幹事クリタのコーカイ日誌2005

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12月16日 ● 仰木マジック逝く。

 突然の訃報にびっくりしました。今年秋までオリックスを率いていた仰木彬前監督が亡くなりました。70才。まだまだ若いと言っていい年齢でしょう。オリックスと近鉄が合併した1年目の今年、両球団で監督を務めた仰木以外に監督に相応しい人材はいないと球界に復帰しました。それが彼の寿命を縮めてしまったのだとしたら誠に残念なことです。

 仰木監督と言えば近鉄で野茂、オリックスでイチローを育てたことで知られています。どちらも日本野球史上に残る名選手ですが、「トルネード投法」「振り子打法」と二人とも極めて個性的で規格外であることでも別格でした。トップが仰木監督でなければ、彼らもあそこまでの選手にはなり得なかったのではないかと思います。

 また野茂が日本人選手としてメジャーリーガーの先駆者となったのも、イチローが日本人野手として初めてメジャーに挑戦できたのも、やはり仰木監督の薫陶があったればこそでしょう。この2人をここまで大きくしたことが、仰木監督の最高の業績かも知れません。

 また、1995年の阪神淡路大震災の時に、「がんばろう神戸」を合言葉にオリックスを率いてリーグ制覇、さらに翌年は日本一を達成したのも素晴らしい仕事でした。震災から立ち上がり懸命に復興しようとしている神戸市民とともに励まし合い助け合う姿は、仰木監督のキャラクターなくしては考えられませんでした。

 「仰木マジック」と言われる采配は常に柔軟で、常識にとらわれない深さを感じさせました。狭い藤井寺を本拠にしていた近鉄時代は中日から獲得したブライアントを中心とした猛牛打線を、そして広いグリーンスタジアム神戸を本拠にしたオリックス時代は、イチローを核としたスピード野球を展開。状況に合わせていくらでも手を打てるあたりは、今年のロッテ・バレンタイン監督の「ボビー・マジック」に通じるものです。

 何よりも仰木監督には人間としての「温かさ」と「ユーモア」があり「ダンディ」でした。もちろん我々は単なるファンですから、本当に彼がそういう人物であったかどうかはわかりません。メディアを通じて知っているだけです。ただ佐藤選手に「パンチ」という登録名をつけるようなユニークな発想は、やはり日本のプロ野球界、いやスポーツ界全てを見渡しても、ちょっと見当たらない粋なセンスです。彼のような人物がもっともっと出てくれば、生真面目一本槍の日本スポーツ界も風通しがよくなるだろうにと思います。本当にもう少し長生きして欲しかった。マジックのようにパッと消えたあたりも仰木監督らしいのかも知れませんが、やはり残念です。


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