幹事クリタのコーカイ日誌2016

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4月19日 ● 余裕のある大人になりたかった。

 僕は子どもの頃、正義感が強くて短気な性格でした。この場合、正義感が強いと言っても子どものことですから、きわめて狭い視野で考えているので自分勝手な正義感でしかありません。しかも「強きを挫き弱きを助ける」というのが正義だと思っていたので、上級生や先生とかから理不尽(だと自分が感じる)ことを言われたりすると、カッと頭に血が上って逆らうような子どもでした。

 「三つ子の魂百まで」という諺があるように、高校、大学、そして社会人になっても先輩や上司、時にはクライアントにすら噛み付くような厄介な性格を内在したままでした。もちろん大人になれば抑えることもある程度はできます。でも口に出して言わなくても態度で如実に示してしまうこともありました。と言うか、口には出さない分、精一杯態度で表現しようとしていたような気がします。今振り返れば、それでは口に出しても出さなくても一緒です。

 当然のことながら対人関係でトラブルも起きます。上から見たらさぞかし可愛げがない若者だったろうと思います。自分でもあまりにむかつくことが多いので辟易していたところもありました。その頃は何があっても悠然と落ち着いて構えて対処できる先輩のことを「すごいな」と思って見ていました。自分も40代とか50代になれば余裕ができて、少々気に入らないことがあっても態度に出さず、落ち着いて冷静に対応できるような大人になるのかなと期待もしていました。

 今はすっかり大人です。そして上辺だけは余裕があるように振る舞うこともある程度はできるようになりました。昔だったらこんな言動で済んでないし、済ませてないよなと思う場面も、今は少々顔は引き攣っているかも知れませんが、何とかやり過ごしています。しかし、内面は違います。相変わらず腸が煮えくり返るようなことが多いし、言っても仕方ないよなと思いながらも、ついつい余計なひと言を付け加えてしまうこともあります。特に「約束を守らない」「きちんと謝らない」人間は大嫌いです。

 大人なんていません。大人の振りをしている子どもばかりです。もちろん、その「振り」ができることが大事だということはわかっています。でもできたら振りではなく本当に内面から大人の余裕がある人間になりたかったなぁと思います。


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