Vous entendrez parler vous・・・
  (窓辺に来ておくれ、あなたに聞いて欲しいことがある。・・・)

「わかった、わかった。起きるよ。耳元で大声で歌うな。アンドレ」
「さすがに良い子だ。熱は?」
「だいぶ下がったようだ。気分も昨日より良い。」
「朝食もたくさん食べるんだぞ。」
「アンドレ、やっぱりおまえが三人もいなくてよかったかもな。」
「なぜ?」
「三人もいたら、口うるさくてかなわん。」
「それじゃ、一人だったことを神に感謝して、さっさと食べることだ。」
「きちんと食べるけど、条件がある。おまえが、話し相手として、ずっとそばにいてくれることだ。」
「了解いたしました、隊長。」

眠る時はいつも彼にそばについていてもらった。何より安心するからだ。
彼はどこにも行かない、誰にも奪われない、そんな安心感が何より私の回復には必要だった。


ノエルの深夜の礼拝には、なんとか私の体の回復も間に合い、
ばあやには止められたが、教会へ出かけた。
屋敷に残っている召使達には申し訳なかったが、夜中のレヴェイヨンも、ささやかながら行った。
その後も何かと理由をつけて、アンドレを自室に引き止めた。
別に何か用事があったわけではない。
ただ、そばに居て欲しかっただけだ。

彼は暖めたヴァンを私に差し出しながら、いたわるような瞳で私を見つめていた。

「アンドレ、これからもずっとそばに居てくれるか?」
「何をおかしなことを言っているのだ。まだ熱でもあるのか?俺が行くところなんて他にはないよ。
 おまえが出て行けと言っても、ここしか居られない。わかっているだろう?」
「そうだな。風邪のせいで気弱になっているのかな?」
「きっとそうだよ。早く寝ろ。年明けはまた忙しくなる。
 今のうちに体を休ませておかないとダメだ。」
「これからもずっとそばに居てくれるなら・・・一度くらいなら、ローブ姿でおまえと踊ってやる。
 それに、これからは少しはおまえにも自由な時間を増やすように努力してみる。・・・それに・・・」
「それは光栄だな。楽しみにしているよ。でも、そんなに心配しなくても、俺はどこにも行かない。
 旦那様達がご領地にいらっしゃって心細いのだろう。いつものおまえらしくないぞ。もう休め。
 明日はおまえの誕生日だ。使用人が少ないからささやかですまないが、
 皆でおまえの誕生日の祝いをしよう。」
「それは楽しみだ。では、今夜は良い子で早く休むとするか?」

こんなことが言いたかった訳ではない。
それは自分でもわかっていた。
でも、彼に言いたいたった一言、その一言が言えなかったのだ。


次の日は、また教会のミサに出かけて、その後ささやかだが、私の誕生日の祝いをした。
そして、その夜、アンドレはいつものように私に暖めたヴァンを差し出し、
誕生日の贈り物として、新しく仕入れてきた歌を披露してくれた。

  Aux marchaes du palais *3
    Y a une tant belle fille
   (宮廷の階段に 大変美しい娘がいる)

    Elle a tant d'amoureux
    Qu'elle ne sait lequel preindre
   (恋人はたくさんいるのだが、誰を選べばいいのかわからない)

    C'est un p'tit cordonnier
    Qu'a eu preference
    (小さな靴屋の職人が一番最初に彼女に求婚した)

    <La belle ,si tu voulais
    Nous dormirions ensemble
   (美しい人、もしあなたが望むなら、私達は共に眠ることができる。)

    Dans un grand lit carre
    Couvert de toiles blanches
   (白いリネンに覆われた大きな四角い寝台で)

    Aux quatre coins du lit
    Un bouquet de pervenchaes
   (寝台の四隅にはタマキビの花束があり)

    Dans le mitan du lit
    La riviere est profonde
   (寝台の真ん中には深い河がある)

    Tous les chevaux du roi
    Y viendraient boire ensemble.
   (王様のすべての馬でさえ、そこで水を飲むことができるほどの)

    Et la, nous dormirions
    Jusqu'a la fin du monde.>
   (そして、私達はこの世の終わりが来るまで眠ることができる。)
    

私は拍手しながら、彼の歌を褒め称えた。
「素敵な誕生日の贈り物だったよ。靴職人にしては粋な求婚歌だな。」
「こんな歌で喜んでいただければ、幸いです。誕生日おめでとう。オスカル」
「他にも欲しいものがあるのだが・・・」
「俺でできることなら、何でもお申し付けくださいませ。」
「誕生祝いのくちづけは?」
「え?おまえ、まだ熱があるのか?何だか珍しいことを聞いた気がするのだが・・・」
「してくれるのか、それとも、してくれないのか、どちらだ、アンドレ?」
「それではお言葉に甘えて、喜んでさせていただきます。」
彼はもう一度「誕生日おめでとう。」と言いながら、
子供の頃のように、そっと頬に口づけしてくれた。

これだけで満足するべきなのだろうか?
彼が神の下に召されることも大した後遺症も無く、あの暴動から生還して、
前と変わらずそばに居てくれるそれだけで満足するべきなのだろうか?
民衆は、この寒空の下に飢え、凍えている。
それに引き換え、私は暖かな暖炉の前で、愛しい幼馴染や召使に大切に看病されて、
ノエルと誕生日を祝っている。
もっと望みたいと思う私は、ただの贅沢者なのだろうか?

