幹事クリタのコーカイ日誌2009

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4月19日 ● せめて飄々と生きたい。

 僕は子どもの頃からずっと、心配性で気の小さい人間です。いつも先のことを考えてはクヨクヨしたり、どうにもならないことをグジグジと悩んだりしています。父親が同じようなタイプで、優しい人でしたが気が小さくて人前に出ることが苦手でした。思春期にはそんな父親が情けなくてイヤでしたが、それは今から思えば自分と同じ部分を感じるからこそ、イヤだったのでしょう。

 だから僕は10代の頃から物事に動じない肝の座った人間に憧れてきました。何か大変なことがあっても眉一つ動かさずに対処でき、いつも冷静沈着で周りから頼られるような器の大きい人間になりたいと願っていました。そして、自分もいつか年を重ねて実力と経験を得れば、そうなれるのではないかと思っていました。

 しかしもう48才です。この年になっても相変わらず心配性の臆病者で、小さなことで悩んだり落ち込んだりしています。自分で自分が情けないと思うことがしばしばあり、自分の器の小ささにがっかりしています。「堂々」ではなくてもいいから、せめて「飄々」と生きていたいのですが、到底そんな風にはいきません。

 最近ますますいろいろと気にかかることや落ち込むことが多く、かなり精神的にめげています。その大半は頭で考えればいちいち気に病んでいても仕方ないことが多いのですが、頭に気持ちがついていかないので、ついつい考えが堂々巡りしてしまいます。

 よく青春ドラマなんかで「悩め悩め、それが青春だ」なんて先生が偉そうに言ったりしますが、実際に悩んでいる本人にとっては「なに言ってんだ」と思われるだけ。そして、青春なんかとっくに過ぎ去った年になっても、やっぱり悩むことについては何にも変わりません。強いて若い頃との違いを言えば、それを隠すことが昔より上手になったというだけ。それが大人になったということなら、社会的には大事なことだと思いますが、自分的にはつまらないことです。