Disclaimer:「ベルサイユのばら」の著作権は、池田理代子先生および池田理代子プロダクションにあります。
 
        この作品は作者が個人の楽しみのために書いたもので、営利目的はありません。
Author: miki
Email: miki@he.mirai.ne.jp
Date: 2/15/2004
Category: オスカルとアンドレのひととき
Spoiler: 「十二の恋の物語〜マリー・ド・フランスのレー〜」 月村 辰雄 訳 岩波文庫  2000年
     「フランス名句辞典」 田辺 保 編 大修館書店 1999年
Authors note: 以前、ファンの会報誌に載せていただいたお話です。
スイカズラは、5月に咲き甘い香りの花らしいのですが、秋の部屋が空いていたので、理由もなくおきました。個人で楽しむ以外の無断転載・再配布は、ご遠慮願います。
                  

恋人の膝に憩う男(マネッセ歌謡写本より)

 

Chevrefoil
シェーブルフーユ
〜すいかずら〜
 
Bele amie, si est de nus,Ne vus sanz mei.ne mei sanz vus!
(恋人よ、私達も同じ。私なくして、あなたはなく。あなたなくして私もない。)
 

 赤いモロッコ皮の古いレー(短詩集)を図書室から持ち出し、久しぶりに読み返してみた。姉達がまだ家にいた時には、たびたび持ち出され、皆が集まる部屋で、何度も何度も朗読されたものだ。騎士と貴婦人の許されざる恋、恋人達の哀しみ、燃え上がる恋・・・いかにも若い女性が愛好するような韻文の数々がそこにはあり、皆が楽しみ喜びとともに耳を傾けていたのだった。

 幼い頃、私は当然のごとく姉達のようには楽しめなかった。当たり前かもしれない。私は、貴婦人に愛を捧げる騎士にこそなりたかったのだ。いや、なれると信じていた・・・子供の頃は・・・。でも、今ならば、このレーに書かれた数々の恋物語に心を動かされる。

 

なぜだろう?でも、あまり深く考えたくない。いましばらくは、自分の心を深く探りたくない。

 

 古い本を持ち出してきたのには、理由があった。私は衛兵隊の子弟達のために、学費を稼いでやりたかった。篤志家として名高い姉の一人、ジョゼフィーヌに相談すると、知恵を授けるかわりにと、条件を出してきた。

「あなたが、私のサロンで“朗読と音楽を楽しむ会”の時に、何か朗読してちょうだい。そうね… マリー・ド・フランスのレーから、なにか思い切り熱い恋の歌がいいわ。それと、ヴァイオリンも弾いてね。 あなたに憧れている貴婦人方が、たくさんいらっしゃって、寄付もたくさん集まるわ。上手に読むのよ。 情感を込めてね。屋敷で練習してらっしゃい。アンドレに聞かせてあげなさいな。彼なら、的確な批評をしてくれるでしょうから。」

 軍人で色恋に疎い私に恋の詩を読めとは…無理難題を押し付けるものだと、心の中で苦笑しながら、自分ひとりが数時間見世物になれば、衛兵隊の子弟達にかなり金額を集めてやれるとなれば、恥を忍ぶ価値も あろうかと、姉の提案を受け入れたのだった。

 

 久々にレーを朗読していると、不思議に心に染み渡るようだった。なぜだろう? 

 

 たぶん、600年以上も前に、フランス文学史上初めての女性作家として、フランスの地に生まれながら、なぜか遠いイギリスで暮らし、フランス語を用いながら、ブルターニュの地における伝承を韻文にして、書き改め作品集にしたというマリーという女性に、そして、このレーに登場する人々の気持ちに不思議と思いをはせてしまうせいかもしれない。 マリーという女性は、どんな気持ちでこれらの恋物語を綴ったのであろう。 たとえ、どんなに素晴らしい詩を紡ぎだそうと、女性であるために、きっと彼女も理不尽な、不愉快な思いも したことだろう。もし、彼女が現代を生きていたら、私のように、女性でありながら、軍人として生きる人間 をいったいどんな目で見つめるだろうか?  