「どうしたんだ、オスカル?」
ふいに、アンドレが驚いた様子で私の顔を覗き込んでいた。
自分でも知らないうちに一筋の涙が流れていた。
私は何者なのだろう?
ただの貴族、ただの軍人、ただの人間、ただの女・・・どれも私であるけれど、
どれも私のすべてではない。
でも、私の直感は、ただの女として言わないと、もう一生言えないであろう言葉を、
今こそ言うべきだと強く主張していた。

「アンドレ、おまえは・・・私がおまえを愛していると素直に告白したら、
 この歌の靴職人のように、私に求婚してくれるか?
 この世の終わりまでそばに居てくれると約束してくれるか?」
「・・・何を言っているのだ、オスカル?俺は、聞き間違いをしているのではないだろうか?」
「いや、私は正直に告白するよ。おまえを愛している。
 なぜだかわからないが、おまえを失いたくないのだ。
 おまえにそばに居て欲しいのだ。それが私のわがままだとわかっていても。」
「わがままなんかじゃない。それは何より俺の願いなのだから。・・・オスカル、本当に俺でいいのか?
 からかっているのか?それとも、これはノエルの夢か?」
「こんな時に夢であってたまるか!私を愛しているなら、どこにもいかないと誓ってくれ。」
負けず嫌いの私らしい捨て台詞のような愛の告白に、彼は苦笑しながら誓った。
「オスカル、おまえを愛している。おまえだけを。だから、どこにもいかず、ずっとそばにいる。
 ・・・これでご満足いただけましたか?お嬢様」
「ああ、とても満足した。アンドレ、私もおまえを愛している。どこにもおまえをやらない。
 ずっとそばに居てもらう。浮気なんて許さないからな。」
彼が遠慮がちに腕を伸ばして、私を抱きしめた。
「おお、こわい!俺の女神はなんと魅力的な上に、こわいのだろうか!
 俺はその魅力に取り付かれて、離れられないらしい。」
「それならば嬉しいけれど・・・」
恥ずかしさを隠すために、彼の胸の中に顔を埋めた。
「オスカル、こんな時は黙って顔を上げるべきだよ。口づけできないだろう。
 俺におまえの潤んだ瞳と紅い唇を見せてくれ。」
私は素直に彼の言葉に従った。
その瞬間から、私達はただの女主人と従僕、幼馴染という関係から恋人同士となった。


ノエルの休暇が明け、新しい年となると、予想したとおりの激動の時代が始まった。
衛兵隊の兵士達も、新しい時代の風を感じているようだった。
これから、フランスはどのように変化するのだろうか?

隊から屋敷へ帰りつくと、毎晩、わずかながらも私達はともに過ごす時間を増やしつつ、
恋人同士としての振る舞いに慣れていった。
「アンドレ、パリの様子は毎日のように悪くなるばかりだ。
 寒気は緩まず、セーヌ川は凍りつき、物資は運べない。
 陸上から運ぶには、軍の護衛が付かないと何が起きるかわからない。
 これで、この先、何ごともなく時が過ぎて行ってくれるのだろうか?」
「何ごともなく・・・というは、無理だろうが、これ以上悪くなることもないほど、今の状況も悪いな。」
「私はどうしたのらいいのだろうか?何をするべきなのだろうか?」
「俺ではわからないよ。おまえではないのだから。隊長殿」
「冷たい恋人だな。私が悩んでいるのに。」

すねたように抗議する私に、彼は私の気持ちをわかっているとばかりに反論した。
「だって、おまえは、自分が何をするべきか既にわかっているだろう。
 おまえは貴族であり、軍人であり、王室と国王ご夫妻と、フランス国民を守りたいのだろう。
 王室と国民の対決でなく、血を流すことなく、事態が沈静化してくれることを望んでいる。
 違うのか?」
「そうだ。おまえの言うとおりだよ。でも、具体的に何をすればいいのだ?私に何ができる?」
「オスカル、あせってはダメだ。目の前のことを一つ一つ片付けていけばいいのさ。」
「わかったようなわからない答えだな。おまえはのんびりしているな。」
「おまえがせっかちなんだよ。俺は政治家ではないし。
 おまえの気持ちはわかっても、今年のフランスの作柄や政治状況はわからないよ。」
「それもそうだ。でも、一つだけわかったことがあるぞ。
 とりあえず、おまえに髪を撫でられていると気持ちが良い。落ち着く。
 きっと誰でも、どんな贅沢よりも、こんな落ち着いた時間が欲しいだけなのだろうな。」
「生きていくのに必要なものは、それほど多くは無いと思う。
 寒さを防ぐわずかばかりの薪となんとか暮らしていける程度の食事や衣服、
 そして、愛しい人や家族・・・きっと、本来、人間なんて少ない物で生きていけるはずだよ。
 俺はそう思うけれど。」
「でも、今の王室や貴族や政治家は、それすら与えられない。情けないな。
 ・・・これから、フランスはどうなるのだろう?」
「神は、耐えられない試練など、お与えにならないと言うじゃないか。
 きっとフランスが受けている数々の試練は、フランスが生まれ変わるための胎動なのだろう。
 俺達は、フランスが生まれ変わるという時代を見ることのできる稀な人間なのかもしれないよ。」
「それならば、軍人としての私には、これからどんな試練が待ち受けているのだろう?
 耐えられる試練にしてもらいたいがな。」
「おまえなら、どんな試練でも、歯を食いしばって耐えるさ。だって、一人じゃないだろう。
 俺もいるし、衛兵隊の兵士達、つまり、おまえを信頼する部下が大勢いるぞ。」
「そうだな。私は一人ではなかったな。」
彼は、私の額にくちづけしながら、優しく微笑んで励ましてくれた。

一人ではない。愛しい人がいることが、これほど励みになるとは、
昔の私なら気づかなかったかもしれない。
私もかなり単純かもしれないが、時にはそれもいいだろう。
これからの年月を、家族だけでなく、愛しい人や信頼する部下と共に生きていくのだから。

私達が恋人同士となって、既に数週間が過ぎていた。
そろそろ後ろ髪を引かれながら、退室しようとお休みのくちづけをしようとした彼に、
思い出したことを質問した。
「アンドレ、そういえばこのあいだ、私が風邪で寝込んでいたとき、
 どうしていつものばあやではなくて、おまえが看病していてくれたのだ?」
「ああ、あの時か。おまえは、俺が怪我で寝込んでいる時の夢を見ていたらしくて、
 『アンドレ、しっかりしろ!どこにも行くな!』と言って、俺を呼んでいたからだよ。」
「ふふふ、そうだったのか。夢の中の私は、思った以上に正直者だったのだな。」
「もう遅いから、そろそろ休もう。いくら明日が休暇でも、おまえも疲れているからな。
 無理してはいけない。風邪がぶり返すぞ。」
私のことを心配し過ぎる恋人に提案をしてみよう。

「アンドレ、私達は恋人だろう。違うか?」
彼を引き止めるために、首に私の腕を巻きつけて問いかけた。
「世間の恋人同士は、こんな寒い夜には互いに暖めあうものだと思うけれど・・・違うのか?」
一瞬の沈黙のあとに、彼が嬉しそうに微笑みながら、今度は私に問いかけた。
「・・・俺でいいのか?」
「私だけを愛しているなら、私のそばに居てくれるならいいさ。当たり前だろう。」
「おまえが行くなと言えば、どこへも行かないよ。愛しているよ。オスカル」
「では、私の提案は了解された。ただし、附帯条件がある。
 ・・・今夜は、特別に優しくすることだ。わかったか?」
「了解いたしました。」
私達は、なんてかた苦しい愛の申し込みをしているのだろう。
お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
「Ne me quitte pas(行かないで)・・・アンドレ」
返ってきたのは甘い愛の言葉ではなく、熱いくちづけだった。
冬の夜も凍えずにすみそうな予感がする。

〜FIN〜




*1 曲名:「L'amour de moi」 ジャン・リシャフォール(1480-1547年)作の三声シャンソン
*2 曲名:「Reveillez-vous,belle endormie」 ジャン・バティスト・クリストフ・バラール編の
  <シャンソニエ(シャンソン集)の鍵>(1717)に収録されたセレナード風の恋歌
*3 曲名:「Aux marchaes du palais」 18世紀以降のシャンソニエ(シャンソン集)に書かれている歌

以上の3曲は、以下のCDを参考にしました。

「Aux marchaes du palais(宮廷の階段に)〜フランスの古いロマンスとコンプラント〜」
ル・ポエム・アルモニーク(声楽&器楽アンサンブル)2001年 
Alpha(フランスの会社らしい) http://www.alpha-prod.com
輸入販売元 (株)マーキュリー/MAレコーディングズ販売 http://www.mercury-coo.com
このCDには、ナナ・ムスクーリやイブ・モンタンも歌っているフランス人の
少々年配の方には馴染みのある素敵な歌が多いです。

歌の歌詞は完全翻訳がなく、解説に少ししか訳してありませんでしたので、
私が仏語と英語の歌詞から訳しました。素人の訳ですので、おかしな部分もあるかもしれません。
たぶん、雰囲気くらいは、合っているのではないかと思います。

ちなみに題名の「Ne me quitte pas(行かないで)」は、
1959年に作詞・作曲ともにジャック・ブレル(ベルギー出身の歌手)で大ヒットした
シャンソンのスタンダードナンバーから借りました。
でも、本当に訳すとなると、「行かないで」という懇願口調ではなくて、
どちらかというと命令口調「行くな!」の方が真実に近いような気がしますので、借りてみました。

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