 私のように軍人として生き、恋も結婚もまともにしたことのない人間が、彼女のレーを朗読するなんて… 彼女はどのように感じるのだろうか?もの思いに耽っていると、アンドレが、飲み物を持ち、私の部屋へやってきた。

「さっきからやけに熱心に読んでいるようだが…何を読んでいるのだ?お疲れかもしれないから、お飲み物をお持ちしましたが…お邪魔でしたか?」

「いや、ちょうど休憩したかったところだ。気が利くな。本はこれだ。」

「レーか?懐かしいな。昔は姉上様方がよく愛好されて、しきりと朗読させ、耳を傾けられた本じゃないか。」

「よく覚えているな。しかたなくだがな…姉上から宿題を出されたのだ。おまえも時間があるなら、相手をしてくれ。しばらくそこで、私の朗読を聞いていてくれ。」

「いくらでも、喜んで。」

私は、せっかくのアンドレの心遣いの茶を楽しみ、少し休んでから、早速練習を始めた。

 彼は、私の前の椅子に座り、神妙な顔つきで、私の朗読を聴き始めた。

「すいかずらと呼ばれるレーの…」 慣れぬ韻文を心を込めて朗読しろと、姉からは言い渡されていたが、突然、うまく読めるわけもない。

なにやらうわの空で、ただ文字を追っているだけの朗読にしかならなかった。

「声は美しいが、なんとなく心ここにあらずの朗読だな。もう少し情感を込めた方が良いのではないか?」

「おまえまで難しいことを言う。」

「お嬢様のお美しい朗読の声に酔いしれていたいのは、やまやまなのですが…そろそろおばあちゃんの雷が落ちそうだから、食事の手伝いに下に行くよ。練習に励んでくださいませ。お嬢様」

彼は私の苦労も知らず、軽く私をからかうと部屋を出て行った。

 私は、しばし物語を読みふけった。恋に悩む貴人達…冒険と恋に生き、宿命に悩み、 運命に翻弄され、それでもなお恋の成就を求める主人公達。恋とはそれほど人にとって 必要な、重要なものなのだろう。諦めることでしか救われなかった私の初恋は…私の心は…どうなのだろう。突然の元部下である 男の求婚は…素直に女性に戻り、結婚することにこれほど反発した私の心は?求婚者に何か欠点が あったわけではない。彼は、むしろ理想的な求婚者であったのに。なぜあれほど私は、父の薦める 結婚に反発したのか。父は父なりに私を愛し、結婚することで、私を安全な巣の中に逃したいと 考えていたのに…私の心は…このレーの主人公達の心は、まったく違うものなのだろうか?

 私を昔から愛していたと、私しか愛していないと、命をかけて愛していると…かつてあれほど激しく かき抱き、愛の告白をした男は、先ほどまで私の目の前で、静かに私の朗読を聴いていた。彼にとって、今の私は、一体どんな存在なのだろう?もう恋の対象ではなく、ただ単に女主人であり、幼馴染なだけなのだろうか。

 私に求婚した男は、黒髪の彼を私が「愛しているのですか?」と問いかけた。私は「わからない。」と素直に答えた。それしか答えられなかった、あの時は。しかし…今でも本当にそうなのだろう?彼が大怪我をした時、私は何を叫び、何を思った。私は、かつての初恋の相手に「わたしのアンドレ!」と叫んでいた。アンドレが大怪我をして意識が戻るまで、彼を失うのではないかと、私はどれほど恐れたことか!

 私は、レーを読みながら、自然と涙を流していた。このレーほど私の心を揺さぶるものはない。 アンドレなしには…私も生きられない。たとえ、彼がもう私を昔ほど愛していないとしても…。今ごろ、私は自分の心の奥深くに潜む真実を、まるで魔法のように言い当てられたように、レーを 読みふけり、いつの間にか、静かに声を出して読んでいた。まるで彼に愛の告白をするかのごとく…。

 しばらくして、姉の屋敷でサロンが開かれた。私は姉との約束どおり、いつもの軍服ではなく、華やかな私服を着て、いつもより念入りに身支度をして、寄付金を集めるためだと自分に言い聞かせ、誰に対しても、にこやかに愛想を振りまき、できるだけ注目を集めるためように行動した。ヴァイオリンの演奏は、さほど問題もなく終わった。私のレーの朗読の時間になった。私は、マリーのレーの中のどの詩が好みかと貴婦人方から希望を聞き、彼女達の望みどおりに朗読した。「すいかずら」の詩を朗読する番になった時、不思議と私は部屋のすみで 控えているアンドレを視線で探した。無意識ではあったが、私は彼に向かって語りかけるような気持ちで朗読を 始めた。

「あなたなしには生きられません。私たち二人は、あたかも、はしばみの木にからむ、すいかずらの ごとくであります。すいかずらがまつわりついて、はしばみの幹のまわりを伝えば、ともに生き永ら えもしましょうが、もし二つを引き離すのであれば、はしばみはすぐにも枯れはて、すいかずらも 同様の運命をたどるでしょう。“恋人よ、私達も同じ。私なくして、あなたはなく。あなたなくして 私もない”」

 数篇の詩を朗読した後、予想以上の寄付金を集め、おいしい食事とヴァンを楽しみ、 私とアンドレは、満足して帰宅した。馬車の中で、彼は私の朗読を思いがけず褒めちぎった。

「この間、聞いた時よりとても情感が籠り、すばらしかった。」

「これは、お褒めの言葉を賜り、光栄至極です。ムッシュー。幸い姉上にもお褒めの言葉を いただいたぞ。姉上もかなりの額を寄付してくださった。皆の見世物になった甲斐があったというものだ。」

「こんな美しい神の創造物が、すばらしい詩を朗読しているのを見せてもらえるなら、 もっと寄付してくださる貴婦人が世の中にごまんといるのじゃないか。度々、サロンに出てはどうだ? 衛兵隊の子弟達のためにもなるしな。」

「人ごとだと思って、簡単に言ってくれるな。今度はおまえにも何かされるように姉上に進言して おいてやる。ありがたく思え。おまえにも活躍の場を与えてやろう。どうだ?」

「…いや、俺なんて…何もできないし…褒めているのに、これ以上、何か言うとやぶ蛇だ。」

ふたりで笑いながら、久しぶりに軽口をたたきあい、私の心は暖かくなった。

 それから、しばらくしてさまざまなことがあったが、やっと私は彼に愛を告白して、 私たちは恋人同士となった。長椅子の上で、彼に抱かれていた時、私は彼にひとつ告白をした。

「昔、姉上のサロンで、レーを朗読した時、おまえは、情感が籠もっていてすばらしかったと 褒めてくれただろう。覚えているか?」

「ああ、あの時は本当に素晴らしい朗読だった。おまえが恋をしているのではないかと、 サロンにいた貴婦人達が、密かに噂話をしたものだった。俺は心ひそかに嫉妬したものだ。」

「安心しろ。あの時、私が心に思い描いていた恋人は…おまえだ。アンドレ」

彼は熱いくちづけを私にしてくれ、彼の心を伝えてくれた。

 寝台の上へ抱かれて運ばれ、私たちは、激しく愛し合った。その後、彼の裸の胸に抱かれながら、 私は彼に気持ちを伝えた。

「私は、おまえにからむ“すいかずら”なんだ。」 そして、再びレーをくちずさんだ。

「恋人よ、私達も同じ。私なくして、あなたはなく。あなたなくして私もない。」

「それは、俺も同じだ。ただ俺にとっては、おまえがはしばみの木で、俺がすいかずらだ。 おまえにまとわりつかずにいられない。おまえを愛さずにいられないんだ。」

「私もだ。愛している…アンドレ…」 私の言葉は、彼の熱いくちづけでさえぎられた。もう言葉は要らなかった。

FIN

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